第29話:論議の図書館

「エレベーターは気になるけどなぁ」

 静かに私の話を聞いていたパドマが、背もたれに体を預け、顔を上に向けた。彼女の視線の先には、少し低めの天井が木目のパターンを見せている。書棚で視界がさえぎられていることもあって、どことなく落ち着く空間だ。


 離れに戻ってパドマを起こし、抜け駆けに対するおしかりを頂戴ちょうだいした後で、私たちはコイトマの協力のもと図書館へ移動した。屋敷に至る坂道に面した、ギリシャの遺跡を思わせるエントランスを入った先に、二つの棟が左右に並んでおり、そのうちの一つが図書館になっている。もう一つの棟は、議事堂だ。


 図書館の棟は奥に長い作りになっていて、立方体の奥に円柱を設置したような構造。書棚が並んだ立方体部分を抜けた奥、円柱部分の中央付近は吹き抜けになっており、書庫データベースにアクセスする端末や、書籍を読むための丸机が配置されていた。


 円柱の外縁部分は二層に分かれ、下層部分には書棚がずらりと並ぶ。一方上層部分は、円環状のスペースを本棚が分断しており、台形に近い空間が連続していた。小ぢんまりとしたそのスペースには、小さな丸机と二つのソファが用意されていて、私たちは今、そこで顔を突き合わせている。


 台形の底辺部分、円環の外周にあたる部分には、大きな窓。ガラスの向こうには山肌を覆う木々が見え、私はそちらをぼんやりと眺めつつ、記憶に残った光景から何らかの意味を見出そうと試みていた。


「私たちが昨日行ったときは、何もなかったよね?」

 パドマが尋ねてくる。


「たぶん。暗くてよく見えなかったけど、コイトマに見つかったときは光で照らされていたし、あれくらい大きなものが落ちていれば、さすがに目についたと思う」

「じゃあ、その後に事件が起きたってことか。アガサが叫び声を聞いたのはいつ?」

「七時前くらいかなぁ。結構早く起きてたから」


「私たちがあの場所にいた時から、九時間、十時間か。あんまり絞れないなぁ」

 パドマは、床から浮いた足をバタバタとさせた。


「そもそも、私たちがあそこに行った後で事件が起きたとは限らないと思う」

「後から体を運んできたってこと?」

「うん。あの場で刺し傷を付けたんだとしたら、もっと血が出ているはず」

「あぁ、肌には血がついてなかったのか」

「そう。あと、ブランケットにもほとんど」


「じゃあ、完全に乾いてから運んだ可能性が高いね。いつからブルーナを見てない?」

「夜の食事会にもいなかったから、昨日の朝からだね」

「長いなぁ。ほかの寵妃候補にブルーナの行動を聞けたら、少しは絞れるかな」

「アドリアに聞けたら、一番いいんだけどね」

「……まぁ、それは、ちょっと」


 私の言葉が、二人の会話を止める役割を果たした。ブルーナの行動を一番把握しているのはアドリアだろうけど、彼女へ質問することの残酷さは、言葉を奪うのに十分だ。自分の発言に、わずかな罪悪感。


「それよりも、問題なのは人の体を運べるってことでしょ」

 数秒の沈黙の後で、パドマは丸机に両腕を乗せ、こちらに体を近づけた。


「確かに、いろいろと前提は崩れるかもしれないね。犯人が二人以上いるか、人の体を運べるような道具があるってことだから」

「うん。事件があった場所が特定できないのは、かなり苦しいよ。場所が特定できれば、ある程度時間も限定できるだろうし、そうすれば誰が事件を起こしたか絞れるけど、場所が特定できないとすべてが発散する」


「特定できそうな何かを探さないといけないね」

 物事に関わる指標を、何か一つでも固定することができれば、事象が存在できる範囲はかなり狭まる。逆に言うと、何も固定できない状態でいくら仮説の成否を考えても、砂漠の砂粒ほどある事象の一つを確認する意味しか持たない。砂の数だけ成否を考えるのは、いろいろな面で限界がある。


「場所、時間、意図で考えると――

 唇に指を当てながら考えるパドマにつられ、指を口元に持っていくと、一つの可能性を思いついた。

「犯人の側から考えた方がいいのかもしれないね」


「犯人? 場所とかは無視するってこと?」

「無視、まではいかないかな。ただ、方程式の変数を考えて答えを出すんじゃなくて、答えの方から考えた方が早いかもしれない、という感じ。変数は証明の時に考えればいいと思う」

「……なるほど。この場合は答えが少ないから、その方が合理的なのか」

「そう、そんな気がする」


 場所という指標は、人の命を奪うためのスペースという捉え方で考えれば、それこそ無限の可能性がある。もちろん、地球の反対側では難しいだろうけど、半径数キロの範囲でいえば、ほとんどの場所が候補になるだろう。時間についても、人の命を奪うための秒数を一単位と考えれば、かなりの数が候補として挙げられる。一方犯人という答えは、この街の人間の数が、そのまま候補の数と考えられる。外部にほとんど人間がいないという今の環境上、これは揺るがないだろう。つまり、


「犯人の可能性はせいぜい三百人ちょっと。全部の可能性を検討するにしても、ぎりぎり現実的といえる数字じゃないかな。犯人の可能性が高そうな人、という観点で考えれば、五十人以下にはなるかもしれない」

「確かに。でも、可能性が高そうな人っていうのがなぁ」パドマは、少し考え込むように視線を下げた。「その判断が難しいね」


「意図を想像するしかないんじゃないかなぁ」

「それ、恣意的な判断にならない?」

「なると思うけど、大きな問題ではないでしょ。最終的に街の人全員を検討するつもりでいれば。どうせ三百人を一斉に調べるわけにはいかないから、何かしらの順位付けは必要だしね。意図は、もちろん勝手な想像に過ぎないんだけど、ランダムに三百人から選ぶよりは妥当性が高い気もする」


「うーん」

 パドマは再び、考え込むように口をつぐんだ。彼女が私の意見を吟味ぎんみしているときは、なぜか少し緊張してしまう。

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