未練たらたらで悪いかよ

みず

第1話

 高二の夏休みが終わり、猛烈な暑さはどこへやら、涼しさを孕んだ爽やかな風がさらりと肌を撫でる。 

 俺、稲刈柃いなかりれいの通っている嶺邦れいほう高校は、中高一貫の私立高校で、中学と高校が同じ敷地に建てられている。

 中学からの4年間、毎日通っている俺にとっては、もう五度目ともなる二学期が始まろうとしていた。

 俺は乗り慣れた電車から流れ出る人混みに紛れ、ゆっくりと降車する。

 かけ足で人々が進む中、俺は一人のんびりと改札へ歩みを進める。

 駅前に連なる商店街からか、駅構内の弁当屋からか、醤油や味噌の美味しそうな匂いが鼻孔をくすぐる。

 黒のベースに白い文字で「10」と刺繍が施されたアディダスのリュックを右肩にかけ、右手でリュック横のポケットから取り出したICカードをかざして改札を抜ける。

 ぞろぞろと流れ出る人々に混ざり、俺は学校の方へと歩き出す。

 途端、背後から思いっきり背中をぶっ叩かれた。


「痛ってぇぇぇ!!」


れいおはよ!おひさ〜」


何事も無かったかのように笑顔でビシッと敬礼をしているこいつは、中学からの付き合いの同級生、長月望ながつきのぞみ

 俺の誘いで中学からずっとサッカー部のマネージャーを務めている。

 身長は俺よりも十センチほど低いが、真っ直ぐすらりと伸びた綺麗な手足、後ろで1つに纏められた髪は、いわゆるポニーテルで人懐っこい快活な女の子といった雰囲気を漂わせる。

 え?なになに胸のサイズが知りたいって?

 仕方ない今回だけ特別に教えてやろう。

 あくまで個人の見解だが、望の胸のサイズはBかCくらいだと踏んでいる。

まぁ、今後の成長に期待というところだ。

というか今はそんな事どうでもいいのだ。

 イタイ。背中がじんじんする。

 多分、俺の背中には真っ赤な手のひらの形が浮かびあがっているのだろう。

 このやろう。力任せに叩きやがって。少しは加減というものを知りやがれ。

 内面に関しては今の行動のとおり、加減を知らぬ脳筋馬鹿と思ってくれていい。


「てめぇ!いきなり何すんだ!」


「ん?すきんしっぷ?」


「スキンシップで思いっきり背中叩くやつがあるか!少しは加減を知れ!」


「ごめんってば。久しぶりに柃に会ったら興奮しちゃった。今度ラーメン奢っちゃるけん。許してくだせぇ。」


 周りの冷たい視線がジロリとこちらを刺してくるので、声のボリュームを一段階下げて話す。


「朝から人の背中を平手打ちすんな。全く…。てゆうか昨日も部活で会っただろ」


 ため息混じりに、俺は望に指摘をいれる。昨日は部活があったので顔を合わせているし、帰りも同じ電車で帰った。

 改札の前は他の人の邪魔になるので横に並んで学校へと向かう。

 学校は駅から15分ほど歩いたところにあるので、雑談しながら歩けば意外とすぐに着く距離だ。


「あれ?そうだっけ?」


「あぁ…そうだよまったく。相変わらず忘れっぽいな、昨日の事すら覚えてないとは」


「ちゃんと覚えてるもん。えーっと、部活から帰ってきて直ぐにお風呂入って、下着のままベッドに吸い込まれたところまでは」


「……………は?」


頭の中にその情景が否応なしに浮かび上がってくる。え、女子って下着のまま寝るの?


「マネージャーの下着姿を想像し、ひとり興奮してしまう柃くんなのでした、おしまい」


「なっ、勝手に人の脳内を翻訳するな。」

 

 図星をつかれ、思わず頬に熱がこもる。

 正直なところ、そういう想像をしたのは事実だ。

 一旦そこは認めよう、そこだけは。

 しかし男子高校生たるもの、下着のままベッドで横になっている女子高生の姿など、想像しない方がそれはそれで問題だと思うのだが。


「いや〜柃くんもすっかりお年頃の男の子ですなぁ。うんうん、仕方ない、切り替えていこう」


 どこをどう切り換えるのだろうか。

 指の細い華奢な手が、俺の左肩にポンと置かれる。

 調子に乗りやがってこのやろう。

 もはや顔を見なくても分かる。この女は今、前傾姿勢でこちらの顔を上目遣いで観察し、ニマニマした顔をこちらに向けているのだ。

 反撃に出るか迷ったが、寛大かつ紳士な俺は相手の煽りに突っかかる事なく、上手く話を逸らす。決して対抗策が思い浮かばなかった訳では無い。決して。

 ここは話を逸らして逃げるのが得策か。


「……そういやお前、宿題は終わったのか?昨日の帰りに『終わらない〜。』って騒いでただろ」


「ん?宿題?なにそれ美味しいの?」


「現実を逃避するな」


 定番のボケをかましてくる望に俺は苦笑しつつ、すぐさま適当なツッコミをいれる。

 まさかとは思うが本当にやってないんじゃあるまいな。


「フフッ。冗談だって。まぁ9割方終わってるよ?お陰で昨日は3時間しか寝れていないけど」


 親指を立てて、ニヤリと笑いながら彼女は言う。

 9割方って、残りの1割どうなってんねん。

 俺は呆れて大仰にため息をつく。

 それと3時間しか寝ていないというのは健康的に少し心配になるところだが、どうやらこのテンションなら大丈夫だろう。


「ドヤ顔で言えることじゃねぇよ」


 呆れるような、諦めるような眼差しで言う。

 先程も言ったが、望は基本的に馬鹿である。

 すなわち今日も平常運転という事だ。


「フフッ。ツッコミのセンスがある所だけは柃の長所だね。」


「うるせぇ。だけってなんだよ。他にもあるだろ?」


「え、えーっと、うーん。…………………なんだろう。元気なところ?」


え、望さん?僕ショックで泣いちゃうよ? 新学期早々から不登校になっちゃうよ?


「せめて1つくらい思いつけ!イケメン、スポーツ万能、スタイル抜群とか色々あるだろ」


「あっ、プロフィールに勘違いナルシストも書き足しとくね」


「やめい」


「嫌でーす」


 目を細めながら舌を出して俺を見上げる望は、なんというか小動物的な可愛らしさを含んでいる。

 そんな軽口を言い合いながら歩いていると———


「お二人さん相変わらず仲が良いこと。羨ましい限りだねぇ」


「おっと」


 いきなり1人の女子高生が俺と望の間を抜けて背後から飛び出してくる。

 反射的に驚いたものの、俺達の数歩先で止まり、振り向いた彼女は見慣れた女子高生だった。


「は?別に良くねぇよ」


 咄嗟に彼女の言葉を否定したあとから、ツンデレキャラのテンプレみたいな口調になってしまったことに気づいて恥ずかしさを覚えたが、どうにか平静を装った。


「いやー高校生だし?私も恋愛したいなーって。彼氏でも作ろうかなぁ」


和夏のどかおはよ〜」


 望は先程の言葉を気にする様子もなく、その女子高生にぎゅーっと抱きつく。

 このいかにも運動系女子という外見をしている女は、霧島和夏きりしまのどか

 彼女はバスケ部ではトップレベルの上手さを誇り、そしてスタイルの良さでも男女問わずに人気がある。身長は俺とほとんど同じだが、俺の方が少し高いくらいだろう。

 俺やのぞみとも同じく嶺邦れいほう中学に通っていたので、いわゆる良く知れた仲というやつだ。


「おはよ、望」


 霧島きりしまは大型犬の頭をよしよしするかのように、望の頭を撫でながら挨拶を返す。

 一方の大型犬は嬉しそうに満面の笑みを浮かべて飼い主を見上げている。

 おい霧島ちょっとそこ代われ。


「ねぇ〜和夏のどか聞いて〜。れいってば新学期初日から私の事エロい目で見てたんだよ?めちゃくちゃ胸触りたそうな目してたし。ねぇどう思う?」


 望が霧島の肩に抱きつきながら訴えている。

 一瞬思い当たる節が無く困惑したが、すぐに先程の改札前での下着姿の妄想の話だと分かる。

 そりゃ確かにエロい事は考えていたかもしれない。

 しかし胸を触りたいなどという目をした覚えはないのだが。

事実無根の罪を着せられるのは俺としても不本意である。

 断じて胸を見ていたわけではない。

 うん、少なくとも、意識的には見ていなかった、だろう。


「………」


 霧島が苦虫を噛み潰したような目で俺を睨んでいる。

 その隣では先程まで怪訝な顔で訴えていた望が、打って変わってニヤニヤとこちらを煽ってきている。

 こいつ、あとでお灸を据えてやらねば。


「騙されるな霧島!敵はそこの嘘つきドラ猫だ!俺は断じて何もしていない」


「誰がドラ猫よ。柃の変態むっつり脳筋野郎!」


「脳筋野郎は余計だろ!」


「はいはい夫婦ゲンカしない。」


『誰が夫婦じゃい!』

やはり新学期も俺の学校生活は平常運転で始まったのであった。

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