相変わらず優柔不断なぼくだけど。

大野コヨーテ

第1話:ぼくの卓球ライフ

 中学生の時に入ったのは卓球部だった。

稲中卓球部の「死ね死ね団」に憧れたからではない。


 僕が卓球部に入った理由は、部費が0円(実費)だったから。

そう、ちょっとケチな子供だった。

まぁもともと部活動したい、ってわけじゃなかったしね。

部活動に入ることは義務付けられていたので、やむを得ずってやつだ。


 だから、卓球を熱烈にやりたかったわけではない。

でもまぁ色々思い出は残っていて。

今、どうだった?と聞かれて、一番最初に思い出すのは、雨の日の練習。


 校舎の階段を昇ったり降りたり、繰り返すというもの。

今思うとすべって転びそうだよな。危ないし。

今でも現役の子たちはやっているのかな。


 他もハードだった思い出が多い。

階段の昇降以外では、部員同士をおんぶして運ぶ、とかもやっていた。

女子卓球部と合同とかならテンションは上がりそうだけどね。

そんな最&高な部はなかった(笑)

あっても合同でなんかやらないだろうけど(-_-;)


 体育館を使う部活は、バスケ、バレー、バドミントンなど色々あって、

限られたスペースでしのぎをけずっているから、

毎日卓球台で練習できるわけじゃないのもつまらないよね。

しょうがないけど。


 雨の日ともなると外での練習もできないし、他の部も屋内で練習する必要があるから、余計に練習スペースは狭くなる。ひたすら階段ダッシュとかだったなぁ。


 あとは、曜日で各部が使用できる練習場所が決まっていて。

ある曜日では卓球部が体育館の壇上を使用できる日があった。

狭いけど、そこには卓球台が2つ設置できた。


 でも1つか2つ年上なだけの(笑)諸先輩方が独占しているんだよな。

他の部ともせめぎあい、同じ部内でもせめぎあいだ。

ぼくももっと練習すればうまくなるのにな、ずるいな、なんて思ってた気がする。

後輩たちも同様に思ってたんだろうけどね。


それはさておき、、、


 部活動に入った当初、1年生を統括するために、責任長制がとられていた。

誰も立候補しなかった、かつ、お調子者だったぼくは立候補。

そして(ライバル候補もいないので)無事当選。

ただ生来のO型。またO型の中でも、かなりいいかげんな部類に属しており、

全然やるべきことをやらない(爆)

やらないというか正直ベースでは、覚えてない。忘れてしまっている(-_-;)

その結果、ついたあだ名は無責任長でしたとさ(笑) 

軽く黒歴史ですね。。。


 2年生になったら試合にでれるようになって。

そのための部内でランク戦も行われた。


ランクはA~Fまであって。

部員は全員で25~30人くらいいたはずだから、1ランク5~6人の計算だ。

ぼくはBだったかCだったか正直覚えていない。

Aではなかったのは確かだ( ;∀;)


 Aランクじゃないのに責任長(無責任長だけど)。

これはかなり葛藤があった。

代替えの際、部長は無事Aランクから選出されてよかったんだけど。

少し複雑で。ちょっとぼくは熱がさめてしまっていた気がする。

例えばランニングの時の話。

 3パターンくらいのコースがあって、一番長いのは1.5kmのコース。

なんと同じ卓球部のK川くん家がコース上にあるという好コース(笑)

お邪魔して、当時流行っていた、スト2ゼロとかやってたな。


 試合があった際も、観客席で、

幕〇とか、すごいよマ〇ルさんとか、マンガを読んでいた。

というかそれらは部室においてあった。

よくよく考えるとすごい部室だよ(笑)


ていうか、〇張って言葉の響きがちょっとシモいな。。。失礼。


そんな卓球部時代。


高校では続けなかったので、練習したのは実際3年間だけなんだけど、

やってなかった人と比べればうまい(自画自賛)。

なので高校や大学、社会人になっても球技大会などでそれなりに活躍でき、

まぁやっててよかったなとは思うし、楽しいのでおすすめです(笑)

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