日曜日

@Y_words

愚行

 「ああ、堺氏、ご無沙汰です。」

 「ああ黒田氏!いやはや、ご無沙汰です、ご無沙汰です。少しコレについて家内と揉めましてね、最近外出を控えていたんですよ。」

 「はっはっは、心配されておられるんですね。ご家族もお元気そうで何よりです。」

 黒田氏はいつも通り全身黒色の装いで、堺氏は冬らしい白色の毛皮に埋もれていた。

どちらも定例会の常連である。というより、最初の数回以降はほとんどこの2名のみが出席している。

 定例会は毎週日曜午前、時計台公園にて行われる。開始時刻はまちまちだが、いつも同じく日曜午前に時計台公園に訪れるトランペット吹きの中年の演奏開始とともに談話が始まる。この日もまた、穏やかな音楽が公園に響き渡っていた。週を追う毎に柔らかく、伸びやかになっていく彼の音色は、いつの間にか定例会の一部となっていた。

 「今日は野村氏はいらっしゃらないのかしら。」

 堺氏は大げさにキョロキョロと辺りを見回した。首回りのファーがふわふわと揺れた。

 「野村氏は自由な方ですからね。そのうちまた一週間分の愚痴を抱えて現れますよ。」

 そう答えると、黒田氏は軽く伸びをした。野村氏が定刻通りに現れる事は過去に一度も無かったので、双方諦めている様子だった。全く現れなくなってしまった会員方が多数いる中、毎週姿を現してくれるだけでありがたいのだ。

 野村氏は日が空に昇りきった頃に到着した。トランペット吹きの中年は休憩してしまっていたため、無音の中彼女は現れた。黒田氏と堺氏の前に立つと、野村氏は無言で会釈した。2名は同じ様に会釈を返し、きまずいまま視線を足元の草に落とした。むず痒い沈黙の裏で、わずかな鳥の鳴き声と乾いた芝生の擦れる音が聞こえた。

 その直前、黒田氏と堺氏は公園の近隣住民の話をしていた。

 「14番街には学生がたくさん住んでいますね。他人と居住空間を共有するなんて、私には考えられないな。」

 「おや、黒田氏。共同生活は悪いものではありませんよ。もっとも、私は今家族と一緒に住んでいるわけですが、元々の距離感は他人同士のようなものでしたから。」

 首を傾げる黒田氏に、堺氏が答えた。数ヶ月前の定例会で、黒田氏は一人で暮らしていると話していた。この様子だと相変わらず一人暮らしを続けているのだろう。その昔にはパートナーと共同生活していた事もあるようだが、堺氏がその詳細を知る事は無かった。

 「でもやはり、何より他人同士で暮らす方のが一番気楽なのではないでしょうか。」野村氏が初めて口を開いた。「一人より複数人で暮らした方が食料なんかが便利ですが、家族や恋人と暮らすと同居人との距離が近すぎて、一人の時間が欲しい時、外出しなければなりません。その点、他人と生活している場合は心の距離が遠いので、同じ空間にいてもさほどお互い気を使う事がありません。それでも一応他者と暮らしている訳ですから、時折会話もあったりして、寂しさはしのげます。学生には最適解でしょう。」

 黒田氏と堺氏は顔を見合わせ、同時に少し首を傾げた。

 「全くの他人とは暮らした事が無いので、私には未知の領域かもしれませんね。まあ、他人と家族の差なんて、私にとって家に共にいるかどうかくらいしかありませんから、そもそも距離感なんかの感覚も違うかもしれません。ははは」

 堺氏はにこやかに笑った。黒田氏は堺氏と野村氏の間に複雑な確執を察知し、話題の転換を試みた。

 「ところで野村氏、例の学生達の食料提供についてはどうお考えですか?」

 黒田氏の質問に、即座に野村氏は顔をしかめた。

 「1号宅と3号宅の輩ですね。奴らは悪ですよ。まず餌の香りをちらつかせて、私たちをおびき寄せる。ひとしきりこねくり回して、そろそろ家にあげてくれるのだろうかと玄関に踏み込もうとすると追い出すのです。つい先ほどまであんなにも愛してくださったので、あまりの態度の変化に驚いてしまい、私はもう、完全に、この方々は家に入れてくださるのだと思って、試しに少しお願いしてみたのです。彼らは可愛らしい声の持ち主に対して甘いですからね。簡単に気を許すと思ったのですよ。しかし、彼らは頑なに入れてくださらない。私も少しムキになってしまってですね、なんとかこのチャンスを逃すまいと、何度も可愛らしく鳴いたり、擦り寄ったりしてみたのですよ。でも入れてくださらない。段々無意味に懇願する自分の姿が哀れになってしまってですね。とても悲しい気持ちでその場を去ったのですよ。」

 定例会を再び沈黙が襲った。黒田氏は堺氏の視線を掴もうと目を向けたが、堺氏の方はもはや他者の目を見る事ができず、手元に視線を移していた。

 幸い、同時刻頃にトランペット吹きが休憩を終えた。中年は膝の上のタッパーに手についたパン屑をはたきいれ、蓋を閉じると水筒から少しお茶を汲んで飲んだ。蓋がカップ型になっている魔法瓶タイプの水筒で、冷たい空気にさらされたお茶が白い湯気を放っていた。トランペットはベンチに敷いたタオルの上に横たわっていた。

 再びトランペットの音色が耳に届くと、堺氏と黒田氏は安堵でため息をついた。2名とも呼吸を解放して初めて、肺の張りを自覚した。野村氏は音楽に合わせて少し首を揺らした。

 「おっほ、おやまあ…」

 まともな言葉を用意できないまま、堺氏が声を漏らした。軽快なトランペットに便乗してとにかく沈黙を破る事が先決だったのである。

 「やはり学生とは住む世界が違いますな。」

 言い切ってから話を蒸し返すリスクに気がついた黒田氏は、少し、あたふたした。しかし、野村氏はトランペットの音色に耳を澄ますばかりで、特に黒田氏の発言に注意していなかった。

 その後も黒田氏と堺氏がいくつか差し障りのない会話を交わし、野村氏はただ目を閉じて首を揺らした。音楽は長く続かなかった。中年は過去数時間続けて練習していた難関曲を数回通すと、二、三回程違う曲を通して演奏し、満足して楽器を片付け始めてしまったのだ。再び音楽が止まってしまうと、緩やかに終了の空気感が充満した。

 3度目の沈黙から数分後、黒田氏が簡潔に挨拶をしてその場を去った。間も無くして堺氏が野村氏に会釈し、そそくさと背を向けて去った。野村氏も軽く頭を下げて歩き出した。

 金具を全て留め切ると、中年は角の禿げかかったトランペットケースのを撫でた。数秒楽器と見つめあったあとに後ろを振り返ると、観客は全て去っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る