第49話:孤独の好意

「ひとまず、座りましょう」

 そう言われて、ようやく彼女の方を見ることができた。グレーの髪に、ややこけたような頬、そして女王やマルゲリータとも共通している切れ長の目。血のつながりがあるのだろうか。


 私は執務机の奥から示されたとおり、部屋の中央にある背の低い机の方へ向かい、机をはさむように配置されたソファの内、彼女から見て右手のそれに腰かけた。そして、執務机の上に置かれたティーポットに視線を向ける。やはり、目と目を合わせるのには躊躇ためらいがあった。


「のどが渇いた? でもこれ、残りは私の分しかなさそう。かまわない?」

 視線の意味を勘違いしたのか、彼女は軽い調子で聞いてくる。


「はい、かまいません」


「ありがとう。まぁ、そうね。あなたは別にお客様というわけでもないから、お言葉に甘えましょう」彼女はそう言って、ティーカップにお茶を注いでいく。「それで、どうしたいの?」


「どうしたい?」

「そう。どうかしたいと思って、ここまで来たんでしょう?」

 そこまで問われてようやく、自分の行動の経緯を思い返すことができた。


 いろいろ聞きたいことはあったけれど、

「彼女がやったのでしょうか?」

 まず、それが口をついた。


「マルガリータ? えぇ。残念ながら、この事態は彼女が引き起こしたことです」

「なぜでしょうか?」

「それは、私に聞いても分からないと思うけれど」


「すみません……」

 分かるはずもないのに、言葉が口をついていた。思考が整理されておらず、頭がぐちゃぐちゃだ。自分が何をしたいのかも、よく分からない。


「そうねぇ」黙りこくっていると、再び彼女が口を開いた。「強いて言えば、激しい好意のせいかもしれない」

「激しい好意?」


「えぇ。愛と評してもいいと思うけど、そのあたりの定義は難しいから。この年になると、愛と臆面おくめんもなく口にするのは、少し気恥しいしね」

 彼女はそう言って、中空を眺める。その表情には、老いだけでは説明できない、疲労がにじんでいるようにも感じた。


「誰へ好意を抱いていたのですか?」

「分からない? 少しは自分で考えなさい」

 厳しい指摘のように思えたが、怒りは感じなかった。むしろ、その言葉に素直に従う自分がいる。


 好意がこの事態を引き起こしたということは、対象は被害者の誰か? 彼女たちとマルガリータが接している場面を、頭の中でスライドしていく。

 確実とは言えないけれど、選ぶとするなら――


「ブルーナ」


「そう」

 予想通りの返答だった。

 でも、まだ分からない。なぜブルーナへの好意が、一連の事件につながるのか。


「好意を抱いている人が、姉の寵妃になるのを防ぎたかったということですか?」

「そういう気持ちが全くなかった、というわけではないでしょうね」

「でも、マルガリータは、わざわざブルーナを王女のところに連れて行っていました」

 まるで遠い昔のような、けれどごく最近の、この街へ来た日のことを思い出す。


「人の気持ちはそう簡単なものではない、ということでしょう。陳腐ちんぷな物言いで申し訳ないけれど」

「私には、その心情が分かりません」

「好意を抱いている人が幸せになってほしいと願うのは、人間心理として割と単純な部類じゃない?」


「だから姉を? その思いが叶わなかったから?」

「最終的にどうなったかは分からないけれど、少なくとも、すぐにブルーナが寵妃に選ばれることはなかったでしょうね」

「やっぱり分かりません」


「好きな人が誰かに相手にされないのは、寂しいことだと思うけれど。分からない?」

「はい」

「あなたは誰かのせいで、とても楽しくなったり、とても苦しくなったりしたことがないの?」


「ありません。そんなこと一度も――

 反射的に言ってから、わずかな引っ掛かりを感じた。ごくわずかな。


「それくらいで済んだことに感謝しなさい」

 私の戸惑いに、彼女は答える。


「だからって命を奪わなくても」

「奪おうとして奪ったわけではないのかもしれない。あの子の言葉を信じるとすれば」

「だとしても、なんでブルーナまで」

 と、そこまでつぶやいて、ふいに悟る。そうか、彼女は自分で――


「分からない。けれど、激しい好意というのは、時に心を壊してしまうこともある」

「マルガリータは、本当に好きだったんですね」

「えぇ、おそらく」


「でも、ほかの人たちは違った」

「全員が全員、というわけではないと思う。そういう性向の人は必ずいるものだから。ただ、あの子の周りには、その好意を真に理解できる人はいなかったのかもしれない」


「孤独ですね」

「そう、孤独。孤独の中でも、心を壊しかねない孤独」

 彼女は再び中空に視線を送り、「すべては救えない」と漏らした。

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