第25話  酔いどれがもう一人


 二人分の代金を払い、ウォレスは店を後にした。歩きながら思う。

 どういうことだ。確かに喪失された者は現れている、アレシアしかりジェイナスの仲間しかり。だがそれは、ウォレスがあの武器を抜いた後、ほんのしばらくのことだった――アレシアが最初に現れたときを除けば――。

 だが、ディオンが本当に見たのなら。それ以外でも現れるということか? 


 あるいは、事情が変わってきている? たとえば、ウォレスが何本もあの武器を抜いたから。

 もしかしたらサリッサが仇の竜《ドラゴン》)を見たというのも、あながち嘘ではなかったのかもしれない。

 やはり、迷宮で何かが起ころうとしている。宝珠が、卵が孵ってから。あの武器と宝珠、どんな関係がある? そもそも何の卵、それはたとえば、アミタが言った――


 考え込んでいたせいか、目の前、足元にあるものにも気づかなかった。それにつまづいて、ウォレスは危うく転びかけた。召使妖精館クラブ・シルキーから少し歩き、角を曲がった先。そこの壁にもたれかかって、地べたに座っていた王女に。

「ちょ、あ? 殿下、何でこんなとこに」


 思わず口にしたウォレスに、王女は焦点の定まらない目を向けた。顔は赤く、口元からは熟れすぎて腐りかけた果物のようなにおいがした。酒の、というより、泥酔するまで呑んだ者のにおい。酔いどれのにおい。


「あー、うぬか。うぬかぁ……どうした、またぁ、結婚しにきたか」

 言ってよだれを垂らして笑い、手にした焼き菓子を端からかじる。

 ウォレスはため息をついた。

「何だよそりゃ。何やってんだあんた、こんなとこでよ。上層とはいえ危なすぎる。一国の王女様がよ」

 王女は焼き菓子の欠片を吹き飛ばしながら笑う。

「何を言っとる、私を誰と、誰だと思っておる。殿下ぞ、王女殿下様々ぞ? 頭が高いわ」


 その胸元では魔宝珠アミュレットが、青紫色の光を漂わせていた。不可視インビシブルではなく不可侵インビンシブルの方で魔力を使っているのだろう。なら、安全ではあるのか。


 ウォレスがため息を着いている間に、聞きもしないのに王女は喋った。

「いや何、いや何な? 噂の店、一度行ってみとうてな。ついついついつい酒を過ごしたわいな、悪くはない味であったぞ」

「過ごしたってあんた、王女様が来て楽しいのかよ? あんたんとこ、いくらでも本物の召使がいるだろうが」


 喉を鳴らして王女が笑う。

「あれはな、いかん。いかんいかん、本物過ぎる。偽者の方が、幻想混じりの方がむしろ本物よ。……そもそも、本当に私に仕える者などおらんよ。召使でも、臣下でも。そりゃあおらんさ、召使の子、王様々の私生児なぞに。忠誠誓う阿呆はおらんて」


 また喉を鳴らして笑い、焼き菓子をかじり。表面の焦がし砂糖を、ぬちゃりぬちゃりと噛みながら王女は喋った。

「そうよそんな阿呆はおらぬ、おったらおったで信用できぬ――あの阿呆の他は、魔王の他は」

「魔王……?」


 だからか、彼女が魔王を慕うわけは。王宮にいた頃からか迷宮に降りてからかは分からないが、魔王だけが彼女に寄り添った。臣下としてか師としてか、友としてかそれとも男として、それは分からないが。未だ彼女の心を捉えるほどに、寄り添っていた。


 王女は突然頬を歪めた。空になった焼き菓子の包みをくしゃくしゃと丸めると、ウォレス目がけて投げつける。横へそれて床に落ちたそれは、ほどなく喪失されていった。


「そうよ、大体、大体ぞ! 薄情よ、あやつも……アミタも、迷宮ここから去って……」

 言われて今さら思い出した。アミタ、彼女は王女と魔王の従者だった。


 王女の前へかがみ込み、頭を下げる。

「……すまん。言ってやりゃよかった、殿下が探してることをあいつに。殿下にも――」

「そうよ薄情ぞ、こんな手紙一つ投げ込んであやつは……」

「手紙ぃ?」

 あの畜生が? あいつ、文字なんか書けたのか――そう言いかけた言葉を飲み込む。

 王女が懐から取り出して広げた紙を横からのぞいた。そこにはのたくるような、引っかいたような字で何やら書かれていたが。文章を読む前に王女がぐしゃぐしゃと丸め、引き裂いて床へと散らした。


「ちょっ、おい!」

 手を伸ばすも、ほんの切れ端をつかんだ他は全て、融けるように床の上で消えた。

 王女は懐から焼葡萄酎ブランデーの小瓶を出し、あおる。むせ返って咳き込んで、それから言った。

「『生きる』とよ。『怨みは忘れる』と。先生の、教えのとおりに。私のことは手伝えない、その代わりに邪魔もしない。今は守るべき群れがある、と。……そんなことを書かれるために、教えた字ではないわ」


 瓶の底を天井へ向けて酒をあおり、またむせ返る。手の中に残っていた手紙の切れ端を、己の膝こと抱きしめた。

うつむき、目をつむる。よだれと涙を垂らしてつぶやいた。


「賢いよ、あの子は。私より」


 小さかった、その王女は。かつて婚約を申し込んだときより、迷宮で抱えて駆けた頃より。


 ウォレスは小さく息をついた。長く長く息をついた。

「……なあ、おい。俺ぁあんたの仇だ、そらぁ分かった。あんなフラれんのもしょうがねぇや。けどな、こっから数日のうちゃあ、――聞けよ」


 王女がさらにあおろうとした、酒の小瓶をはたき落とす。

目でそちらを追う王女の顔を、無理やりに押さえて向き直させて。ウォレスは言った。

「俺が仕えてやる。俺が護ってやるし、あんたに仕えてやるよ。全部をそこそこ解決させてな」


 王女は何度か瞬きしたが、その目はウォレスから背けられていた。酒の小瓶をまだ見ていた。


 ウォレスは大きく舌打ちした。――ああ、こいつは。そっくりだ、俺と。

それしか目に入っていないんだ、酒と、終わった物語と――。


 と、王女がその目を上げた。ウォレスを見るのではなく、通路の先に視線を向けた。

 その先、通路の壁には。穴が開いていた。例の欠片を壁に当てたときのように、壁石が身を引いていた。黒く口の開いたそこには。魔王がいた。魔王、そう呼ばれた魔導師、その体が。


 首から上はなく――そこだけは迷宮に喪失させられていない。ウォレスたちが持ち帰り、王宮へと献上した。そうだ、王女もそれは目にしたか。魔王本人と確かめる、首実検のために――、頭部を失った体だけで。何か探し求めるように、両手をふらふらと前に突き出し、不確かな足取りで歩いていた。


 弾かれたように王女が身を起こす。

「先、生……!」

 弾力のある体でウォレスを跳ねのけ、魔王の体の方へと駆けた。

 ソーセージのような指が魔王の痩せた手を取り、薄い肩を抱きしめる。崩れ落ちながら王女は泣いた。涙で顔を、魔王の肩を濡らして泣いた。


 魔王の体は戸惑うように、その身を揺らしていたが。やがて、そっ、と王女を抱いた。赤子をあやすように何度も、その背を、頭をゆっくりとなでた。


 王女の泣き声を背で聞きながら、ウォレスは足音を潜めて歩いた。

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