拾弐ノ幕 魂の全てを込めて

 様々なイベントの為に使われる劇場、フェニックスホールでは今正に授賞式が行われていた。館内最大の会場、獅子のの舞台上では、明照が表彰台の頂点に立っていた。その手には、最優秀賞・アイデア賞・敢闘賞の、3枚の表彰状が有った。



 ここで時は合唱コンクールの数日後の午後に遡る。この日、担任の仙石せんごくさとしは普段以上に上機嫌だった。

「皆、どうか心して聞いて欲しい。先日の合唱コンクールを見に来た人々の中に、全国音楽祭協会の幹部の方々がいらっしゃった。その人は、是非我々のクラスに出場して欲しいと御願いしてきた。勿論、これはあくまで任意ではある。だが、俺としては是非とも出場と云う選択をしたい」

この意見に反対する者など1人も居なかった。

「出ましょう!」

「私達は無敵です!」

「俺らの凄さ、見せてやる!」

「リーダーは勿論前と同じだ!」

そこから先はあっという間だった。楽曲自体は今回も同じだった。しかし、どうせならもっと工夫しようと考えた結果、今回は1番をドイツ語・2番を日本語・3番をロシア語で歌った。この作戦は見事に成功し、事前審査もあっさり通った。



 そうして、当日、2年A組は魂の全てを込めて、心を燃やして歌った。結果、見事に最優秀賞に輝いた。それに加えて、敢闘賞とアイデア賞までも手にすることに成功した。終わった後、ロビーに出てきた明照のもとに、杏果が駆け寄ってきた。姿勢を低くして抱き上げると、明照は今有った事を話した。

「杏果ちゃん、僕達は見事にやったよ。あの、意気地無しでネガティブだった僕がやったんだ」

「客席で見てたよ。おめでとう!」

少し遅れて小野田おのだ寛司かんじ英子えいこ夫妻とアナスタシアも姿を見せた。

「皆様、おめでとうございます!」

「自分の事の様に嬉しいわ」

「慣れない言語の歌を歌うのは大変だったでしょう。皆様がこれ程までに革命的大躍進を遂げて、自分の事の様に嬉しいです!」

態々見に来てくれたと知って、2年A組一同は目頭が熱くなった。

えんはるばる見に来て下さり、嬉しいです!」

「皆さんの御蔭です」

「本当に有難う御座いました!」

頃合を見て仙石聡は皆を注目させた。

「よくやった。今日の事は何時迄も忘れられないだろう。皆が皆の責務を全うした結果だ。俺は2年A組を誇りに思う。魂の全てを込めて、心を燃やして歌った皆は偉大だ!」

皆が聞き入る中、聡の目線は明照に向かった。

「それから、田中明照。そのままで良いから聞いてくれ」

「え、あ、は、はい!」

その瞬間、明照は自分が杏果を抱っこしている事を思い出した。

「君の御家族と、その少女の祖父母から聞いた。許嫁と言うには時期が遅いかも知れないが、兎も角も、君達は将来を誓い合った仲なのだな。おめでとう! 今日は目出度い事が相次ぐな。君の出欠表に関しては、出席したものとして認めるから、先に帰ってその少女と一緒に過ごすと良い。反省会なら別に今日でなくても出来る」

ふと見ると、自分の両親と祖父母も何時の間にか来ていた。

「明照、おめでとう!」

「あなたを産んで本当に良かったわ。明照は我が家の誇りよ」

靖彦やすひこ千枝ちえからの賛辞は生まれて初めてだった気がした。

「良かったな、賞状に加えて婚約者まで居るなんて」

「何時迄も愛し合うのよ。浮気なんて巫山戯た真似は誰が何と言おうと絶対許さないから覚えておきなさいね…えぇと、恭子ちゃん…あら、麗華ちゃんだったかしら? 公子ちゃん…は違うし…」

相変わらず物忘れが酷い清美きよみに、ひとしは勿論、他の面子も呆れた。そんな中、場の雰囲気を変えたのは杏果だった。

「皆、祝ってくれて有難うー! 今から凄いもの見せるよ」

明照を含め、全員が何事か分からずにいると、杏果は不意に明照の唇に強烈なチューをした。その瞬間、時が凍りついた。そして数秒後、拍手と歓声の嵐が起こった。

「明照、おめでとうー!」

「悲しませたら許さないぞー」

「結婚式には呼びなさいよね」

「新婚旅行は何処に行くのー?」

明照は誰にも絶対譲らない宣言はこうして発布された。



 然も、サクセスストーリーはこれだけでは終わらなかった。数日後の放課後、明照・崇・美娜は突如校長室へ呼び出された。余程模範的な事をしたか、或はその正反対の事か。全く以て訳も分からないまま、足をガクガクさせつつ入ると、そこには担任の仙石聡・音楽教諭の佐竹さたけ陽子ようこ・校長の沼田ぬまたくるみ・教頭の大石おおいし陽太ようたに加え、初めて見る人物が複数居た。見慣れない人々は立ち上がると3人に丁寧に挨拶をした。

「初めまして。田中たなか明照あきてる君、根路銘ねろめたかし君、赤嶺あかみね美娜みなさん。私は国際フェリーチェ大学学長、嵐山あらしやま雪美ゆきみです」

「同大学、音楽学部長、声楽科担当の鶴見つるみ創一そういちです」

「附属高校の校長、花園はなぞの由羅ゆらです」

「同校の教務主任、城島きじま高雄たかおです」

3人はやっとの事で挨拶を返した。国際フェリーチェ大学と言えば名門校の中でも別格の存在であり、そこの教員や学生は雲上人とか神様とかいうレベルでは済まない程の存在だった。一体何事なのかと考えていると、沼田くるみ校長は事情を話し始めた。

「結論から言います。皆さんを特待生として無試験で入学させるそうです。然も、学費は全て無料との事です」

杏果と触れ合い何度か超展開を目にしてきた明照でも今の発言は寝耳に水だった。崇と美娜にとっては尚更だった。呆気に取られる3人を他所に、教頭は内容を補足した。

「然も、試験で基準点を取ればエスカレーター式に大学・大学院へと進学が出来る。更に、卒業後、希望するならば高校・大学・大学院の何れかで教職として働ける様に斡旋して下さるそうだ」

身に余る厚遇に3人は訳が分からなくなった。確かに嬉しいことは嬉しいが何か裏が有る気がした。それを察してか、学長は理由を話し始めた。

「驚くのも当然でしょうね。何故自分達がこんな破格の条件を提示されるのか。数日前、フェニックスホールで行われたコンクールを私達は見ていました。あの時、私達は皆さんの高い歌唱力は勿論、団結力・血の友誼・発想力・敢闘精神にナイアガラの滝の如き感涙を流したのです。未だこんなにも偉大な魂の持ち主が居たのかと驚かされました。私は皆様を敬服せずにはいられません」

自分達が当たり前と思っていた事が、まさかこんな結果になるなんて。3人は返す言葉が思い浮かばなかった。固い表情になっているのを見て、附属高校の校長は優しい笑顔を見せた。

「嫌な事を言うと、何処の世界でも、知識や経験を積んで技術力が上がると、人はどうしても傲慢になるものなのよ。勿論、全員がそうとは言わないけどね。だけど、校内でのコンクールに関する御話を聞いた限り、あなた方は強い指導力を発揮しながらも、決して誰も踏みつけにしなかったわ。これは一見簡単そうに見えて非常に難しいのよ。一流の人間にならずして、どうして一流の音楽が出来るかしら?」

漸く情報処理が追いついたところで、最初に発言を申し出たのは美娜だった。

「これ以上無い有難い御話ですが、交換条件は何でしょうか。如何考えてもタダで受けられる特典とは思えないんです」

予期せぬ発言に陽子は慌てふためいた。

「こら、何を言うねんな」

だが、附属高校の教務主任は至って冷静だった。

「いえ、構いません。私がこの3人の立場だったとしても同じ事を考えますから。赤嶺さん、よく分かったね。正解。とは言っても無茶苦茶な事ではないよ。安心してね」

そうして教務主任が話した内容を要約すると以下の通りだった。



*犯罪行為等、学園の看板に泥を塗ったら契約破棄

*契約内容は許可が無い限り対外秘

*家族には学園から話す

*何時迄も3人の血の友誼を大切にすること


予想以上に容易い条件に、全員胸を撫で下ろした。そうと決まれば後は至って簡単だった。最初にボールペンを取り出したのは崇だった。

「この御話、喜んで御受け致します。今後、御世話になります!」

崇の姿を見て明照と美娜も決心した。


 一通り手続きが終わると、崇と美娜は先に帰されたが、明照は他に話が有るからと未だ残されていた。

「僕に御話が有るとの事ですが……」

内容に全く心当たりが無かった明照は再び緊張してきた。そんな時、またもや予想外の言葉が耳に入った。

「稲葉杏果さんは御元気ですか?」

「はい、昨日も一緒に魔法少女ごっこしました…って、えぇ!?」

思わず明照は素っ頓狂な声を上げてしまった。何故学長が存在を知っているのか。

「小野田寛司先生と小林英子先生には昔大変お世話になりました。あぁ、小林っていうのは旧姓です」

ポカンとしている明照に、担任の仙石聡が事情を話し始めた。

「歌声喫茶“ひかり”の主宰者夫妻は昔、国際フェリーチェ大学の教授をなさっていたそうだ。此方の方々は昔の教え子だという」

全く想定していなかった事実に目を見開いていると、学部長は苦笑しつつ昔の事を話し始めた。

「小野田教授と小林教授は、今では到底分からないだろうけど、誰よりも厳格な御方でね。正当な理由の無い遅刻・早退・欠席・私語をする学生に対し般若の如き形相で怒鳴りつけていたものだよ。あの2人のゼミを志願した学生は皆“勇者”の称号を獲得したものさ。然も、技術だけ高くても、音楽自体を心から楽しんでないと見做されると問答無用で-100点なんて事もよく有ったのさ」

唖然としていると、フォローする様に附属高校の校長が補足した。

「だからって、断じて冷酷な悪魔ではなかったわ。苦学生に良い働き口を紹介したり、分からない事は徹底的に教えてくれたり、学内でのいじめを何度も解決したり…人によっては神様の様な存在だったのよ」

先日、家で甜瓜を御馳走になった時の優しい姿しか知らない明照は、般若の如き形相の二人を到底想像出来なかった。それを見て、理事長が更に付け足した。

「杏果さんが御生まれになった時、今迄1度も見せたことがない位ニヤついた顔と、不自然に高い声で報せて下さいました。角が取れるきっかけとしては十分でしょうね」

今度は容易に想像出来たので明照は笑いがこみ上げてきた。

「…随分話が長引きましたが、明照君、君には後1つ条件を足します。杏果さんと何時迄も御幸せに。御家族を事故で亡くされて以降、偽りの笑顔の仮面を被っていました。しかし明照君が真の笑顔を引き出して下さったので、元教え子の私達としては実に嬉しい限りです」

生易しいとは思えなかったが、拒む必然性は無かった。

「はい。喜んで承ります」

所々で笑いは有ったものの、話が漸く終わり、明照は校長室を出た。



 数日後の夜、明照は自宅の風呂場で杏果の体を洗っていた。

「痒い所は無い?」

「大丈夫だよー」

何時からか、明照は杏果との御泊まりが楽しみになった。小3には見えない位小さく、細い体に石鹸を塗りながら明照は考えた。身長は兎も角、こんなに痩せているなんて。家族の事故死は杏果の食欲を一体どれだけ暴落させたのだろうか。

「明照君、あたしの体は洗い易くて良いでしょ。あっという間だもんね」

「本当だね。普段ちゃんと三食食べている?」

「食べているよ。もしかして、あたしが食べる量少ないのを気にしている?」

顔を合わせていないのに考えている事を読まれて明照は心臓を掴まれたかの様な気がした。

「大丈夫。皆同じ事言うから分かるんだよ。あたしが食べるの少ないのは昔から。お医者さんも、特に大したことはないって言ってたから心配無いよ」

「そっか。それなら良いんだけど、僕は医学の事何も分からないから、今にも折れそうな位細くて心配で…」

明照が次に何言おうか考えていると、杏果は不意に正面を向き、泡だらけの体で抱きついた。

「え、あ、あの…」

抱きつかれる事自体には幾らか慣れてきたが、今のは予測出来なかった。行動の意図を分からずにいると、杏果は目線を上げた。

「大丈夫。こんな小さくて痩せた体でも、結構頑丈だから。幼稚園の時、相撲大会で3年連続で優勝した程だよ」

言われてみると、マッサージして貰った時、凄く力が強かった。勿論“小3にしては”という但書は付くが、それでも、明照の計算だと小6位の力は有る様に思えた。

「相撲大会で3年連続優勝したんだね。その話、良ければ後で詳しく聞かせてくれるかな」

「勿論良いよ」

洗い流し終え、マッサージを受けている最中、明照は不意に耳朶が生暖かくなったのを感じた。横目で見ると杏果が甘噛みしていた。その表情は、獲物を狩るサーバルキャットの様だった。

「杏果ちゃん…それ、僕以外にはやっちゃ嫌だからね」

「分かってる。明照君だからやったんだよ。こんな事崇君や美娜ちゃんにだってしないから。今、これで思い出が1つ増えたね」

その瞬間、明照は今年の夏休みが人生で最高に楽しかったと気付いた。

「今年は思い出が一挙に増えたね。潮干狩り・温泉・夏祭り・肝試し・海水浴・プール・動物園・水族館・遊園地…」

「今後もっと増えるよ。芋掘り・ハロウィン・感謝祭・クリスマス・忘年会・年越しカウントダウン・新年会・春節・バレンタイン・雛祭り・御花見・イースター…」

2人は色々想像して、思わず表情筋が緩んだ。


 湯船に入った後、明照は頭を撫でられながらも意を決して切り出した。

「あの、僕……教えて欲しい歌が有るんだ」

唐突ながらも嬉しい申し出に、杏果は目を輝かせた。

「明照君自ら教えを請うとは嬉しいねぇ。今のあたしは凄く機嫌が良いから何だってやっちゃうよ」

「それは有難い。僕が教えて欲しいのは…」

耳元で小声で言うと、明照は杏果の目をじっと見た。杏果は一瞬も躊躇せず、二つ返事で引き受けてくれた。

「遂にこの歌が選ばれたね。何時言われるかドキドキしてたよ。それじゃ、やろうか」

この日、風呂場にはソビエト社会主義共和国連邦の国歌の二重唱が響いた。家には他に誰も居ないので邪魔される可能性を気にせず、2人はリラックスして歌えた。

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