第29話  呑もう、二人で


 地下七百二十一階北側端の壁、その西側とは言われていたが。壁によっていくつかに分断されており、欠片を試すには何度か転移する必要があった。しかし、四度目の壁に欠片を触れさせたとき、鍵が合ったように通路が口を開けていく。


 踏み入った先、奥の広間で青い文字の描かれた刀――『妖刀焔正ムラマサ』、かつてウォレスも愛用していた名刀と同種のもの――を無造作に引き抜く。その切先から青く光がこぼれ、床石に落ち。刀を手にした剣士の姿を取った石の塊へ、ウォレスは跳び。蹴って首を跳ね飛ばし。逆の足を振り上げ、かかとで体を真っ二つにした。

 引き抜いた刀を肩に担ぎ、後も見ずに通路を出る。




 薄闇の部屋で目を閉じて、ウォレスはじっと待っていた。

 床石の上にあぐらをかき、例の武器は床に置き。腰のベルトには愛用していた妖刀焔正ムラマサを差し込んでいた。ズボンのベルト通しのうち、左側のものはわざと通していない――それで鞘の動きが自由になる。右手で柄、左手で鞘を引くことで素早く抜き打てる――。鞘の先はがりがりと床にこすれていたが、今さら構うものでもない。


 やがて、背後で声がした。

「珍しい。今日は呑んでないんだね」

 振り向かずウォレスは言う。

「いつも呑んでるわけじゃないさ。時に距離を置かなきゃな、愛するものとは」

 ころころ、とアレシアは喉を鳴らす。

「じゃあ、わたしたちはちょうどいいね」


 ウォレスは苦笑を洩らした。――分かっていない。分かっていないよ、やはり君は――。


「何より、今呑むバカもいないさ。美女と呑みに行こうってのに、先に潰れようとするバカは」

 立ち上がり、笑顔を向ける。

「行こうぜ。呑もう、二人で」




 布にくるんだ武器を抱えて歩く、最下四層は静かだった。何かを畏れているかのように、何かを待っているかのように。


 響く靴音の中、大きく伸びをしながら。横でアレシアが天井を見上げる。

「あの頃は思いもしなかったねー。二人で最下層ここを歩くなんて」

「ああ、思いもしなかった。そもそも、迷宮を二人だけで歩くなんてな」

 アレシアは息をこぼして笑う。

「そっか、あの時以来だね」

 喪失されていくアレシア、その姿がウォレスの前をよぎる。アレシアはウォレスを見つめている。

「ああ」

 それきり話は途切れ、靴音だけが高く響く。


 何か喋ろうと考えかけて、そんな自分を笑った。気まずかったところでどうだというのだ、人間でもない相手が。どうだというのだ、アレシアの姿を、声をしていたところで。


 なのにどうだ。確かに感じてしまった、気まずさを。


 鼻で息をついた。呑もう。話はそれからだ。これで終わりだ、あの日の続きに似たものは。ならばせめて、呑もう。

「どこに連れてってくれるわけ」

 目をのぞき込むアレシアに微笑んでみせる。

覇王樹亭サルーン・カクタス。前も行ったか、迷宮ここで会ったとき」

 アレシアも微笑み返す。

「いいね。わたしももう一度、行ってみたかったとこだよ」


 このまま店に着かなければいいと、そんな思いも頭をよぎる。あの頃のように道に迷ってしまったなら、あるいはそれもあるだろうか。

 だがウォレスの足はもう、迷宮の全てを知っていて。何も考えずとも最下四層を抜けていた。唇は流れるように、転移の呪文を唱え始める。




「俺はどうしようもない呑んだくれだし、君だってどうしようもないほどにアレシアじゃない」

 覇王樹亭サルーン・カクタスで樽のテーブルに着き、まず頼んだのは中口のアンバーだった。それを一息でし、同時に頼んでおいた濃いのブラウンに口をつけてから。一息に言ったのはそれだった。


 胃袋の底から盛大に息を吐き出し、その勢いに乗じて続ける。早口になるのは止められない。

「俺はこいつがなきゃ生きられないバカだし、君はこいつが――」

 布にくるんで横の椅子に乗せた、引き抜いた武器をあごで示した。

「――あったら自分として生きられない龍だ。だろう?」


 アレシアは答えず頬杖をついた。ジョッキから軽いのペールを、こく、こく、と喉を鳴らして大きく二口呑み、旨そうに目を細めた。


 その仕草が、しなやかな喉の動きが美しくて、ウォレスは目をそらして続けた。無意味に身振り手振りをしながら。

「俺の考えじゃあこうだ、卵だ、龍の宝珠は、卵。龍の卵だ。龍というのがつまり、何なのかはともかく。それを復活させようと、あるいは生み出そうと? 強大な力を持つだろうそれを操る方法を得ようと、王宮は――あるいはかつて魔王も――研究してきた、秘密で。生まれたのは君だ。宝珠たまごの殻だけ残してな」

 小さな音を立て、欠片をテーブルへ放り出す。

「じゃあ何で、この殻が隠し通路を開いた? なぜ君はそこの武器を欲した? それに俺は聞いている、『龍の宝珠は喪失迷宮で使われる』と。要は、迷宮と宝珠は関係あるってことだ」


 アレシアの表情は変わらない。


 ウォレスは続けた。

「まず、あの武器は何かしらの封印。抜けば抜くほど、喪失された者が迷宮に姿を見せ始めた。そして、迷宮ってのは魔方陣だ、立体的な。喪失迷宮もまたそうなんだろう。死者を喪失させる魔方陣――そして、その死者が帰ってきたってんなら、死者を蓄えておく魔方陣?」


 アレシアは微笑みながら聞き、時折ジョッキを口に運ぶ。


 ウォレスは麦酒エールで口を湿して続けた。言葉で斬りつけようとして、それでも目をそらしてしまう。とんでもない見当違いを口にしている気がしてしまう。

「じゃあ何のために死者を? もしかしたら、喪失された、迷宮に食われた者の力を、蓄えておくためじゃあないか? 龍のために。あるいは喪失迷宮は、龍を生み出すための魔方陣。誰がいつ造ったかはともかく。喪失されたものは吸い取られたんだ、龍に力を蓄えるために」

 貫くようにアレシアの目を見た、つもりだ。

「迷宮は蓄えていた、死者の力だけじゃない、その姿や記憶まで。それを使って、龍は、君は、アレシアになった……そのふりをした」

 椅子に乗せた武器を取り、布を捨てた。突きつけるようにアレシアへ掲げる。

「この武器。君が集めてるのはこれが封印だからだ、龍の力、死者の力の」


 封印。魔王が護っていたというなら、おそらくこれのことだろう。一つは――杖は――彼自身が抜いて持っていたようだが。

あるいは宮廷魔導師時代、迷宮の研究中に、宝珠と杖とを手に入れたが。龍の力が王宮に渡るのを恐れて、宝珠を持ったまま迷宮へこもった。王宮に軍事力として龍を利用されないよう、王女もそれに賛同し、共に地下へと降りた。それが王女やアミタの言うところの、何もかもを護っていた、ということではないか。


「俺に集めさせてるのは封印だからだ、君が直接抜けないからだ。つまり……君は俺を、うまい具合に利用した、その姿を使って。だろう?」


 アレシアは麦酒エールに口をつけ、音を立ててつまみの燻製した木の実スモークドナッツを噛み砕く。細かく細かく噛み砕き、飲み下し、麦酒エールを呑みす。ジョッキを掲げ、代わりを店主に頼んだ。


 ウォレスも武器を置いて手を挙げ、取り置きの唐黍酎バーボンを頼む。頼んでしまう。本当に、的外れなバカを言っている気がしてしまう。素面しらふではとても言えないような類の。


 運ばれてきた麦酒エールに口をつけ、アレシアは言った。

「大体はまぁ、そんなとこかな。大体はね」


 ウォレスはグラスを口につけていた。酒精アルコールが舌を焼き喉をぬくめ脳髄を揺らす、その感覚の中で聞けたのは幸いだった。感じている揺らぎは全て、酒のせいだと言い張れる。


 一つうなずく。小刻みに何度もうなずく。

「だろ。だろう?」

「転がってったの、卵のわたし。宝物庫を抜け出して、君の所へころころころ、とね。そうして孵って、起こしたの。よく寝てたね、ぼく」

 アレシアは微笑む。ころころころ、と喉を鳴らす。

 ウォレスの頭にその音が響く。そうだ、この音。いや、こんな音を確かに聞いた、あのとき。このアレシアと出会う前、酔って寝転がっていたとき。何か転がる音が響いた、部屋の外から。

「そうか、とんだところを見られたな。いや、参った」

 ウォレスは笑っていた。歯を見せて、懸命に笑った。足は床を何度も叩いていた。


 とぼけてくれればよかった。否定してくれればよかった。そうすればウォレスも責め立てることができる、何もかも忘れて大声で無理やりに押さえつけ、そのことだけに集中できる。それができたなら、どんなにか今よりいいだろう。


 ウォレスは笑ってみせた。妙に目尻が緩んで、泣いているようだと自分で思った。

 言葉がこぼれた。喉に引っかかっていたものが、弾みで転げ落ちたように。

「嬉しかったよ」

 アレシアが怪訝そうに目を瞬かせる。

 構わずにウォレスは言った。

「嬉しかったんだ、本当に。あの人にまた会えて。俺だけじゃない、他の奴らだって友達に会えたとか、会えるかもしれないとか。嬉しかったはずなんだ」


 うつむく。情けなく喉が鳴る。酔いのせいか、本当に笑ってしまっている。鼻から目にかけてが熱い。

 顔を上げ、鼻をすすった。

「だからさ、せめて乾杯しよう。あの頃あの人としたように」


 アレシアは頬杖をついて微笑む。小さくうなずき、ジョッキを掲げた。

 ウォレスもうなずく。唐黍酎バーボンのグラスを置き、残っていた麦酒エールのジョッキに向けて手を伸ばし。

頭によぎるのはあの日の日差し、全てを白ませ熱するような。アレシアの眼差し、心臓をむやみに弾ませて、湧き出す血を皆かき混ぜるような。全てをくらまし、誘うような闇の匂い、血を沸かすような地の底の冒険。あの日、ウォレスは彼女を殺した。


 そして今。手をひるがえし、アレシアを斬った。


 ジョッキにやると見せた手は音もなく、腰に差したままの刀の柄をつかんでいた。左手はとうの昔、樽の陰に隠して鞘を握っていた。左手で鞘を返して刃を下へ向けつつ、親指でつばを押し上げ。立ち上がりながら右足を踏み込み、流れるように腰を捻り。その動きをしなやかに、そのまま右腕へと受け渡し。右手が刀身を抜き出すと同時、左手は鞘を引き、右手の力を解き放って。斜め上へと抜き放たれながらウォレスの刀は、二人の間の樽ごと、その上のグラスごと。アレシアを斬っていた。


 終わったものが、終わる。当たり前だ、そうでないのはウォレスだけだ。ましてやアレシアでないものが、アレシアの顔をしている。終わるべきだ。少なくともこれ以上いるよりは、ずっとましだ。あの日を続けているバカは、ウォレス一人で十分すぎる。

 そう考えてウォレスは斬った。そう思い込もうとしながら斬った。

 ――が。


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