拾ノ幕 遂に来た! 音楽コンクール 前篇
紅葉が色付き始めた頃、明照の通う中学校では体育祭・文化祭に並ぶ行事の下準備が始まっていた。
「これより音楽コンクールに関する話し合いを始める。去年やったから基礎的な流れは分かっているな?」
社会科の担当であるクラスの担任、
「先ず課題曲のパート分けから始めるぞ。自分が去年どの音域だったか覚えているか? 余程の事が無い限り、原則同じで良いとは思う。只、問題が有るなら名乗り出てくれ。遠慮には及ばない」
明照は直ぐに嫌な記憶が蘇ったが、よく考えてみると、当時明照に嫌な事を言った連中は殆ど別のクラスになった。まして先生に告げ口した事で逆ギレして暴力を振るった輩は全員転校して居なくなっていた。
「未だ忘れられないか…でも良いんだ。前より酷くなった訳じゃない」
ものの数分もせず課題曲のパート分けは終わった。
「次、自由曲だが、候補は…」
この言葉を聞いた瞬間、明照はビリー・ザ・キッドが拳銃を抜くより早く手を挙げ、立ち上がったと思うと、聡に負けず劣らず大きい声で名乗り出た。
「はいっ!! 丁度良い楽曲を知っています! 音源も持ってきました!」
普段は存在感が殆ど無い明照の突飛な行動に、
「田中明照、随分凄い勢いだな。音源が有るなら先ずはそれを聴こう」
聡に促され、明照は前に出るとタブレットに収録された音楽を再生した。楽曲自体も全く知らないが、それ以上に、言語も謎だった。楽曲が終わると、聡は腕を組み大きく頷いた。
「誰か、この曲を1度でも聴いたことが有る者は居るか!?」
数秒待ったが誰も手を挙げなかった。
「誰も居ないか。田中明照、この曲について解説を頼む!」
「はい。この歌のタイトルは“国際学生連盟の歌”です。原爆を以てしても絶たれる事がない、熱い友情がテーマです」
「熱い友情か。気に入った! して、この言語は何だ?」
聡の圧にドキドキしながらも明照は答えた。
「これはロシア語です。何でかというと、今迄、英語の歌は有ったものの、他の外国語は未だ誰もやってなかったので、またとないチャンスだって考えたからです」
「よく調べたな。その通りだ! しかも、問題はこれだけではない。未だ正式に決まった訳ではないが、音楽コンクールは今年が最後になる可能性が有る。それを思うと、尚更最後に凄い物をやりたくなるな」
聡が乗り気になる一方、同級生の何人かは益々やる気を削がれていた。合唱自体が嫌でしょうがない+一度も聴いたこともない歌+全く知らない言語と、三重苦なのだ。そんな中、とある男子生徒が挙手した。
「あの、前例が無い事に挑むって考え自体は確かに素晴らしいよ。だけど、皆英語だって余り分からないのにロシア語って……正直な話、どうなの?」
これを皮切りに反対派が口々に騒ぎ出した。
「他に無かったのかよ」
「そうでなくても合唱ってだけで嫌なのに」
「巫山戯るなよ」
最初の内は未だ比較的まともな意見も有った。然し後半から、単純に明照本人への中傷に変わっていた。
「大体、陰キャの癖に何出しゃばってんだよ」
「臭い地味ぼっちの癖に生意気だぞ。身の程を弁えろ」
「去年、御前の所為で私ら無茶苦茶怒られたんだから」
罵倒の大嵐に晒されている間、明照は視界が暗くなってきた気がした。あぁ、結局去年と全く同じ事の繰り返しなのか。勇気を出して皆の前に立ったのは間違いだったのか。明照の耳に入ってくる言葉は最早只の雑音でしかなかった。そんな時、低く、それでいて威圧感の有る声が耳に入った。
「おい、今明照に地味だの生意気だのほざいた奴、正直に名乗り出ろ。それなら決して悪いようにはしねーから」
恐る恐る目線を向けると、赤嶺美娜は一見冷静に見えた。然し、本性を熟知する明照と、根路銘崇は理解した。下手な事を言おうものなら、確実に火に油を注ぐ結果になる。万一暴走を許せば教室中が鮮血で染まると判断した崇は、牽制も兼ねて立ち上がった。
「反対するならするでも別に良い。けどよ、それと明照本人への悪口は違うだろうが。分からないのか?」
次の瞬間、大部分の生徒は静かになった。崇と美娜は、普段はとても情深いが、キレさせたら誰も止められない暴れ者として非常に有名だった。しかし、それを知ってか知らずか、数名は未だ食い下がった。
「だってこいつ去年クラスを引っ掻き回したんだろ」
「何でこんなキモい奴なんかの肩を持つんだよ」
「もしかして、何か弱みを握られているから言いなりになっているの? 助けるよ?」
警告しても無駄だったと悟った美娜は崇に目線を向けた。小さく頷いたのを見ると、美娜は前に出てきた。
「貴様等さっきから聞いていれば明照への人格否定ばっかりして。そんな大それた事が出来る程偉いのかよ! 自分はマハーニルヴァーナに到達したとでも言うのかよ! 或は阿闍梨だとでも言うのかよ!」
「いや、そんな話はしてない……」
「喧しいわ!!!」
余りの怒声と剣幕に、明照すら震え上がった。
「貴様等ここへ一体何しに来たんだよ! 建設的な議論だろうが! 違うのか! 大体な、明照が去年何やったのかちゃんと分かってる奴、居るだろうがよ! 何で本当の事言わないんだよ! 明照を陥れて小遣い稼ぎでもするのかよ!」
美娜の本気の激怒に誰も何も言えなくなった。体を震わせているのを見て、聡は漸く口を開いた。
「うむ、よく言ってくれた。後の事は俺に任せて席に戻るんだ。田中明照、この音源を転送したい。良いか?」
「どうぞ」
聡は自分のタブレットにデータを転送すると再び顔を上げた。
「途中から完全に話が逸れたが、改めて尋ねる。他に自由曲の候補が有るなら聞こう」
またしても水を打った様に静かになった。散々好き勝手騒いで、場を掻き回した癖に誰も良い代案を用意していなかった。
「誰も候補を挙げないのならこのまま確定だぞ。本当に無いのか?」
数秒待ったが矢張り沈黙が続いた。
「何も無いか。よし、これでこの話はお終いだな。田中明照、この曲の歌詞を印刷したい。何処にアクセスすれば良い?」
「そう来ると思って用意しました」
明照は聡のタブレットに何やら入力し、とあるページを開いた。
「分かった。ルビが振ってあるとは実に用意周到だな! …おっと、もうこんな時間か。では本日はこれまで!」
丁度チャイムが鳴ったので聡はそのまま職員室へ戻った。それを見るや否や、生徒達も一斉に教室を去った。一足遅れて帰り支度を済ませた明照は、崇と美娜の机に向かった。来るのを分かっていたとでも言わんばかりの様子で2人は明照に目線を向けた。
「明照、よく頑張ったな。偉いぞ」
「最初に1歩踏み出すって勇気が要るよね」
先程迄の、羅刹の如きオーラは既に何処にも無かったのを見て、明照は表情を緩め、話し始めた。
「崇君、美娜ちゃん、僕の為にあれ程怒ってくれて有難う。家族ですらこんな事してくれた経験は一度も無かったから凄く嬉しいよ。2人にはもう一生頭が上がらないな」
いじらしい姿を見て、崇と美娜は思わずほっこりした。
「気にすんな。俺等は小さい頃から何度となくオジーとオバーから教わってきた事が有るんだ」
「折角だから明照にも教えるよ。“イチャリバチョーデー ユイマール”」
初めて聞いたウチナーグチに明照は一時的に固まった。
「あぁ、御免よ。えぇとね、直訳すると“行き合えば兄弟 助け合い”。古くから伝わる金言だよ。初耳?」
「初耳だね、うん」
漸く意味を正しく理解した明照の肩を、崇は数回叩いて白い歯を見せて笑った。
「明照、御前は本来優秀なんだ。あんな奴等の戯言なんか何も聞く必要は無いぞ」
心から気を許せる親友に恵まれていると知り、明照は涙を隠す為、思わず壁を凝視するのであった。明照は、何時しか自分が
一旦帰って宿題を済ませた後、明照は杏果の所を訪ねた。歌声喫茶“ひかり”自体は休みだったが杏果は家に居た。初めての事に驚きはしたが、杏果は年の離れた
ボーイフレンドが自ら来たので思わず飛び上がった。
「こんな事って初めてだよね!? 凄い! 如何してかは知らないけど凄く嬉しいよ。今日はどっちの部屋に入る? 明照君が選んで」
例によってグイグイ来る杏果に明照は相変わらず気圧されていたが、それすらも今となっては楽しみの一つと化していた。
「そうだな……じゃあ、魔法少女の
「はい喜んで!」
何時何処で覚えたのか、飲食店の様なノリで応えると杏果は明照を自室へ招き入れた。
「……成る程ね。明照君、凄いよ! 初めて会った日とは大違いだね。例えるなら、猫が白虎に進化した様なものだよ」
「あ、あはは……そんなに凄いとは自覚してなかったな」
小さな手で頬を撫でて貰いながら、明照は今日有った事を杏果に話して聞かせた。
「よし。明照君、凄く頑張った御褒美に良い物を…」
「わわっ…待って! 未だ心の準備が…」
またキスされるのかと思い、明照は慌てふためいた。ところが、杏果は目が点になっていた。
「何の話?」
「え……?」
約数十秒、二人の時が凍りついた。その間、室内で音を立てているのは家電品だけだった。やがて、先に杏果が沈黙を破った。
「御褒美に、面白い物を見せるって言おうとしたんだけど」
「え? あ、あぁー…そうだったんだ」
明照は、1人で勝手に盛大な勘違いをしていた自分が惨めになった。
「明照君、一体何を想像したのかなぁ?」
不意に杏果は真正面に来ると、ニヤニヤしつつ顔を近付けた。
「いや近い近い。何って言われると、それは……」
また暫く2人は固まった。今度も先に動いたのは杏果だった。
「もし、何かして欲しい事が有るなら、遠慮しないで何でも言うんだよ。あたしは明照君のガールフレンドなんだからさ」
「えっと、うん…有難う。それで、良い物って結局のところは何?」
杏果はタブレットを弄っていたと思うととある音源のデータを呼び出した。再生出来る事を確認すると、杏果は幼稚園の頃着ていた体操服に着替えた。
「あたしが年中さんの時にやった御遊戯だよ。当時、年少さんと年長さんも面白がって真似してたんだよね。余りにも流行るから、次の年から全員やることになったんだよ」
杏果が幼稚園の頃はどんな具合だったか色々想像して明照は思わず笑みを浮かべた。
「杏果ちゃんが幼稚園の頃の話、聞いてみたいな」
「勿論だよ。あ、良かったらビデオ撮る? 良いよ。長さはそうだね…長く見積もって、5分も有れば十分だよ」
思わぬ申し出に一度は躊躇ったが、よく考えてみると、別に拒む必然性も無かった。そう云う訳で好意に甘えることにした。
「5分か。じゃあ撮らせてもらおうかな」
明照がカメラを用意し、杏果が再生ボタンを押すと、何ともコミカルなBGMが流れ始めた。思わぬ展開に明照は危うく吹き出すところだった。やがて、風変わりな歌詞が聞こえた。
『︎今日も悪戯頑張るぞ。落書きいっぱいしてみよう
先ずはおうちの外にある 大きな壁に書いてみよう』
杏果の可愛い声は耳に心地良かったが、それ以上に、意味不明な内容の歌詞に、明照は何からツッコミを入れるべきか分からなかった。やがて、この意味不明な歌は、悪戯がバレるくだりへ突入した。
『︎悪い子は、如何なるの? 可愛いお尻をペンペンペン
お膝の上に乗っけたら、幾ら泣いてもペンペンペン』
杏果は明照に向けお尻を突き出したと思うと、自ら右手で軽く叩いてみせた。明照は、唖然としながらも、一方で可笑しさと愛おしさを同時に覚えていた。
『︎どんなに泣いても許しません。きちんと反省しなさいね
痛いよ痛いよエンエンエン 御免なさーいもうしません』
怒っているママと泣いている子供を体いっぱいに表現し、尚且つ、一瞬で演じ分けをこなす杏果は、明照には熟練したエンターテイナーに映った。
演目が終わると、明照は撮影を終えた旨を示すハンドサインを出した。杏果はタブレットを操作すると、再び明照の膝の上に鎮座した。
「こんなのが流行ってたって想像出来る? 凄いよね」
「本当。これ作詞作曲した人、ぶっ飛んでいるよ。誰か恥ずかしがってなかった?」
杏果の頭を撫でつつ明照は疑問を投げかけた。
「勿論だよ。只、恥ずかしがってたのは殆ど男の子だったね。女の子の方が堂々としてたよ。勿論、全員がそうって訳じゃないけど」
この話を聞き、明照は自分が中学1年の時も、更には小学生の時も合唱コンクールや演劇の練習では大抵男子の方が不真面目だったと思い出した。
「そう言えば明照君、さっきはビデオ忙しくてあたし自身は余りよく見てなかったよね? もう1回やるよ」
「え、いや、悪いよ。疲れてないの?」
「余裕だよ。てか、これ踊ってたら楽しくなってきた。一緒に踊ろうよ。上手でも下手でも良いからさ」
「い、1度お手本を見せてもらいたいかな。何せ今日初めて見たから」
先延ばしにしたい一心で明照は慌てて頭を回転させた。時間が経てば杏果も自分を誘った事を忘れるだろうと判断したのだった。
「そう? 良いよ。それじゃ、しっかり見ていてね」
こうしてセカンドステージが始まった。暫くはニコニコしつつ見ていたが、悪戯がバレてお尻叩きのお仕置きの場面は矢張りどうしても平常心の維持に苦労した。
「如何かな? あたし、可愛いでしょ。さぁ、一緒に踊ろうか」
2度目が終わり、明照は逃げ道を完全に絶たれた。最早逃げ道など何処にも無いと悟った明照は、最悪の展開だけは何が何でも避けようと躍起になった。
「あの、これ何処にも公開しないよね?」
「勿論。公開するとしたらあたし1人の分」
望み通りの答えが聞けて、明照は安堵した。不自然な所は有ったものの、実際踊り出してみると案外楽しかった。
然し、それでも結局お仕置きの場面では、どうしたって恥ずかしさを隠せなかった。
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