第1章 不死身の大剣士
第1話 いなくなった幼馴染。~登山は苦手でした~
場所:日本
語り:
*************
八月の室内は不快な湿気と熱気に包まれていた。
――窓を開けてるのに、暑いわ……。
私、小鳥遊宮子は、ひたいの汗を拭いながらマグカップを手にとった。
とたんに窓の反対側にある戸棚の方向から、奇妙な突風が吹きつけてくる。
マグカップが『ガチャン』と手から滑り落ちて、私の足元で砕け散った。
おかしな風は私の頬をくすぐって、カーテンを屋外へとなびかせている。
――なんなの?
まだたくさん入っていたミルクティーが、真っしろだったロングTシャツを薄茶に染めた。
氷がソファと床の隙間に滑り込んでいく。
雑巾片手にしゃがみ込んだ私の首筋に、じっとりとした汗がふき出した。
「気に入ってたのに……」
唖然としながら割れたマグカップを眺めていると、私の心にもひびが入ったように感じた。
割れてしまったマグカップは、一昨年の誕生日に、幼なじみの達也からプレゼントされたものだったのだ。
可愛らしい小花柄で、当時高校一年生だった彼が選んんでくれたとは、思えないようなデザイン。きっとこれを買ったときは、結構恥ずかしかったと思う。
それでも彼は、いつも笑顔で私の希望を叶えてくれた。
いまだって、ここに達也がいたなら「大丈夫? きみは危ないからはなれていて」と私を避難させてから、ささっと床を片付けてくれたはずだ。
だけど、どこまでも優しかった彼は、いまはもういない。瞳にあふれはじめた涙をこらえると、噛みしめた唇がキュッと音を立てた。
そろそろ出発の時間が迫っている。
「早く片付けなくちゃ」
しっかり掃除する時間はないけれど、とりあえずソファーと床をふき、いそいで服を着替えた。
一応都会の女子高生だけど、化粧っ気もなく黒髪で、見た目は地味だ。
今日は山に登るため、外はかなり暑そうだけれど、長袖シャツと長ズボンを着込んだ。
あらためて鏡の前に立つ。普段のブレザー姿よりいっそう、やぼったい自分が映しだされている。
「これでよし」
拾い集めたカップの破片を空き箱に仕舞い、私は急ぎ家を出た。
△
まだ間にあうはずだとバス停に向かった。だけど、時間になっても目的のバスは来ない。
「早めに出ちゃったのかな……」
スマホで時間を確認しながらソワソワする。やっと目的のバスが来たけど、約束には遅れてしまいそうだ。
行き先は一ヶ月前、合宿に行った山の宿舎だった。バスで一時間、タクシーで十分ほどの距離だ。
バスは見慣れた地元を走り抜け、普段はあまり行くことのない、山ばかりの地域へ向かっていく。
ぼんやりと景色を眺めていた私。もう目的地に着くというころになって、背中に背負っていたリュックを降ろした。汗ばんだ背中に空気が送られ少し冷たい。
――あれ?
膝に乗せたリュックに目をやって、異変に気付いた。外側のポケットのチャックが、完全に開いているのだ。
少し青ざめながらも、その開口部に手を突っ込み、ガサガサとおおげさになかを探った。
――財布がない! スマホも!
言葉にならない焦りが胸に広がっていく。落としたのか忘れたのか、なにも思いだせなかった。
運転手さんにペコペコと頭を下げ、情けない気持ちでバスをおりた。
――どうしよう。
待ちあわせ相手に連絡することもできず、私はその場に立ちつくした。
ビュンビュンと車の行き交う見慣れない国道。涙にボヤけた目にはそれ以外、緑ばかりに見える。
太陽が容赦なく私を焼きつけて、顔や背中を汗が滴り落ちた。
――諦めてなんとか帰ろうか。それとも……。
しばらく一人で葛藤するも、ここまで来て帰るのは嫌だった。
青く立ちはだかる山を見上げて、私はひとりため息をついた。
△
達也が消えたのは、あの合宿の最中だった。大がかりな捜索が行われたけれど、一ヶ月たったいまも彼は見つかっていない。
捜索が打ち切られて以来、毎日泣いてすごしてきた私。だけど今日は、初めてこの山に出向いてきた。
あのときの宿舎の人が、山を案内すると約束してくれたからだ。
側から見れば、無駄なことのように思えるかもしれない。
だけど私は、この機会を逃したくなかった。
――達也に会いたい。
リュックの肩紐をにぎる手にグッと力を入れ、唇をかたく結んだ。
今日は落ち込んだり泣いたりしない。そう決めて私はここまでやって来たのだ。
「ハイキングコースの入り口はあそこだわ」
山のすそに沿って走る、細くて頼りない国道わきの歩道を行き、私はやがて山道に入った。
――一応そのつもりの格好で来たんだけど。
普段インドア派な私は、すぐに息切れし始めた。
汗が滝のように流れてくる。暑さと寒さが入り混じって、視界がぼやけた。
――まずい……これって、熱中症かな……?
急激に身体の力が抜け、手もつかずに道端に倒れこんだ私。ほおが思い切り擦りむけて、強い衝撃が頭を突きぬけた。
――痛い……うごけない……。
燃えるように熱い地面が、私の身体をさらに熱していく。
そのとき、うすれていく意識のなかで、だれかの声が頭に響いた。
『仕方ないわ、こうなったらもう、連れていくわよ!』
*************
<後書き>
今回はこの物語の主人公、宮子のついてない朝の様子を書きました。
仲のよかった幼なじみの達也が行方不明になり一カ月。どうにもならない寂しさを抱えていた宮子。彼のいなくなった山を目指したものの、途中で倒れてしまいました。
次回、気が付くと彼女は傷だらけで異世界にいます。
いったいだれが、なんのために彼女を異世界へ連れていったのか、それがわかるのはだいぶん先になります。
※近況ノートに挿絵があります。あわせてごらんください。
※ハートや星を付けていただけると嬉しいです!
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