『童話・女子小学生と猫』 わたしのクロ

「あっ、ねこだ」

 

 はじめて歩く道で見かけた最初の楽しみは、さみしそうなお家の前で寝ている黒ねこだった。


「クロだよ」

 

 わたしの声に答えてくれたのは六年生のお兄さん。

 今日からわたしは小学生で、毎日この人と一緒に登校する決まりらしい。


「クロ? お兄さんがお名前を付けたの?」

「違うよ。おれも上級生……ずっと前に聞いたんだ。おれが一年生の時からこいつはここで寝ていたからな」

 

 お兄さんは眩しそうに見上げる。

 クロは高い門をつなぐ柱の上にいた。


「クロー」

 

 わたしが大きな声で呼ぶと、にゃぁ、と鳴いた。


「なんだ、まだ元気そうじゃないか」

「クロ、元気なかったの?」

 

 わたしが不安げに聞くと、お兄さんは困ったように笑った。


「けっこう、年だろうからこいつ。いつ、いなくなってもおかしくないっておれは思っていた」

「年とるといなくなるの? わたしのおばあちゃん、まだ家にいるよ?」

「人間は違うよ。年とっていなくなるのは猫だけ。あいつらは、死を悟ると姿を消すんだ」

 

 とても怖い言葉だったけど、お兄さんがすごく悲しそうだったから、わたしは怯えるよりも心配になってしまった。


「せめて、おれが卒業するまではいて欲しいって思うのは勝手なんだろうな」

 

 お兄さんはそうつぶやくと、わたしの手を引いて歩き出した。 



「あっ、ねこさんだ」

 幼い声に、わたしは笑いを堪えきれなくなった。


「クロだよ」

 昔を思い出し、教えてあげる。


「クロ? お姉さんがお名前つけたの?」

「違うよ。ずっと前から……。わたしが一年生の時から、クロはここにいるから」

 

 そう、クロはずっといてくれた。お兄さんの願いを聞き届けた後も、一人で登校するようになったわたしを毎日、見送ってくれた。

 けど、もうすぐお別れだ。

 卒業したら、この道を通ることはなくなる。


「クロー」

 

 一年生の子が大声で呼ぶも、クロは答えてくれなかった。

 クロはもう、ほとんど鳴きはしなかった。六年生になったわたしは、その意味を知っている。

 だけど、認めることはできなかった。

 だから、お兄さんと同じように願う。

 どうか、わたしが卒業するまで――と。


 

 卒業式は雪が降っていた。

 わたしは朝早くに家を出た。

 クロと同じ真っ黒のコートを着て、見上げる。


「クロ、お別れだね」

 

 帰りはお母さんが車で迎えに来てくれるから、これが最後だ。


「クロ、ありがとう」

 

 小さく、クロは鳴いた。

 その声を聞いて、わたしは自分の罪の重さを知る。


「……ごめんね、クロ」

 

 わたしが願わなければ、クロはもっと早くにここを去っていたに違いない。

 だって、猫は死を悟ると姿を消すってお兄さんが言っていた。

 

 なのに、クロはいてくれた。


 こんなに弱っても、待っていてくれた。

 わたしが頼んだから。

 学校からの帰りに毎日、声をかけたから――


「……もう、大丈夫だから」

 涙声でわたしは言う。

「……バイバイっ」

 

 だけど、決して涙は流さない。

 クロを心配させたら駄目だと、ぐっと堪える。

 しばらくの間、クロは開いているのかわからない瞳でわたしを見下ろしていた。

 わたしは笑っていた。笑おうと頑張っていた。

 そして、黙っていなくなろうとする一匹の黒猫の背中を見送った。

 

 わたしのクロは……もういない。

 

 もしここに他の黒猫が居ついても、わたしが「クロ」と呼びかけることはない。

 けど、あの子は違う。もしここで黒猫を見かけたらきっと、クロと大声で呼ぶことだろう。

 その時はどうか答えて欲しいと、わたしはまだ見ぬ黒猫に身勝手な願いを抱いた

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