第26話:消失と疑念
噴水の向こう側に続く遊歩道も、来た道と特に変わりはない。数メートル間隔で背の高い針葉樹が立っている他は、姿を隠せそうな場所はなかった。道を挟んで十五メートルほど奥にいるアデリンが、ふいに灯りをこちらへ向けたら、見つかる可能性は高いだろう。せいぜい、身を
ただ幸運にも、前を行く彼女は何かを探すそぶりも見せず、淡々と進んでいた。時々小走りしないと、ついていけないほどのスピードで。私たちを探しに来たわけではないのなら、何をしに来たのだろうか。疑問がわく。
美しいながらも単調な道が終わりを見せ、アデリンは屋敷の立つ台地の角を右折した。私たちは小走りで川の上にかかった短い橋を渡り、崖に身を寄せる。慎重に向こうをのぞくと、建物の陰になったそこは、月の光が届かない漆黒の闇。サーチライトの灯りだけがちらちらと揺れている。
「ここからどうする?」
彼女の真後ろをついていくことに
「追うしかないでしょ」
彼女は当然と言わんばかりに答える。心の
「でも隠れる場所がないでしょ? 見つかったらどうするの?」
「どうもしないって。静かに怒られるだけ。何が起きると思ってるの?」
「いや、具体的にどうされるかは、想像してないんだけど……」
「拘束されて過酷な
「うん。まぁ、そういう方向性」
「冷静に考えてみよう。その可能性は低くない?」
「どうかなぁ」反論するつもりで考えを巡らせ始めたものの、すぐに、先入観で事態を捻じ曲げているのは自分の方だと思い知った。「確かに、怒られるだけで済むのかもしれない」
「でしょ?」
パドマは馬鹿にするでもなく、軽く言った。冷静さを欠いて、事態を悪い方へ悪い方へ想像していた自分が意識され、少し恥ずかしさを感じる。
「じゃあ、行きますか」
少女の問いかけに、私はうなずいた。が、
「あれっ?」
進みだしたパドマは、すぐに立ち止まった。
「どうしたの?」
「アデリンがいなくなった」
少女のわきから前方を眺めると、そこには確かに、漆黒の闇だけがあった。サーチライトの灯りは、どこにも見えない。
「脇道とか階段とかがあるのな?」
「かもしれない。とりあえず進むけど、いい?」
「慎重にね」
私が言うと、パドマは再び歩き始めた。
右手にある崖の冷たさを手で確かめながら、彼女の後ろを慎重に進んでいく。かすかに見える自分の足元を見る限り、今まで歩いてきた遊歩道と同じような道が続いているようだ。左にどれくらいの幅があるのか確かめる勇気はないけれど、少なくとも十五メートル以内に崖があるらしい。大地のない空間が月明かりに照らされている。
「うーん、特に行けそうなところもないなぁ」
二十メートルほど進んだところで、少女が嘆いた。
「少なくとも、崖側にはわき道も、屋敷への出入り口もなかったね」
「左の方に何かあるのかぁ」
そう言いながら、パドマは恐る恐る壁から手を放し、暗闇の中へ進んでいく。
「危ないよ」
崖に触れた腕を精一杯伸ばすも、指先に岩の存在を感じていたい私である。
「常識的に考えて、いきなり崖になってることはないでしょ。それにゆっくり行けば大丈夫。足元は見えるし」
またも冷静な判断を見せた少女は、ゆっくりと確実に進んでいき、あっという間に
五メートルほど前進した。そして、「あっ、ここに柵がある」とつぶやく。
「アガサも来なよ。落ちないから」
「パドマって、高いところ苦手じゃなかった?」
大きな疑問を胸に、崖から手を離す。
「あぁ、確かに。なんでだろう? 見えないと大丈夫なのかなぁ」
不思議がる彼女を見て、制御システムが壊れた可能性を想定するも、わずかな罪悪感が胸の中に生まれた。
「で、何かありそう? 階段的なもの」
「うーん、それが特に無さそうなんだよねぇ」
「そっか。そうなるとますます不思議だなぁ」
「あっ、ちょっと待って」
パドマが再び、声を上げた。
「何かあった? 階段とか――
と、暗闇に言葉を投げた瞬間、目の前を光の筋が貫く。驚きに体が震えた。
「そろそろ戻って来ていただいても良いでしょうか」
直後に聞こえた声は、コイトマのものだった。
「すみません」
安堵から息がもれる。声の出どころに目を向けると、交差した光の筋の中に、彼女ともう一人の女性の姿があった。昨日の夜、食堂に王家の人間が現れた際、コイトマと一緒に入ってきた人物の一人だ。
「出歩いてはだめ、ということはないのですが、あまり遠くまで行かないでいただけると嬉しいです」
「ただの散歩なんだけどなぁ」
背後の暗闇の中から、パドマも姿を現す。
「はい、存じております。ただ、時期が時期ですから」
「そうですよね。ご迷惑をおかけしました」
寒さで活動限界が近づいていることもあって、私は素直に二人のもとへ歩み寄る。
「あそこにあるのはエレベーター?」
後からついてきたパドマが、コイトマに尋ねた。だから声を上げたのか、と自己解決。
「はい、そうです」
「どこにつながってるの?」
「この大地の近くに川が流れておりまして、そこへ行くときに使いますね」
「あっ、山の中を通っている川ですか?」
「えぇ」
「昨日の朝渡ってきたやつか」パドマは一人で頷いた。「それ以外に何かある?」
「特にはないですが、何か気になることでも?」
「ううん、別に。ちょっと興味があっただけ」
少女は首を振った後で、視線を落とした。考え事をする時は、いつもこうだ。
その後、私たちは二人に連れられ、離れへの道を進んだ。名前を知らない方の女性とは屋敷に至る階段部分で別れたため、離れの庭まで来たのはコイトマ一人だった。
「では、本日はこれで。今度こそ出歩かないでくださいね」
庭に入る黒い門を開けて、彼女は言う。
「はーい」「分かりました」
二人の返事が重なった。
先に門をくぐったパドマは、軽やかに芝生の上を跳ねていき、ガラスの扉を開ける。
「おやすみなさい」
私は頭を下げるコイトマに頭を下げ返し、後に続いた。後ろ手に扉を閉めてカーテンをひくと、虫の声が一気に小さくなる。と同時に、
「明日はエレベーターの先を探してみよう」
少女の言葉が、部屋の中に響いた。
「うん、何があるのか気になるね。アデリンは、私たちを探しに来たわけじゃなさそうだし」
「オニが出るかジャが出るか」
「何それ?」
「古いことわざ。知らないの?」
「知らない。どういう意味?」
「秘密」
パドマは呪文のような言葉を残したまま、ベッドに体を投げ出す。答えるつもりがないのは明らかだ。
私は消化不良な気持ちを持て余し、ソファに身を預けた。明日時間があったら、街の図書館で言われた言葉を調べてみよう、と心に決めて。
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