第21話 酒をやめたのはやめた
「だから! だからよぉ! お、おお女とよぉ、猫はよぉ、呼んでも来ねえっつうけど呼ばなくたって来ねぇ! 待っても来ねぇ! 来ねぇんだよなぁおい、だよなぁサリウス? しゃあねぇやな俺らが独身だってなぁ、な?」
唾を飛ばして言うウォレスに、同じく大声でサリウスが応える。色白な顔は既に赤く、ロウソクの明かりに脂が照っている。
「うっせぇぞモテねぇのはテメエだけだ昔っからな! オレは一人に縛られたくねえだけだ、呼ばなくたって来るさ」
アランとヴェニィ、それにディオン――こう見えて二児の父だそうだ――は、目を細めてやり取りを温かく見守っている。
ウォレスは舌打ちし、グラスの赤葡萄酒をあおった。召使の扮装をした女に代わりを頼む。緩く息を吐き出し、椅子の背にもたれた。
「ったくよぉ、何とか、何とか言ってくれよシーヤ。不自由してんのは俺らだけみてえだぜ……あれ?」
姿が見えず、店内を見回す。シーヤは奥にいた。壁に片手をついて、逆の手は身をかがめた召使女のあごを軽く持ち上げて。喰らい合うように濃厚な、口づけを交わしていた。
ウォレスは真顔で前を向き、近くの召使に言う。
「やっぱり、
ディオンが楽しげに笑う。人差指を口の前で立てた。
「
何も言わず、ウォレスは何度もうなずいた。出された酒――先に頼んだ赤葡萄酒が来たが、この際何でもいい――を二口呑み、それから言う。
「ここ選んだのもあいつか?」
ディオンが応じた。
「ああ。最近は繁盛してるようだぞ、こんな所でもな。いや、だからこそか? 転移魔法の定期便やら、護衛を雇って冒険気分で。迷宮の中に入って、仕掛け扉を通って。隠れたこの店で貴族めかしたもてなしを受けるというのが、何とも粋なんだそうだ」
ウォレスは鼻で笑う。
「粋ねえ……分かるかお前?」
「さあてな。だが、私もたまに来る」
ウォレスは思わず吹き出したが、ディオンは遠い目でシャンデリアを見上げた。
「昔の仲間が好きだったんでな、この店。……それに、迷宮の空気を浴びるのもたまには悪くない。迷宮というほどのものでもないがな、地下十三階じゃ」
何も言わず、ウォレスはグラスに口をつけた。それから言ってみる。
「なあ。仮にだ、仮の話だぜ。ここで喪失された奴ら、そいつらが帰ってくる。有り得ると思うか」
ディオンは黙ってウォレスの目を見た。グラスの赤葡萄酒を揺らした後で言う。
「そんな噂は、調査の中で聞いたが。有り得んな、夢物語だ」
「俺がそれを見たと言ったら?」
「有り得るな。呑み過ぎだ」
「……だよな。だよ」
息をこぼして笑った。そんな気さえしてきた。そうであればいいとは思う。
ディオンが言う。
「ところで、前に言ってきた件だが。部下に調べさせた結果が出た」
懐から出した紙を広げ、目を走らせながら言う。
「アシェル・アヴァンセン。実在した人間だ、アヴァンセン子爵家の三女。享年十九歳。亡くなったのは十八年前、死因は事故による階段からの転落、ということだが。葬儀で遺体を見た者はない、閉じられた棺があるのみだった。生前は家に反発して出歩き、何度か迷宮に潜っていたという話もある。その際の偽名はアレシア・ルクレイス」
ウォレスはうつむいた。酒にほてった額に手をやる。
ディオンが言う。
「しかし、こいつがどうしたんだ。宝珠に何か関係が?」
ウォレスは大きく、ゆっくりとかぶりを振った。
「いや。……いいや。ただ、さっき言ったこと。喪失から帰ってきた、そう言う噂に出てくる奴の中に。そう名乗る奴がいたらしいんだ」
「ふむ……知った奴か?」
ウォレスは小刻みに首を横に振った。素早く。
「いいや?」
ディオンは口角を上げ、うつむいた。低い笑い声と共に肩を揺らす。
「君は……お前はなあ。本当に頭が悪いな」
ウォレスに口を開かせずディオンは続けた。
「とにかくだ、忘れろ。時々思い出せ。死者はそれで十分だ」
ウォレスは口を開けては閉め、収まりがつかずに酒を呑んだ。それから言う。
「賢いな、お前は」
「ほんじゃお先、またねー!」
何度も手を振るヴェニィ、それにアランとサリウスの姿が、魔方陣の中に揺らいで消えた。うちの売れ残りだから気にするな、と押しつけられた包みの中のパンは羽根枕のように柔らかく、まだ温もりさえあった。
店の奥から静かに、皿を洗う音が響く。ウォレスは長椅子の背にもたれ、シャンデリアの短くなったロウソクを見ていた。
「出世したもんだな俺たちも。呑むのに店借り切るとはよ」
カップを両手で持ったシーヤが、
「ええ、でも何も変わってませんよ。支払いは割り勘です」
「俺もか! 何も聞いてねえんだぞ今日、手持ちなんかねえよ」
同じく椅子にもたれたディオンが、グラスの
「仕方がないな、ああ仕方がない。今日のところは立て替えておいてやろう。だが覚えておけ、おごってやるんじゃあないからな」
手にしたグラスに視線を移し、続けた。
「覚えておけ。必ず、払いに来い」
ウォレスはグラスの水を飲み込んだ。席を立つ。
「覚えて、おくさ……忘れるまでは、よ」
寝ぼけたような薄闇の中、迷宮の底の部屋で。ウォレスは床の鉄板の上、藁布団と毛布にくるまった。目を閉じる。
湿って冷えた布団がだんだんと温もりを持っていく中、裸足の足をこすり合わせながら思い出す。今日の酒宴を。仲間たちとの話を。昔と変わらない時間を。友を。
笑みが漏れた。そうしたままでいられず、布団を被ったまま起き上がり、酒瓶を探った。今日の酒宴をまだ、終わらせたくなかった。今日だけで終わらせたくなかった。
酒瓶を掲げ、軽く頭を下げ、口をつける。呑み下した酒が、胃袋に
洩らした吐息が喉の奥で、まだ酒の香りを漂わせていた。焼けるような匂いを鼻の奥に染み込ませ、薄闇の天井を見る。
帰ってくるのだろうか。そうすることができるのだろうか、アレシアも。帰ってきてくれるのだろうか、こんな風に? あいつらみたいに?
そう考えて笑みが洩れた。次に、そう考えた自分を笑った。
あり得ないと、そう思った。たとえ帰ってくるにしても、ウォレスのところにはあり得ない。
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