俺の産まれた日

とんこつ毬藻

還るべき場所へ還る

「今日もまた一人……」


 太陽が南の空へ昇る頃、ベビーカーを連れた母親や、仕事休憩に立ち寄るサラリーマン、犬を連れた近所のお爺ちゃんがやって来て賑わいを見せる町外れの公園。


 だが、今はまだ午前中。少し肌寒くなって来た季節、スーツ姿の俺の身体に吹きつける風は少し寒い。公園を囲む木々の葉も黄色や紅に色づき始め、風に舞っている。


 あてもなく、流れていく時間にただただ身を任せる。誰も居ない公園は、すさんだ俺の心を落ち着かせてくれる。


「ねぇ、おじさん! お菓子ちょーだい!」

「ん? おじさんって……え? 俺のことかい?」


 そこには蝶ネクタイにシャツ、黒いマントに帽子を被った男の子が立っていた。嗚呼、成程。今日は子供達が死者やお化けの恰好をしてお菓子を貰う、そんなお祭りの日だった。最近では若者が仮装して街を練り歩いたりするような日になってしまってるようだが。


「うん、おじさん。お菓子ちょーだいよ!」

「おじさんじゃなくてお兄さんね。で、今はお菓子持ってないんだよ、ごめんな」


 子供からすると三十代前半の私の姿は残念ながらおじさんに見えるらしい。少し残念な気持ちになったけど、このまま邪険にするのも大人気ないし、可哀想なので、相手をしてあげようと思う。


「うーん、じゃあさ、一緒にお菓子を貰いに行こうよ!」

「え? いや、それは無理な話だろう?」

「大丈夫、着いてきて!」

「え、おい、あ。ちょっと!」


 気づけば謎の子供に手を引かれるがまま、公園から住宅街を抜け、昔ながらの商店街から裏路地に来てしまっていた。


 いや、明らかにおかしいのだ。子供が一人で公園に居たのもそうだし、この子の親はどこに居るんだ?


 タイミングを見て交番へ連れて行こうか……そんな事を考えていると、裏路地の小さなお店へと入る子供。時計や置物、アンティークの雑貨が並ぶお店。入口でドアベルが鳴ったものの、店内に気配がない。


「おばあちゃーん、帰ったよー」


 店の奥が小上がりになっているので、店主が奥の部屋に居るのだろうか、そう思っていた矢先……。


「おや、いらっしゃい。珍しいお客さんじゃね」

「うわっ、びっくりした!」


 背後から突然声をかけられ飛び跳ねる俺。背の低いおばあさんはまるで魔女のような格好をしていた。


「おばあちゃん、いつものやつ、おねがーい」

「あいよ、ちょいと待っていておくれ」


 おばあさんはそう言うと、店の奥へと消えていく。やがておばあさんはタキシードのような服に頭に被るかぼちゃの頭を持って来た。そう、ジャック・オ・ランタンというやつだ。


「ほら、早く着替えて!」

「え? 俺が?」


 確かに今日は仮装して練り歩いても問題ない日だ。だが、そういうイベントごととは無縁の俺がどうして子供に言われるがまま、仮装を促されているんだ?


 この子はきっと、ここの店の子か何かなんだろう。んで、店へ連れて来て仮装させて、このあと衣装のレンタル料金でも請求するのではないか? いや、いい商売をしている。子供心を巧みに使った新たな商売といったところか。そんな手には乗らない。


「残念だけど、お遊びに付き合うのも此処までだ。おばあさん済まないね。俺はそういうノリについていけない質なんだよ」


 お菓子代としてワンコインだけテーブルの上に置き、俺は店を出ようと背を向ける。そして、店の扉を開けて外へ出た。



 俺には帰る場所があるんだ。

 時間を無駄にした。あとは適当に時間を潰そう。


「は?」


 扉を開けると、そこはかぼちゃや蝙蝠、紫色に橙色の装飾が施された街並み。俺は何故か、先程受け取らなかった筈のタキシードにかぼちゃの頭を被っていた。


「さ、行こう!」

「どうなってるんだ!?」


 いつの間に日が落ちた? 夕闇に染まった街並みはオレンジ。死人や魔法使いのような格好、仮装をした人が歩いている。さっきの子供に手を引かれ、誰かの家をノックする子供。


「トリックオアトリート!」

「はいはい、ちょっと待っててね」


 無邪気に魔法の言葉を叫ぶ男の子。お菓子を持ってきた家主の女性は、男の子と俺が・・持っている籠へとお菓子を入れる。


 これはどういう事なのか。状況が掴めぬまま、家を廻っていく子供と俺。いや、子供が玄関をノックして疑いもなく大人が子供へお菓子を渡すこの光景が、現代日本では滑稽なのだ。そう、それは異国……北欧の国へ迷い込んだかのような光景。


 お菓子を入れた籠は気づけばいっぱいになっていた。不思議な光景だった。無邪気な子供の笑顔に疑いもなく大人が声をかけ、見守る風景は、何だか忘れかけていた人の温もりを感じる事の出来る、そんな光景だった。


「ここが最後の家だよ?」

「ここは……?」


 どうやって移動したのかは覚えていない。考え事をしている内に移動したのだろうか?


 そこは小さなアパートだった。家族連れが住んでいる六世帯の小さなアパートだ。二階の奥、二○三号室。ここは俺の家だった。子供の笑顔に促されるがまま、俺はインターホンを押した。


「はーい」


 甲高いよく見知った声が扉越しに聞こえた。

 玄関の扉がゆっくりと開く。そこには長い黒髪がよく似合う女性が立っており……。


「トリックオアトリートーー!」




★★★


笑美留えみるーーー! ピザが来たわよー。さぁ、お祝いをしましょう!」

「わーい、ピザだピザだーー」


 ショートカットの似合う女の子が部屋の奥からやって来る。ピザを受け取った母親は、子と部屋の奥へ。テーブルの上はお祝い用のケーキが用意されていた。


「さ、ローソクつけて、電気を消すわよ」


 大きいローソク三本に、小さいローソク三本。電気を消すとローソクの火が静かに揺れる。


「ハッピーバースデートゥーユー、ハッピーバースデートゥーユー、ハッピーバースデーディアーパーパーー、ハッピーバースデートゥーユー!」

「パパおめでとうーー!」


 ローソクの火が吹き消され、部屋が明るくなる。そうか、三十三歳の誕生日か。お皿に切り分けられたケーキと一切れのピザは、部屋の奥にある仏壇へ置かれる。


「あなた、笑美留もわたしも元気です。もうあなたが居なくなって一年になるんですね。あのとき、涙が枯れるまで泣きました。でももう大丈夫よ。だから天国で見守っていてくださいね」


 そうか。そうだったのか。


 俺は、俺の・・誕生日をお祝いする妻と娘を天井付近から見下ろしていた。


 俺は俺をここまで連れて来てくれた子供と宙に浮いていた。一年前の今日、俺は居眠り運転で暴走したトラックからこの子・・・を守ろうと交差点を飛び出し、そして、この世を去ったのだ。


「もう大丈夫だよ」

「嗚呼、そうみたいだな。ありがとうな、此処へ連れて来てくれて」

「あのとき助けてくれたお礼だよ」

「いや、結局助けられなかった……」


 俺の手を握ってゆっくり首を振る男の子。その笑顔は『僕は大丈夫だよ』と目で訴えてくれていた。


「パパ、どこかで見てるかなー?」

「ええ、きっと私達を見てるわよ」


 奇しくも今日は死者が現世へやって来る日。俺は気づかぬ内に現世へと迷い込み、あの公園に一人佇んでいたのだろう。


 妻の瞳から流れ落ちる雫。でも二人共笑顔だった。先に逝ってしまってごめんな。肉体を失った俺の瞳からは雫が流れ落ちてはくれなかった。でも、二人の笑顔を最後に見れた。俺が此処に留まっていては二人が前を向けないじゃないか。


「行こうか?」

「もう、いいの?」

「嗚呼、還れなくなって彷徨うのも嫌だしな」

「そうだね」


 そのまま俺と男の子の魂は、還るべき場所へと還って行く。また現世と繋がる一年後に逢えるかもしれないな。娘はそのときにはもっと大きくなっているかな? 一年後が楽しみだ。

 


「あれ?」

「どうしたの、ママ?」

「ううん、なんでもない」


 手のひらに落ちた雫を見て、妻は徐ろに窓を開ける。天を見上げた彼女は、還るべき場所へ還る魂へ向かって祈りを捧げるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

俺の産まれた日 とんこつ毬藻 @tonkotsumarimo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ