血狂い問題児が勇者パーティを割と妥当な理由で追放されるお話

@Underrain

出奔、或いは緩めた帯。


 ――その者は、種族問わず凡ゆる人物を擁したノウスルーツ王国の『勇者』の中でも異質極まりない人間であった。

 あらゆる魔導の祖たる国に於いてこの名は、その道の最前線を勇んで歩み、道を切り拓く者。この国の黎明を支えた偉大なる先人に肖り、その在り方を求められた者達を言う。選考基準は実力主義、或いは成果主義。一癖も二癖もある者らが選出される中で、彼は不思議な程に癖の薄い人物であった。

 歳の頃は壮年。見た目は、他と比べれば『貧弱』の侮りを免れない。病的に白い肌、白髪混じりの黒髪に枯れ枝の如き指先。腰に佩くは極東に伝わる得物、緩く弧を描く刀が大小。拵えは見るからに古く錆びつき、これも聖剣や魔剣にある『力』を感じる事はない。服装は同じく極東の、しかし質素というより貧相という表現が似合うほつれや補修痕の目立つ品。

 アダマンタイトやオリハルコンの鎧を纏わず、さりとて上等な着物を身にする訳でもない。胸に国の選りすぐりの冒険者である証明――『練武片翼証』のバッジを付けていなければ貧困層の住人と間違われる事請け合いである。

 何処で生まれ、何処から来たか、そういう詳しい情報は何も分からない。多くが認知しているのは、その実力を冒険者ギルドが定期的に開催する力試しの祭典にて発揮すると、その剣技を面白がった『勇者』の一人が一騎討ちを所望し互角の戦いを繰り広げたという事実。

 戦闘職に於ける勇者らはこの国の最高戦力である。それを相手取り拮抗しているのは、痩身で、扱う得物さえも痩せ身の得体の知れない男であった。後にこの魔法使いの大国であるノウスルーツでは余りに珍しい先天的な魔力霧散障害――魔力生成量、保有量共に零という体質の発覚も相まって、この事実を疑問視する声も上がった。

 それも、四界の一角たる『風界』の眷属、緑竜を単身で屠るまでの話である。

 晴れて、彼は『勇者』の称号を国から授与される。既に一戦交えた『鋼』はコレを喜び、他の勇者らも概ね彼を歓迎した。

 ――新たに選ばれ、『錆』の勇者と呼ばれる男の名は、サカキ。

 後に、『泥血の乱』と呼ばれるその血塗れの戦を一度でも目の当たりした者らは、畏怖と嫌悪とを綯交ぜにした表情で、彼を『血脂の錆』と呼ぶ。






「……すまない。君をこれ以上パーティに置く訳にはいかない」


 勇者パーティのリーダー的存在である『鉄』の勇者、イクス。ブロンドの髪を後ろに掻き上げる青年は、開口一番にそう言った。

 いつもの冷静沈着の字義を顔に貼り付けたかの様な表情は、らしくもなく沈痛に歪む。二つ名の通りに鉄面皮が特徴なのだ、重傷を負うとも皺一つ刻まぬあの表情筋が崩れるのは、知る限り恋人と孤児院の子供に会う時のみである。


「沙汰が降ったか」

「あぁ……魔法至上主義者の連中が、君に悪感情を持つ市民団体を抱き込み嘆願書と署名を集めた。加えて……」

「――貴族どもが介入して来た」


 引き継ぐと、その額に皺が寄った。

 今日は本当に珍しい、この男の貴重な面を何度も拝めるとは。


「『勇者には華やかな戦果と煌びやかな振る舞いが求められる。血塗れの錆などには相応しくない』……戯言だよ、俺達の中で血を被った事のない者など居ないというのに」

「こうなった以上、民草はそう思わんという事だ。教訓になったな」

「……ひどい話だ。自分達の身を守る盾を、硬さや働きではなく装飾かざりで評価するとは」

「何方かを選べるなら、誰でも綺麗な方を選ぶだろうよ——それに分かっていた事だろう、己のやり方は認められん。人倫に悖る者が英雄に混じりそのおこぼれを頂戴していると見られれば、無辜の人々には気の良いものではない」

「だが……ッ」

「イクス」


 諭す様に、口を開く。これが最後。その確信を胸に、この心優しい青年が抱く後悔の念を出来る限り薄くせんとして。

 訣別を口にする。


「王に、『別れの言葉を御前にて紡げぬ不敬と卑きこの身を取り立てて下さった御恩に奉公出来ぬ無道をお赦しくだされ』と。そう伝えてくれ」

「……ッ!」

「今宵発つ。己の稼ぎは、あぁそうそう、ギルドの酒場にでも呉れてやれ。あそこには随分世話になった」

「お前は、迷わないな……」

「迷わぬ事は強さ、とでも嘯いてみようか。一側面では間違いではなかろうが、迷い抜いた果てに見える地平もあろうよ……ではな」


 革張りのソファから立ち上がり、出口に向き直る。勇者らが集うこの部屋のドアも、これで見納めである。

 ノブを捻り、最後に、老婆心から。


「ソフィアを大事にしろよ。尤も、言うまでもないだろうがな」


 そんなお節介を、部屋に残した。







 

 とっぷりと日も暮れ、街並みからは灯りが消えつつある。時折聞こえるのは今宵幾度目とも知れぬ乾杯の音頭、どんちゃん騒ぎ。其処だけは、酒場だけは昼間の活気を一所に集めたかの如く輝いていた。

 いつもの如く飲兵衛どもが集まっているのか、それとも何かの祝い事でもあったのか。兎も角都合が良い。この街から人一人が音も無く消えるには、とても適した状況であると言える。

 いつもの服装に腰に差した刀が二振りという変わり映えのない格好に当面の生活を保証する道具や食糧一式を大きめの麻袋に入れて背負い、防寒具を兼用するフード付きのマントを纏う。『鋳』と『編』の勇者らが態々繕ってくれた逸品だ、装着者の体温を一定に保つ術式を編んでいるとか。

 流浪の旅をする者には垂涎であろうが、それを纏うのがこの身であるというのは、どうも勿体ない。

 諦めとも喜びとも取れぬ息を吐けば、いつの間にやらこの王国に数ある門の中でも最も人通りの少ない門扉へと辿り着いていた。思考の海とはこうも深かっただろうか等と考えて、クク、と咽喉を鳴らす。


「サカキだ、開門頼む」


 無人の扉は、しかし己の声に呼応して静かにその口を開けた。『人が来る前に早う何処へなりとも行け』と急かす様にも見えたのは、おそらく己の錯視に過ぎない。

 一歩を門の外に踏み出せば、馬車の行き来で踏み慣らされたと言うには草が疎に生え揃う道に出る。此処が荷馬車などの往来に使われる事は殆どない、王族がお忍びで国を出たり、己の様な落伍者がひっそりと相応しき場所に堕ち征く時などに使われる。

 故にこの道が道としての役割を半ば放棄しているのは、この国の栄えたるを証明しているとも、言えなくはないだろうか。


「サカキィィッ!」


 ふと、野太い声が後背から耳朶を貫いた。

 相も変わらず、よく通る声である。乱戦の只中だとてアレの吐く気勢は不足なく届くのだ、こんな静かな夜半には雷鳴めいた喧しさであろう。


「ヴィル、もう夜更けだ。そう大声を出すなよぅ」

「おっ、お前はっ、毎度毎度決断が早過ぎるんだよ……ッ」


 息も絶え絶えに恨みがましく此方を睨むのは、赤い短髪で長身の男。己が勇者らと関わりを持った理由である『鋼』の勇者、ヴィルヘルム・シュツルトである。

 剣と盾とで火の粉を振り払い敵を薙ぎ払って活路を拓く勇者の中でも指折りの武闘派の一人であり、また『守護』の意味を持つ『シュツルト』という姓は、代々王族に仕えて来た近衛騎士の家に生まれた証でもある。

 己よりも頭三つ分は背が高く、それでいてどんな服でも窮屈に見えてしまう程の恵体を持つ偉丈夫。戦場に於いても彼が居るだけで安心感が違うと他の勇者にも言わしめる程の雰囲気オーラ

 そんな屈強な男が、今にも泣き出しそうに顔をくしゃくしゃにしているのだと言うのだから、底意地が悪いとは思いつつも笑わずにはいられないのである。


「本当に良いのか!? あんなくだらない、貴族連中どもの自己満足の為に国を出るなんて!」

「仕掛けは打っただろうが、実際に賛同したのは民草だ。してやられた、と己を嗤うしかあるまいよ」

「あぁもうっ、どうしてお前はそう自分の事に無頓着なんだ……!」


 短く揃えられた頭を掻き毟りながら呻く大男に破顔させられる。戦場なら兎も角、今の様子を見て敢えてその印象を口走るなら犬だ。それも小型の、飼い主が帰ると尻尾を千切れんばかりに振る様な。

 他者の事に此処まで顔を赤くしたり青くしたり出来るのは、いっそのこと才能とも言えようか。


「……そうだ、俺から王に諫言しよう。そうしたらこの馬鹿げた沙汰を撤回出来るかも――」

「『民の言葉を無視し、己のお気に入りの為に政治を利用した暗君』という文言を奴等に使われたくなければ辞めておけ。アレらには騎士道も戦場での作法もない、一度隙を見せれば喉元に喰らいついて放さないだろうさ」

「っぐ……だが……!」


 此方に応える言葉に詰まったのは当然だ。騎士の家に生まれたならば、彼とてその可能性に思い至らない筈はないからである。

 王族に代々身命を捧げて来た一族だ、王に媚びた面を見せながら後ろ手で毒を盛らんと画策する人間など一度に全て思い出せない程には居る事だろう。今頃それらの顔が脳裏を駆け巡っているに違いない。

 それに過程がどうあれ、国の民が望み、それを貴族が汲み、王の耳に届いたという図式は変わらないのだ。今回の件は『貴族の身勝手な所業』ではなく、『無辜なる民の切実なる希求』として捉えられる。

 日頃より他者を陥れのし上がる事のみを考えている連中の計略だ、勇者の称号を得ているとは言え外様の己が否を唱えられる余地などは残っていない。或いは見破れぬだけかもしれぬが、生憎と政策には――というよりただ一つの技能を除いた凡ゆる種の見聞には――疎い我が身には荷が勝ちすぎる。


「なに、気にするなとは言わんが心配はするな。此処に来るまでも生き永らえて来たんだ、しぶとく生きてれば再会の機も巡ろうよ」

「……」

「それに、今回の件を乗り切った所で『アレ』はまた起こる。富みもすれば貧しくもなる形の国なら避けられぬ事……その度の下手人もまた間違いなく己、さすれば今度こそ己が首は断頭台を転がるだろうさ」


 今より数週間前の事である。いやさ、人の生まれ持った性というもの程厄介な事は無いと久々に実感した事件であった。

 ――『魔薬の過剰摂取』はこの国に於いても法の罰を逃れ得ぬ事案である。それを何を血迷ったか、摂取限界など疾うに超えながらも麻袋一杯のそれを一心不乱に食む者が五人。

 かの薬は魔術回路を魔力の通りを良くしながらもマナの吸収体質を目覚めさせる効能がある。精霊に準ずる魔力要素を回収出来るなら、限定的且つ当人の魔導適性にもよるが殆ど無尽蔵の魔力を手に入れたのと同義。魔術の祖たるこの国でも凡ゆる場で使われている。

 しかし、許容限界を超えた摂取は吸収したマナと体内のオド、これらを巡らせる魔術回路全体に於いて毒となる。循環不全を起こした余剰魔力は体から発散させる他なく、遂には空間が許す魔力臨界さえも突破して――魔獣に成る。

 事が起こってからでは遅い、魔獣となった元人間は最早獣そのものであり、転化を許せば街への被害は必至。即座に対処する必要があった。

 その折、己が悪癖が露呈した、発露した。

 ――後に裏通りで見つかった五つの死体は、それを造り上げた人物の加虐嗜好を大いに満足させたであろうと、判断された。

 民がそう評を下したのを、貴族らは耳聡く聞き付け以前より囲っていた魔法至上の団体と共にこの身の所業と体質とを材料に追い込みを掛けたのだ。『かの狂人の手繰る刀刃が国民に及ばない理由はない』とでも大袈裟に大仰に吹聴すればそれで事足りる。手際が随分と良いという事と、どう見ても貧窮していた五名があれ程の魔薬を入手出来るものか、という二つの疑問は、恐らく言った所で有耶無耶にされただろう。

 己の良くない所と相手の手管が上手い具合に嵌りこの度無様に根無草の仲間入りである。反省反省、そう戯けてみせてもそれを披露する相手もこれからは居なくなる。

 全くもって、悪因は悪果を運ぶとはよく言ったもので。


「騙し騙し、誤魔化しを重ねて遂に忍耐の袋が爆ぜた。己の場合アレがソレよ。ひどい為体と笑われても何も返す言葉は無い――それに」


 そして、悪果はまた、更なる悪因の種となる。

 それを、あろう事かこの身は。


「民草を蔑ろにするのは忍びなく、然りとて身勝手な欲の遂行を想わずにはおれんのよ」

「アレが、お前の本性だと?」

「今頃貴族どもは民衆らに酒を振り撒きながらどう音頭を取ってるだろうなぁ……『あの穢らわしい血狂いを追放出来たのは其方らの助けあってこそ』とでも吹けば民らの覚えよろしくもなろうなぁ……」


 曲がる。夜天を仰ぎ見、自然上を向く口の端が歪む、弧を描く。

 正しくそれは、狂笑とでも言うべきの。


「残念残念――肥え太った豚の斬り心地など、極上であったろうになぁ」

「……ッ!」

「……かは、妄言よ。されど理解しただろう、己は一所に居てはならぬ。流れ流れて、その果てに朽ち果てるのを待てば勝手に消える悩みの種子……それが、このサカキの正体よ」


 血狂いを名乗るに相応しき、凶相であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る