第25話:月夜の追跡

 ガラスの扉を開けて外に降り、離れの小さな庭を抜け、川の左側を走る遊歩道を進んだ。パドマいわく、右側の道は朝通ったから嫌、なのだとか。


 月明かりに照らされた庭園は、周囲に照明がないこともあり、青白いトーンに統一されている。雲一つない空模様だから、あたりの光景はぼんやりと見えるものの、月が隠れたら真っ暗闇に包まれてしまうはず。白いワンピースを着た少女のホラー性も、より高まるに違いない。


 ワンピースの裾をはためかせながら、軽い足取りで前を行く彼女は、冷たい風もどこ吹く風。パーカーを羽織ってもなお肌寒さを感じている私とは、温度の感じ方に違いがあるらしい。


「噴水のあたりがどうなっているか、見るだけだよね?」

「なに、怖いの?」

 現状の気温における自分の活動可能時間に不安を覚え、意図を確認してみたものの、望んだ回答は得られなかった。


「別に怖くはないんだけど……」

「大丈夫だって、私もいるし」

 パドマは、とても楽しそうに振り向いた。こちらの弱みを握ったと勘違いしているのであれば、調査が長くなるのは必須だ。思わずため息が漏れる。


「アガサ暗いところとか苦手なんだぁ、意外。何が怖いの?」

 後ろ歩きをしながら、彼女は言葉を続ける。

「何がって言われてもなぁ」答えに悩んで前方を眺めると、少女の後ろに噴水が近づきつつあるのが見えた。「気を付けてね、後ろぶつからないように」


「大丈夫、水の音で分かってるから。そうやってごまかすのは、恥ずかしいと思うけどぉ」

 どんな言葉であっても、自分に都合の良いように解釈できるらしい。自分の置かれている状況のもどかしさに、再びため息。


 そんな私を励ますように、ちょうど、パドマの後ろで水が吹き上がった。

 視線がそちらに誘導されたところで、水柱の間を貫くように、光の筋が右手から差し込む。光源がどんなものかは分からないけれど、光の線は上空まで細く伸びており、地上に人がいる可能性を感じさせた。


 ほとんど反射的に、パドマの元まで走り彼女の口を押えていた。もごもごと何かを話そうとしている少女に向け、唇に指をあてる仕草をして見せ、噴水の向こうを指さす。パドマは彼女らしい察しの早さでこくりとうなずき、体の動きを停止させた。私は少女の体から手を放し、噴水を囲う腰ほどの高さの塀に隠れる形で、向こうをのぞく。


 ちらちらと揺れる光の出どころから想像するに、光源を持った人物は、屋敷から庭園へ階段を下りてきているようだ。私たちのことを探しに来たのだろうか。吹き上がる水のせいで、人物の特定ができない。

 頭を低くすることに意識を集中させ、噴水の端まで進む。壁の左側から顔をのぞかせると、階段の出口が視界に入った。


 向こうから歩いてきた人物は、ちょうど階段を下りきったところ。姿は見えているものの、階段を照らす灯りのせいで逆光になっており、顔が暗く沈んでいる。彼女はこちらを探す様子もなく、向かって左手に体の向きを変えた。

 と、そのさなかに、顔の表面で何かが光った。かすかな明かりが映し出したのは透明なレンズで、その横顔は間違いなく――


「アデリンだ」

 すぐ耳元で、パドマがささやいた。突然声が聞こえた恐怖で、再び反射的に彼女の口を押えてしまう。少女は目を見開いて、体をジタバタとさせた。

 その様子を見た瞬間、バクバクと音を鳴らす鼓動が意識され、自分の焦りを自覚。突発的な恐怖が、多少収まった。私は少女の口から手を外し「ごめん、ちょっと勢いで」と頭を下げる。


「あのくらいの声が聞こえるわけないでしょ」

 パドマはそう言いながら、こちらの腕をはたいた。鈍いながらも高い音が鳴り、再び心臓を鷲づかみされたような恐怖が走る。


「落ち着いて、今度こそ聞こえるって」

「アガサこそ落ち着いてよ。あんなところにいるんだから、聞こえるわけがない。噴水の音の方が明らかに大きいから」

 少女の指さす先を追うと、アデリンの後ろ姿が見えた。いつの間にか二十メートルほど離れた場所にいる。


「ほら、追いかけるよ」

 パドマは身をかがめながら、後を追い始めた。

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