陰キャくんの、ネチネチ大学《キャンパス》ライフ
東
プロローグ
心理学概論の講義は驚くほど退屈だった。
この一般教養科目には、ババ抜きで絶対に負けない最強のメンタリズムを期待していた。
しかしガイダンスにて、教授が開口一番、
「この講義ではメンタリストになれません」
目論見はあっという間に崩れた。
人間心理がいかにして形成され、いかなる作用を及ぼし、いかなる経緯で学問と成るに至ったか……などということは、ぼくにとって(というよりほとんど全ての学生にとって)どうでもいいことだった。
Twitterのトレンドの方がよほど関心事だった。
長くて難解な教授の話が終わると、プレワークとして、ディスカッションが行なわれた。
ぼくは、見知らぬ男2人と、同じグループになった。ちくしょう、美少女とワンチャン狙っていたのに。
ここで華も添えられないとなれば、いよいよ放心状態で時間が過ぎるのを待つ他あるまい。
必死の受験戦争を乗り越えた先に待ち受けるキャンパスライフには、たしかに胸を躍らせていた。それは否定しない。
ぼくの間違いは、来たる4月1日の入学式で、すまし顔に徹していたことだ。
眼差しは鋭く、口を真一文字に結んでいれば、ハンサムの仲間入りを果たせると、本気で信じていたのだ。阿呆だったことは認める。
言わずもがな、ぼくがすまし顔だと思っていたそれは、根暗が仏頂面を浮かべているに過ぎなかったらしい。
入学式からガイダンス期間の4日間で、友達作りのチャンスはあっさりと消えた。そうなると残されたチャンスは初回の授業のみである。
4月5日の金曜日。
平日の最後である今日が、有意義なキャンパスライフを送るスタートダッシュのラストチャンスだった。
そして見事にずっこけた。
残されたのはメンタリストになれない仏頂面の根暗である。
来週から始まるのは修羅の日々だ。既に完成されたコミュニティに突撃していくぼくは、おそらくさながらドン・キホーテ。
絆という風車に巻き込まれて木っ端微塵になるばかりだろう。
講義が終わって、わざとらしくため息をつきながら、帰り支度をしていた頃。
「サークル作ろうぜ」
声を掛けられた。
一緒にディスカッションをした学生の1人だった。
妙な自信に満ち溢れている彼は、たしか
自信に満ち溢れた表情が、辛うじて滑稽さを抑え付けている。抑え付けているどころか妙なオーラさえある。
そういえばディスカッション中も胸を張って声高に語っていた。
気迫に押されてうんうん頷いていたが、後から考えると大したことは言ってなかった気がする。
「なんか面白そうだな」
乗り気で言ったのは、ぼくじゃない。
ディスカッショングループの、3人目のメンバーだ。彼の名前は忘れたし、これといった印象もない。
小柄な割に老けた顔立ちだが、ファッションセンスはポテンシャルに見合った地味さで、その点には好感を持てた。
「だろ。えっと、名前何だっけ?」
「
ノマカナト、と滝田健司が復唱した。ぼくも心の中で繰り返した。
「オーケー、カナトね」と言って、彼の目がこちらに向く。
「
素直に名乗ると、滝田健司は「オーケー、リオね」と同じようなセリフを吐いた。
「2人ともサークルに入る予定とかは?」
「ない」
カナトは即座に答えた。
ぼくも「ない」と続いた。
頭数に含まれていることは引っ掛かったが、これが最後の砦であることは、なんとなく感じる。
これを逃せば、俺の4年間は、キャンパスの隅で意味もなくスマホをスクロールし続ける日々になる。
しかしここで、滝田健司が持っているこのオーラに乗っかれば、少なくとも、キャンパスライフを棒に振ることはないだろう。
最低でも、スマホをスクロールする場所が、キャンパスの中心にはなっているかもしれない。
だが所詮、予感は予感に過ぎない。
「なにサークルを作るつもり?」
ナップザックを背負いながら訊ねると、滝田健司はニヤリと笑って見せた。
目尻の笑い皺だけで「よくぞ聞いてくれた」と語れることは、一種の才能に思えた。
まんまと乗せられたみたいで無性に腹が立ったが、そもそもこの男に乗ろうと思っていたので、仕方がない。
そう、仕方がないのだ。
「なんだと思う?」
思っていたよりも、ウザい返答だった。
「バンド組むのか?」
野間叶人はピュアな反応を示した。
漠然と何かを始めるときに、バンドを選んでいいのは高校生までだ。大学に入ったのだから、せめて英語か、プログラミングと言うくらいの分別はほしい。
「なんだろう」
ひとまず適当なことを言っておく。
よっぽどめんどくさい内容だったり親に報告できない奇天烈な活動だったりしなければ、おおらかな心で何でも受け入れるつもりだった。
たとえ野間叶人の言うようにバンド活動であっても参加してやろう。
戦力になるかどうかは不明だが、リコーダーくらいなら吹ける。
しかし滝田健司は、バンドやろうぜ、とも、サッカーやろうぜ、とも、言わなかった。ましてや、プログラミングでもなかった。
「ま、これから決めるんだけどな」
ぬけぬけと、言い放つ彼はニヤリとした笑みを絶やさなかった。それどころか長いスピーチを終えた後のような達成感さえ浮かべていた。
自分の仕事はここまで、残り仕事は任せたぞ、とでも言いたげだ。
全く、バカ言え。
そんな無計画なことを口走って、あろうことかぼくらを誘うだなんて。
思わず、ため息が出る。
それから、短く答える。
「いいよ、やろう」
ぼくが――あるいはぼくと野間叶人が誘いに乗ったのは、華やかなキャンパスライフに望みをかけていたからに違いない。
滝田健司の放つ妙なオーラに触れていると、それを実現する好機が、今ここにあるのだと思えるのだ。
そんなわけで、ぼくのキャンパスライフは彼らとサークルを結成するところから始動する。
ハズレ授業のディスカッションで知り合った奇妙な2人と、大学4年間はおろか卒業後も続く腐れ縁になろうとは、この頃はまだ知る由もなかった――なんていうことを妄想するのも、華やかなキャンパスライフの延長線上である。
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