番外編

壱 思い出したくもなかった縁

 もと小学校6年2組の教室は、騒がしさのピークを迎えていた。と言っても、コメディアンや大道芸人が来た訳でもなければ、動物園から逃げ出したホワイトタイガーが侵入した訳でもない。騒ぎの中心に田中たなか明照あきてるは居た。

「お前の声は女かよ」

「男の癖に何そのキモい声」

学級の大多数が明照を囲み、思いつく限りの罵声を浴びせ、時にはゴミを投げていた。当時、未だ弱気だった明照はこの状況に為す術も無く如何して良いか全く分からなかった。時の流れはこんな時に限って矢鱈遅く感じられた。家族に言おうとも考えたが、心配させたくないからと思い留まってきた。だが、このまま卒業なんて嫌だ。明照は複雑な思いを抱えていた。


 或る日、思い切って祖父母に相談すると、予想の斜め上を行く答えが返ってきた。

「これを持って行けば役に立つ」

「えぇと…あぁ、そうだったかしらね」

均と清美から渡された物はボタンの付いたベスト・万年筆・消しゴムだった。

「あの、これは…」

ポカンとする明照の頭を撫でつつ均は笑顔を見せた。

「明日、帰ったら直ぐこの部屋に来なさい。大丈夫。これで問題は解決するから。辛いだろうに、よく話してくれた」

全く以て意味不明だったが、兎も角も言う通りにした。


 翌日下校後、指示通り明照はこれを祖父母に渡した。丁度金曜なので好都合と言われたものの、意図が分からなかった。

「後の事は全て任せて、自分の好きな事してなさい」

「大丈夫。必ず解決させるから」

「あ、有難う……」

相変わらず意味は分からないものの、明照は自室に戻りSongTubeソングチューブの画面を開いた。



 月曜日、登校してみると校内は大騒ぎになっていた。見ると、学校には何やら電話が殺到し、職員達は対応に忙殺されていた。

「何が有ったんだろう」

考えつつ行ってみると、何時もあれ程容赦無く明照を虐めてきた同級生達が青菜に塩だった。数分後、チャイムが鳴り、当時の担任、石井いしい真由美まゆみが恐ろしい形相で入ってきた。

「今日は皆にとても重要なお知らせをしなくてはなりません。知っての通り、私立中学に合格した子がうちのクラスには何人か居ますよね。しかも、何人かは特待生でした。ところが今日、先方から電話が来て、特待生待遇の受験者全員の合格が取消になりました。それによって生じた空白には、補欠の子達が入りました」

次の瞬間、明照は祖父母の謎の行動の意図を悟った。あのベスト・消しゴム・万年筆は超小型カメラだったんだ。何も言わなかったのはバレない様にする為の対策だったという訳か。考えていると、石井真由美は言葉を続けた。

「何でこうなったと思いますか? 当事者は一番詳しく知っているでしょ。そうだよね、津田君!」

指名された男子生徒、津田つだじょうは震え上がった。

「た、田中明照君の声の事で揶揄からかいました」

「揶揄ったでは済まないでしょ!」

「ひぃっ…! ぞ、雑巾投げたことも有りますっ!」

閻魔大王による裁きを思わせる状況下で、虐めを行なっていた者達は、一人、また一人と自白し始めた。

「分かっていると思うけど、御家族は既にこの事を全部知っているからね。序に言うけど、見てただけの子も同罪だから。罪悪感を覚えていようといまいと一切関係無いよ」

教室は地獄絵図と化した。恐怖の余り、失禁する者、泣き叫ぶ者、過呼吸になる者が続出し、収拾がつかなくなっていた。


収拾がつかないので状態異常に陥った児童を保健室へ行かせた後、石井真由美は明照を呼び寄せた。

「本当に申し訳無かったね。先生として不甲斐無い。穴が有ったら入りたいよ」

抱き締められた途端、明照は一挙に涙腺が緩んだ。

「良いよ。気が済むまで泣きなさい。許すから。何人か泣いてたけど、一番泣きたいのは君だよね」

大きく頷きながら、明照は泣き叫び、心成しか赤ちゃん返りした様な心理だった。


 これにより、6年2組の児童達の悪事は全て露見して連日マスコミが怒涛の如く押し寄せてきた。物証が揃っている上、犯人達も自白したので誤魔化せなかった。


 数日後、顔中痣だらけの者が、或は坊主頭に瘤だらけの者が、もしくは頰に手形を幾重も重ねた者が、家族に連れられて目を真っ赤にしつつ謝罪に来た。


 この日を境に虐めは完全に無くなった。しかし、友達も殆ど居なくなった。何故か悪事が全部筒抜けになったことで、皆が明照を悪魔の子と恐れる様になった。



 久方ぶりに当時の夢を見て魘された明照は起き上がった瞬間、寝汗で背中と胸を濡らしていた事に気付いた。

「…変な時間に目が覚めたな。まぁ良いや。今日は杏果ちゃんから買い物頼まれてたんだった。寝過ごして約束を忘れるより200倍マシだ」

時計はAM05:31を指していた。



 駅前の商店街で買い物を終えた後、杏果の家に向かう途中で通り掛かった公園に、派手な身なりの男女5人組が居た。横目で見た瞬間、それが誰か一瞬で見抜いた。見なかったことにしようと考え、目線を逸らした直後忘れたくても忘れられない声がした。

「あっれ〜? 田中明照じゃね?」

全身黒づくめの不良、津田丈は虐めグループの首領だった。気が短く、荒っぽい、それでいて悪知恵は働く、兎に角明照にとっては最悪の存在だった。

「ヒャーハハハハハ! 相変わらず貧相だなぁおい」

髪も含め全身赤づくめの上村うえむら翔平しょうへいはガムを噛んではいたが、猛禽類の様な目つきは変わっていなかった。

「いやいや、貧相でもサンドバッグ程度なら使えるだろ」

髪を含め全身黄色づくめの木村きむら義雄よしおは、今日はどのボクシンググローブを使おうか迷っていた。

「身長こそ伸びたものの、奴の勝率は0で御座るな」

チリチリ頭に青づくめの葉山はやま浩一こういちはタブレットを弄りながら

ねちっこい笑みを浮かべた。本来、丈はこのタイプの人間は大嫌いだが、彼の高い知能が気に入ったので側用人として認めていた。

「丈、こいつにはどんな“御礼”する? 私なら選択肢幾らでも出せるわ」

茶色のロングヘアーに全身紫の紅一点、萩原はぎはら由紀ゆきは恋人である丈に甘え寄っていた。しかし、その瞳は美しくも残忍なオーラを漂わせていた。


 主犯格であるこの5人は、悪事がバレた結果、名門私立中学への特待生合格が取り消された。加えて、他の学校からも受験自体を拒まれた。親や親戚からは一生分怒られネットでもオフラインでも皆から石を投げられ、一時は憔悴していた。何とか受け入れてくれた学校でも相変わらず荒れ狂い、先生も随分昔に匙を投げていた。


「まさかこんな所で会うとはな。随分大きい荷物抱えて、おつかいか?」

「う、うん……まぁ、そんなとこ」

相変わらず弱気な明照を見て、一同は少しだけ安堵した。知らない間に暴力団と懇意にでもしていたら後が怖い。だが、それは杞憂と直ぐに分かった。

「私達の人生無茶苦茶にしてくれて有難う。こんな体験、幾ら金を積んでも出来ないもの。本書けるかも?」

何も知らない人なら簡単に騙されるこの笑顔は作り物であると明照は熟知していた。何も言えずにいると、葉山浩一は不意にタブレットから目線を上げた。

「金で問題が解決する訳ではないので御座るが、有り金丸ごと頂かないと腹の虫が治まらないで御座るな」

鮮やかなピンクのグローブをはめた木村義雄は準備運動を始めた。

「まぁ待て。只奪うだけじゃ何も面白くない。暫く弄んだ後でも十分だろ」

「良いねぇ! それでいこう」

メリケンサックをはめた上村翔平は、誰かが止めないと、いの一番に明照の顔面を砕きそうな勢いだった。逃げようかと思ったが、1:5では流石に分が悪い。と言って、警察を呼ぶタイミングは無い。そんな時2つの巨体が明照の真横から現れた。

「明照、そいつら何者?」

「返答次第ではここに赤い海が出来るから」

次の瞬間、5人組は先程迄紅潮させていた顔を真っ青にした。根路銘ねろめたかし赤嶺あかみね美娜みな。その知名度は非常に高かった。並居るヤンキー達を全員病院送りにした上、一生消えないトラウマを植え付けた伝説のカップルとして恐れられていた。

「あ、明照君、御両人の御友達? 良かったら俺らの事を紹介してくれないかな」

急に猫撫で声になった丈は不自然な笑いを浮かべつつ後退りした。

「足掛け2年の付き合いだよ。仲人と、結婚式の司会任された」

その瞬間、5人組は目玉が飛び出た。行く所全て戦場にする凶悪カップルがそんな事を、弱味噌の明照に頼むなんて。

「あ、あの…それはエイプリルフールの予行演習ですよね?」

数分前までハイテンションだった上村翔平は、油断していると失禁しそうだった。

「そんな嘘吐いたって誰も鐚一文も得しねーだろ。それに俺らは明照と杏果ちゃんの仲人と司会、引き受けたから。交換条件としては妥当だろ?」

崇の言葉に5人は腰を抜かした。明照に婚約者が居るなんて。一体どんな奴なんだ。似た者同士なのか。それとも、正反対の奴なのか。

「あ、もしかして嘘だと思っている? 良いよ。実際会えば分かるから」

訳も分からないまま、一行は明照に連れられて公園の南側に向かった。杏果とはそこで会う約束だった。


 程なく、小さな足音が聞こえてきた。その直後、一見5〜6歳程度にしか見えない幼女が姿を見せた。当初、不良達は、全く無関係の通行人と思い込んでいた。だが、数秒後、3度目の震撼が5人を襲った。

「明照君、来たね。代わりに買い物に行ってくれて有難う」

杏果の姿が見えたので明照はすぐさま屈んだ。そして抱き上げると、唇を重ねた。それを見て不良達は発狂した。

「嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だーーーーー!!」

「嫌ああああああああああああああ」

丈と翔平が余りに叫ぶので、通行人達は思わず振り返った。

「おい、これ如何なっているんだ!」

「まさか金で芝居を引き受けたんじゃないで御座るよね?」

「これは悪い夢よね? そうよね? そうだと言って!!」

義雄・浩一・由紀も現実を受け入れられずパニックに陥った。

「こ、こんなの見たって何も悔しくなんてないぞ!!」

半泣きになりながら5人の不良達はブリザードの如く去っていった。


「明照君、あれ、何?……」

「忘れて良いよ」

明照としては、あの様な連中の存在は杏果の記憶から1秒でも早く消したかった。

「明照、怪我は無いか?」

「何も盗まれてない?」

崇と美娜は明照に異常が無いか気遣った。

「怪我は無いけど1つ盗まれた物が有るよ」

次の瞬間、カップルの表情が硬化した。

「何だと? おい、全部正直に言え」

「御礼参り対策なら大丈夫だから、心配しないで」

一瞬驚きはしたが、明照はこの2人の前では冷静だった。

「もう手遅れだよ。だって僕、杏果ちゃんにファーストキスも心も奪われちゃったからね。最初こそ混乱したけど、今は受け入れているよ」

意外な“犯人”を知った後、2人は一時的に固まった。数秒後、けたたましい笑い声が響き渡った。

「盗まれたってそういう意味かよlolololololololololololololololol」

「そりゃ如何したって怒れないわlolololololololololololololololol」

散々笑った後、やっと落ち着いた2人は明照と杏果を家へ送った。

「たーかーにーにー、みーなーねーねー、送ってくれたから、御礼にうちで桃でも食べない? 急ぎじゃないならの話だけど」

思いがけず、天使からの招待状が届き、崇と美娜はニヤつきながらもこれを快諾した。



 数日後、件の5人組が覚醒剤と大麻とシンナーを摂取した後、盗んだ車で無免許運転の末、混雑するファーストフード店に突っ込んだ結果、病院に運ばれたと報じられた。病院での検査の結果、大量のアルコールが検知された。流石の明照も、これには乾いた笑いしか出てこなかった。

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