第1章 -初日-

第1話:少女の探索

「それ本当?」

 早朝の話を興奮気味に話すと、パドマが疑わし気な視線を向けてきた。ひとまず、自分の存在は棚に上げることにしたらしい。


「本当だって」

「寝ぼけてたんじゃないの?」

「水が冷たかったから、えに冴えてた」

「水を飲んだところも夢だった可能性は?」


「その解釈はずるいなぁ。反論ができない」

「させるつもりがないんだけど」

「信じようとする努力を放棄してない?」

「当たり前じゃん。信じる気ないもん」


 パドマはあきれたように言って、顔を前へ向けた。これ以上議論を続けるつもりはないらしい。消化不良。仕方なく、私は川の観察を再開させた。そろそろ向こう岸へ渡りたいところだ。


 簡単な朝食を済ませ、諸々の後始末をしてから五分ほど、川の流れに沿って続く遊歩道を進んでいた。林に囲まれた優雅な石畳の歩道は、コケや雑草に浸食されつつあるものの、ホバースクーターで進んで行くのに支障はない。


 頭の良いスクーターが、障害物の多さに見合った速度で走っているため、ゆったりとした歩みではあるけれど、それでも時速二十キロくらいは出ているはずで、さすがに一つくらい橋に遭遇してもいいような気がする。近くに人が住んでいるなら、なおさらだ。焦りの感情が心の中につのっている。


 一方、斜め前を行くパドマは、栗色の髪をなびかせて気持ちよさそうにツーリングを楽しんでいた。深い紅に染められた古典的なドレスを着て、真っ白いスクーターを操っている様子は、くらくらするほど現実感がない。


 こういう姿を見ていると、彼女を人間だと信じようとしている自分が、馬鹿らしく思えてくる。陶器のような肌も、少し灰色がかった虹彩こうさいも、フリルのついた骨董品ものの靴下も、思えばすべてが不自然だ。おそらく、デフォルメされた中世ヨーロッパに入れ込んだコレクターが、かつてどこかの企業に作らせたのだろう――


 と、そんな結論に至るのは、ここ三か月で二十回目くらい。どうせ、私はまた、彼女が人間である可能性を疑う。きっと期待しているのだ。自分の健気けなげさに、思わず涙が出そうになる。


「あっ、橋あるよ。渡る?」

 振り向いた彼女が示した先には、石造りの橋。


「渡ろう」

 私が答えるより早く、少女は道の左端にスクーターを誘導していた。

 

 橋を渡ってさらに進んでいくと、湿度の高い林の代わりに、太陽の光がまぶしい牧草地帯が現れた。前方には、どこまでも続く草原の遠く向こうに、険しい山が連なっている。五分前に抜けてきた山とは、比べ物にならないくらいの大きさだ。


 数日間滞在していたそのちょっと小ぶりな山は、左手に裾野すそのを伸ばしてきており、視界をふさぐようにごつごつとした崖を形作っていた。高さは十五メートルくらいだろうか。拡張スーツを使えば、登れなくもなさそうだ。


「で、これからどうするの?」

 クリフクライミングのシミュレーションをしていたら、パドマが聞いてきた。


「人の生活の痕跡こんせきを探す。あのくらいの子が一人で生活できるとは思えないし、家とか街の残骸ざんがいとかがあると思うんだよね」

「そう? 私は一人で暮らしてたけど」

「あなたは特別。それに家はあったでしょ」

「あれ、家って言う?」


「言うと思うよ。だって――

 彼女の問いかけにひとまず反論してみたものの、商業施設の入った高層ビルでの生活を想像した途端、自分の回答に自信が持てなくなってしまった。言葉に詰まる。


「ほらね」

 パドマが眼を細くした。


「まぁ、家と呼べるかは置いておいて、住む場所はあるだろうから、それを探そう」

「こんなに広いところで?」

「見える場所をすべて探す必要はないって。子供の足で歩いて行ける範囲だけ見ていけばいいと思う」

「私たちみたいに、乗り物を使っている可能性は?」

「それは、もちろん、あるけど……」


 彼女の鋭い(?)指摘に反論の言葉を探していると、視界の端にきらりと光る何かを捉えた。反射的にまぶたが閉じるも、光は間違いなく眼球を通過しており、目の奥にわずかな痛みを感じる。どくどくとうずくような痛みだ。

 目を押さえて、不快な感覚が引くのを待った。


「どうしたの? ねぇ」


「ちょっと待って」

 不満そうな声をあげるパドマにてのひらを向け、光の出所を探す。右手に広がる牧草地から石畳の道、左手の崖へと焦点を動かしていき、そのまま崖に沿って奥の方へ視線を移していく。


 すると、左に大きく曲がった崖の先の方に、ガラスで作られた建物のようなものが見えた。百メートルほど距離があるため、何を意図して作られたものかは判断がつかないものの、まぶしさをもたらした元凶には違いなさそうだった。


「何、どうしたの?」

 口をすぼめたパドマに、「とりあえずあそこまで行ってから」と、ガラスの建築物の方を指さして答える。ハンドルを握る手に、力が入った。

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