『現代ドラマ・妹』 姫様は自分だけの恋を探している

 橘姫緒は恋愛ものが嫌いだった。

 何故なら、彼女は可愛くて頭が良い。更には運動や家事全般も得意な万能タイプで――絶対に主役にはさせて貰えないからだ。

 結局、ああいったモノは持たざる人の為にある。持てる人は鞘当てや悪役など、便利に使われておしまい。

 事実、彼女が感情移入できるキャラたちは皆そんな風に扱われていった。絶対に主人公にはなれないし、大好きだった人とも結ばれない。


「だから、私は恋愛ものが嫌い」

 そう吐き捨てた彼女を咎めも笑いもせず、


「今度の姫様は逞しいこった」

 義兄となる人はそっと頭を撫でた。

 

 ただ身勝手に可愛がるだけでなく、慈しむように。そして、今にも泣いてしまいそうな顔つきで微笑んで見せた。

 

 だから橘姫緒は素直に、

「――おにいちゃん」

 と呼べるようになった。



「姫様ー」

 

 学校の帰り道、橘姫緒は不愉快な声に呼ばれた。位置的に上。目を向けると、歩道橋に見知った制服。


「おい無視すんなって。そのポニーテールは姫様だろ? おーい、姫様ー。橘妹ー」

 

 だけど、おにいちゃんじゃない。

 だったら聞く必要もないと姫緒は早歩きになる。


「ちょっと助けてほしいんだけど? ヘルプミー。ドゥーユーアンダースタンド?」

 

 が、その下手くそな英語で我慢の限界。中途半端な巻き舌が気持ち悪い上に、こちらを馬鹿にした物言いについ反応してしまう。


「何ですか? 笹山音さん」

 

 目を向け、大声で言ってやる。全身で話しかけるな! という気持ちを前面に出してやった。


「何故フルネーム?」

 しかし伝わらず、相手は変なところを気にしていた。


「そっちだって名前で呼ばないじゃん。私の名前は姫緒よ」

「でも、橘は姫様って」


「おにいちゃんは別」

 そう吐き捨て歩き出そうとすると、


「だー、ちょっと待て。本当、助けてほしいんだって」

 先ほどより必死な声。

 

 仕方なく、向かってやる。

 なんせ、数えるほどしかいないおにいちゃんの友人だ。


「っていうか、この歩道橋使う人なんていたんだ」

 

 姫緒は文句を言いながら階段を上る。これなら、どう考えても信号を待っていたほうがマシだ。

「で、なに……うっわ、ひくわー」

 そうして上りきるなり吐き捨てた。


「待て、誤解だ」


 そう弁明する男の傍には女児がいた。制服を見ると近くの小学校――というか、後輩に当たる相手だった。

 しかも、そのコは蹲って泣いている。

 顔は見えないが凝った編み込み。校則でアクセサリーが使えないからか、幾重もの三つ編みを束ねて長い髪を纏め上げていた。


「冗談。でも、こんなのに構うなんて馬鹿じゃない?」

 

 密室ではないといえ、場所が悪い。使う人が少ない歩道橋なんて、誤解されても仕方がない。


「性分だ」

 なのに、笹山音は言い切った。

「物凄い勢いで歩道橋を駆け上ったと思ったら全然下りて来なくてな。それで心配になって見に来たらこうして泣いていたわけで……」

 

 姫緒からすれば理解できない行動である。

「放っておけば?」


「それはできん。もし虐待とかあって、ニュースでそのことを知ったら後悔する」

 

 本気で言ってるようで姫緒は更に呆れる。


「これだから男は」

「なんだよ?」


「別にあんたが悪いわけじゃないから」

 文句は無視して、姫緒は女のコに話かける。

「あんたのママが悪いわけでもない」

 

 一言目で女のコは反応して、二言目で顔をあげた。予想通り、そのコはとても可愛かった。


「自分より可愛いのが気に食わないコがいるだけよ」


「ほん、と?」

 小さな声だった。

 ただ傷つけられた事実に怯えるだけの……昔の自分に似ていた。


「本当。だから、顔をあげなさい。あんたは可愛いんだから。その髪も素敵よ」

「ママが、してくれたの」

「嬉しかった?」

「うん。でも、なまいきだって……」

 

 中学生の自分から見てもオシャレな髪型なので、そういう結果になるのも仕方ない。

 でも、本人にはわからないだろう。姫緒にしても、今だからこそわかることである。


「そんなの無視しなさい。それであんたが泣いてたら、ママだって哀しむから」

「……うん」

「あんたは胸を張って、顔をあげていれば大丈夫。そうすれば、いつかきっと素敵な人が見つけてくれるから」


「でも……」

 女のコはとても不服そうな顔で言う。

「おねえちゃんの隣にいる人はあんまり素敵そうに見えないよ?」

 その言葉を聞いて――


「あはははー」

 姫緒は腹を抱えて笑ったのだった。



 女の子が笑顔で去るなり、

「なんで、わかったんだ?」


「虐待を受けてるコがあんな奇麗な髪してるわけないって」

 どう見ても愛されているコだった。ただ、そういうコは得てして標的にもなりやすい。

 理解できなくとも、女の内には嫉妬心が燻っている。

 そういうコたちは他人がキラキラした物を持っていたり、オシャレでいたら攻撃せずにはいられないのだ。

 そうして、自分ですらわからない苛立ちに振り回され――嫌な女になっていく。


「そうだったか?」

「おにいちゃんなら秒で気づくよ」

「あんなんと一緒にすんな」

「うん、おにいちゃんに失礼だった」

「おま……やっぱ、橘の妹だな」

「ほんとっ?」

「あぁ、あそこで腹抱えて笑うとことか。あの子も親切にしてやったのに……」

「見返りが欲しかったわけじゃないでしょ?」

「まぁ、そうだ。あの子が泣き止んでくれて満足だ」

 

 そんな台詞をてらいもなく言えるから、おにいちゃんの友達なんだろう。

 姫緒は知っている。あの人こそ、物語の主人公になれるタイプだと。それでも、恋愛ものには向かない。

 ベクトルは違えど、とてつもないクズで女たらしだから。


「なんで、そんなに優しいの?」

「そうか? 普通だと思うけど」

「そんなことないと思う」

「橘だって同じことするだろ?」

「おにいちゃんは……違うもん」

 

 滅茶苦茶だった家庭環境を反面教師にしているだけ。義妹に優しいのもそう。常識的な兄をモデリングしているに過ぎない。


「私も……わざわざ首を突っ込んだりしない」

 かつて同じように泣いていたとしても、だ。


「でも、助けてくれたじゃん」

「あれは……別に」

 

 ただ、昔の自分を哀れんだだけだ。

 誰も救ってくれなかった。

 持てる人だった私の我儘は傲慢とされ、大人たちにも責められた。


「結局、持たざる人のほうが幸せだよね」

 

 実際、父親を失ってからは生意気じゃなくなったと言われた。新しい父親と兄ができると知られると、意地悪だったコたちに同情すらされた。

 もっとも、その相手が素敵だとわかるとすぐさま掌を返されたけど。


「あなたとか、とっても幸せそう」

「失礼な」 

 

 そう、失礼なことを言われても怒っていない。中学生の――年下の言葉だから、聞き流してくれる。

 たぶん、こういう人を好きになれば幸せになれる。

 でも……


「全然素敵じゃないんだよね」

「まだ引っ張るかそれ?」



 橘姫緒は恋愛ものが嫌いだった。

 だから、血の繋がらない兄を好きにならない。

 優しさしか取り柄のない男も好きにならない。

 今はまだ、自分だけの恋を探していたい。

 たとえ、傲慢と言われても――


「だって、女のコだもん」

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