第36話

 カナトが店を飛び出して行って、その後をカホが追って行った。


 残されたぼくら4人は、目線も合わせずに黙り込んでいた。


「あいつら金置いて行かなかったな」


 テーブルに目線を落とすケンジが言った。

 うん、と誰かが応じた。多分サキノだ。結局ぼくは、彼らが付き合っているのかどうか知らない。今となってはどうでもいいことだが。


 気を利かせるように、店主がミルクティーをぼくとリオの前に置いた。リオが「ありがとうございます」と口にした。ぼくも続いて言った。


「えっと、どうしようか」


 切り出したのはサキノだった。


「宮本アスカ、どうしよう」

「どうするって言っても、なあ……」


 おそるおそるケンジが言う。

 まるでロープににじり寄って、向こうへちょこんと足を出しかけるような慎重さだ。


「続けるよ」


 だからぼくは容赦なくロープを踏み越える。


「宮本アスカは追いかける。というより、高崎浩司を」

「そっちかよー」


 ケンジが言った。テーブルの上で両手を組みながら、顔だけは剽軽に明るかった。


「そっちだよ。ぼくは、軽音部にも高崎浩司にも、やられっぱなしだから」

「軽音部とは和解しろよ、和解」

「和解?」


 疑問の声を上げたのはリオだった。


「え?」


 気圧されたケンジは、素っ頓狂な声を上げて押し黙る。


「和解してどうするの?」

「和解しないでどうするのよ」


 さらにそこへ、サキノが突っかかって言った。


「揉めないで、これ以上。話が進まなくなるから」


 ぼくが慌てて制すると、場は再び静まり返る。

 ケンジに目配せする、彼は処置なしと首を横に振った。


「とにかく、次に何するか決めないと。また豊洲お台場を張り込む?」

「あれは無理だと思う。そもそも、毎日毎日この辺にいるとも限らないし」

「じゃあどこを張り込む?」

「やっぱり、宮本アスカの事務所じゃないかな」

「さすがにそれは危ないだろ。もっとコソコソやろうぜ」


 コソコソ、呟きながら頭を巡らせた。

 目立たずにこっそりと、宮本アスカと高崎浩司について探る方法。そんなものがあるとは思えなかった。

 しかし思い付かなければ、何も始まらない。カナトに言った「陰キャのまま」が、そっくりそのまま自分に返ってくることになる。


 ミルクティーを飲みながら、そういえば最近この店に入り浸り過ぎていると感じた。別に嫌だと思うわけじゃないが、行動範囲が限定され過ぎているのも、面白くない。

 ぼくらとは違って、宮本アスカと高崎浩司は幅広い範囲で生きているのだろう。それじゃあ見つからないはずだ、羨ましい。


 その点、中田先輩こと『乱視ゼロコンマ』は簡単だ。この店に通っていれば、いつか会えるのだから。

 そういえば、あれ以来中田先輩には中々会っていない。曲作りで忙しいのだろうか。それとも、新しい隠れ家を根城にしているのだろうか。


「中田先輩は何してんのかな」


 何も思いつかないので、考えていたことをそのまま口にした。

 ただでさえ空気も重いのだ。今はとにかく喋った方がいい。


「中田先輩って?」

「『乱視ゼロコンマ』のこと」

「ああそういえば言ってたね」


 そんなやり取りをしていると、不意にリオが顔を上げた。


「ねえねえ、そもそも宮本アスカって、何で知り合ったんだっけ?」

「『乱視ゼロコンマ』のPV撮影」


 答えたのはケンジだった。


「じゃあさ、その『乱視ゼロコンマ』は何で宮本アスカを知ったんだろう」

「さあ、どうだろ」

「そっか!」


 適当なやり取りを交わすケンジに割り込んで、サキノが大きな声を上げた。


「『乱視ゼロコンマ』経由なら、宮本アスカに接触できるかも!」

「普通に事務所に電話したんじゃないの?」

「そんなの、聞いてみなきゃ分からないじゃーん」


 ぼくの指摘を聞き流して、サキノはすぐにスマホを耳に当てた。

 早速中田先輩に電話しているのだろう。行動力の鬼である。


「あ、もしもしお疲れ様です。新聞部の富山咲乃です……」


 通話しながら、サキノは店を出た。


 ぼくら3人ポツンと残されて、ケンジがため息をついた。


「なーんか、大変だなあ。色々と」

「ケンジが蒔いた種だろ。元はといえば」

「夏川もノリノリだったじゃん」

「まあそうだけど」


 他に何も言い返せなくて、仕方なくミルクティーに逃げた。


「色々と大変なくらいがいいよ」


 リオは穏やかに言う。ぼくとケンジを交互に見て、ニッコリと頷いた。


「何もしないより、ずっといい」


 彼女の言動には、何か含みがある気がした。おそらく、これまでリオは何もしなかった側なのだろう。

 ぼくと付き合って、色々の場所で色々なことをしたのは、間違いない。しかし、の他には、何も無い。

 だからリオは、恋愛以外の思い出を、大学の中に作りたいのかもしれない。動画サークルに入った理由も、そこにあるのだろう。


「遠田ちゃんはさ」


 ケンジが声を掛ける。


「なんでサキノのことが嫌いなの?」

「別に嫌いじゃないよ」

「本当に?」

「本当だよ」


 ケンジはリオの顔をジッと見ていたが、やがて「そっか」と視線を逸らす。

 彼がムキになるのは仕方ないし、ぼくだって、できれば仲良くしてほしい。


 どうしてリオは、サキノに突っかかるのだろう。逆もまた然り。

 彼女らの相性が悪いのは、非常に居心地が悪い。なんとかならないものか、原因が分かれば……と考えて、そういえば春頃に、ぼくとサキノが一緒にいたことで、リオと揉めたことを思い出した。


 原因はぼくだったか。


「結局さ」


 思い出したついでに、訊ねる。


「ケンジとサキノは付き合ってるの?」

「え、そうなの?」

「な、なんだよ急に」


 ぼくとリオに詰められて、ケンジはオロオロと目を泳がせた。

 やがてついに、彼が口を開きかけた、そのとき――


「宮本アスカにアポ取れそうだよ!」


 意気揚々と、サキノが戻って来た。

 隣で舌打ちが聞こえた気がするが、よもやリオではあるまい。

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