ダイヤルQ2が鳴り止むまで

Cleyera / くれーら

Chapter1. 家出少女

第1話 テレフォン倶楽部

 忘れたかった愛の在処を、あの冬は教えてくれたと思う。

 

 ボク、西浦碧にしうらあおは、夜になると決まって渋谷の裏路地に足を伸ばす。年の瀬の忘年会に付き合わされて、時計はもう22時を回っていた。適当な言い訳をつけて帰れたはいいが、最近付き合いが悪いと課長に愚痴を零される。


 どんな事を言われようが足を止めない。ボクだけが知っている世界が待っているのから。


 息が白い季節は、人肌も恋しくなる。また一つ寒さを実感する度に、何もなく1年が過ぎたことを思わされる。


 「終わっちまったな……」


 敢えて言うなら、主体性のない1年だった。


 こんな感じの反省文は何年も書き続けてきたし、初詣に猛省を込めて願いを立てたはいいが、また年の瀬になってから思い出して後悔する。


 そんな繰り返しの中で生きることにも満足している。


 過ちは繰り返される。「テレクラ」に向かう自分が全てを証明しているから。




 女の子という存在は、どう足掻いても消すことが許されない。


 ボクはそういう人間だ。




 吉原はもう飽きた。この子は可愛いけれど性格がダメ、この子は写真を偽って金を巻き上げるブス、この子は性格がダメだけど尻はデカいから許す……とかつまらない評論を始めると、楽しんでいることにはならない。


 経験値はカテゴライズに変わっていって、新鮮さを失わせる。テレクラはまだ、それまで深く知ることのなかった領域だったから、魅力に感じただけだ。


 きっと飽きる時は来るけれど、そうなればまた別の世界に飛び込めば良い。


 「どうする?もう一軒行っちゃいます?」

 「いいって、それより部室にデリヘル呼びてえわ〜〜」

 「はい投票取ります、デリヘルの人!ピンサロの人!マージャンの人!」


 スペイン坂は既に、身の丈を知らずに酔い潰れた大学生の集団で溢れ返っている。過去の自分とは違うから、彼らにノスタルジーを感じるんだと思う。


 今はもう、それ以上に大人らしくてスリリングな遊びを手に入れた。タバコなんてガキの憧れでしかない……そうやって憧れた時期はあったはずだけれど、今のボクには感じられない。


 冷たい風を感じて顔を上げると、パルコの照明は終わったクリスマスの余韻を伝えてくる。プレゼント用にダイヤモンドが飛ぶように売れたと聞く。


 今年は特に景気が良くなった。株価は過去最高を叩き出したし、人々は気を良くして色々と贅沢品を買い占めた。芝浦に出来た新しいディスコに連れられたことはあるが、景気の良さを物語るかのように豪華絢爛な場所だった。


 ……ああ、そうだった。今年は偶然にしてダイヤモンドを歌った曲が売れたんだっけ。いつだって音楽は時代を示してくれる。


 「はい雀荘行きまーす」

 「うわ〜〜なんてこった」


 この国は輝いている。街はもう、すすまみれの昭和の色を消し去ろうとしていた。


 ハチ公を抜けると仰々しい看板が出迎えてくれる。裏路地の黒には似合わない、派手な黄色と赤がボクをそっと包み込んだ。


 「いらっしゃ……」

 「1時間で」


 陰気な受付の声を遮って、渡された番号札を握りしめた。これだったら二次会に出てもよかったんじゃないか、渡り廊下でつまらないことを考えてみる。


 そしてボクは、一畳半の小部屋に押し込まれる。

 小汚いコンクリートの壁の前には、ブラウン管のテレビと黒電話……それと、ティッシュケース。電話越しで営む人も居るらしいが、ボクにはそんな趣味はない。


 カバンを乱暴に投げて、タバコ臭い椅子に腰を下ろす。

 まるで監獄にいるようだと、酔いが醒めて我に返ったような気分になる。ぼんやり天井を見上げながら、意味も分からず声が漏れた。


 「……また、ここにいる」


 テレクラは寂しさを埋め合わせるには丁度いい。女の子は引っ切り無しに電話をかけてくれるし、地雷女が来たと思ったら電話を切ればいい。相性が良さそうなら近場のホテルに呼べるし、風俗と違って中抜きが少ないのは魅力的だ。


 何より最近になって登場したテレクラには、風俗にはないスリルがある。

 「この場所には女子高生が溢れている」――裏情報は確かだった。


 そもそも、彼女たちはここに居てはいけない存在。テレクラは法規制の網目をスルスルと潜り抜けてきて、今に至っている。


 何度か、彼女たちとは身体を交わし合ったことがある。その度にボクを襲う背徳感とか、純粋無垢な少女のなまめかしい身体だとか、葛藤の狭間で揺れ動く時の快感は言葉にできない。


 「まだ年端も行かない子と営める」、そんな悪魔的な囁きに多幸感を覚えずにはいられない。

 きっと社会に疲れすぎたせいだ。ボクは悪くない。そうさせた社会が悪い。


 テレクラに依存する彼女たちもボクと同じ存在で、心に傷を負って生きている。

 理由は色々あるけれど、きっとアブノーマルな世界に飛び込むことで刺激が欲しくなったのだろう。社会が決める規範だとか価値だとか、彼女たちはその枠組みに囚われ続けてきたけれど、ついにそのタガが外れて自由を得ようとする。


 何よりその自由が、真面目に生きた人間を嘲笑うかのようだ。

 行く先も知らないで、あれ程嫌っていた群れの一つに消えていくのに。



 ――最後に求めるのは、「愛情」というありふれた感情なのに。



 大人になれば、空虚な愛のセリフなんて嘘だと気付く。タイムマシンに乗って高校生のボクに会えるなら、今の自分はそうやってそう諭すだろう。


 幾多の女の子と交わってきて、まだ「愛が欲しい」と叫べば冷ややかな目で見られる。けれど、それがまさにボクの心の叫びであって、今もずっと変わらないままでいる。人はそれを「子供らしい」と嘲笑う。


 ボクの願い? 嘘だとしても、愛を叫び続けていたい。

 飽きずに伝えられるとしたら、常に新鮮さが伴うべきだ。一晩限りの愛の囁きなら、どうにか誤魔化せそうな気がして、電話を待つだけ。


 幼くていいんだと思う。根拠のない言葉を並べて、仮初の愛を育む。


 「大好きだ」

 「君だけを愛してる」

 「今日だけはずっと側に居て」


 何とまあ、無責任な愛だろうか。

 こうして流れに逆らっているのは間違いないけれど、そうすることで流れに沿うことが出来る。正しい愛の形なんて誰が決めた?


 ボクはボクなりの至高の愛を求めた結果として、この場所にいるだけ。愛情をくれた対価としてカネを払う、こんなに合理的でお互いに幸せになれるシステムがあるんだ。使わない手はないだろう? なあ、そうだろ……。


 「――情けない」


 詭弁きべんは空を舞って、排気口へと流れていく。天井に放った視線は、電波を垂れ流したテレビへと移る。気に障ったか、勢いよくリモコンを片手に取ってスイッチを切る。


 テレビの横に、見慣れない一枚の張り紙を見つけた。


 「ツーショットダイヤル始めました」


 どうやら指名制を導入したという趣旨だった。今までのテレクラは不特定多数から電話が掛かるのを待つシステムになっているだけに、相手の女の子をリピートしたいと思うなら、直接電話番号を知らなければならない。ツーショットダイヤル、これはこれで便利なのだろう。


 その分、指名料金とあって通常より高めの設定になっている。「ダイヤルQ2」という見慣れないシステムを使っている……多分、これが高くついている理由だろうと踏んだ。


 ただ、ボクにとってリピートは趣味じゃない。

 リピートはやがて必要以上の依存や偏愛に繋がって、最後はお互いに身を滅ぼす事になる。何度も繰り返してボクの叫びを伝え切ろうとするなら、それまでに相手が壊れてしまうのだろう、と恐れている。愛は一晩限りのもので十分だ。


 ボクの叫びも、繰り返し壊してきた後悔の上に成り立っている。


 「これでいいんだ、一晩だけでいいんだ」


 堪えられなくなってギュッと目を瞑った。ボクの人生なら受け入れる他ない。


 究極的に交われない愛は仮初のものでしかなくて、いつか裏切られる。


 愛が壊れれば、虚構の愛を守ろうとした嘘を問われて、相応の罪を背負うことになる。



 ーーボクは十字架を背負って歩く、その途中で涙を溢している。



 「あ、来た……」

 ジリリと音を鳴らした電話の黒は、暗闇に消えていくようだった。ボクはこれから無秩序な愛を求める獣になる。相手が誰かなんて声を聞けば分かることだ。まあ今日は、どんな女の子でも妥協することにしようか。


 何の期待もないまま、受話器に手を伸ばす。早く伸ばさないと、この女は顔の知らないゴミ野郎に取られてしまうから。



 「もしもし――今、表参道に居ます」


 「……え?」


 聞き馴染みのある、柔らかくて甘い声。


 一瞬で思い出の全部が、背筋を伝わって全身を震わせる。


 「高校生です、リリーっていいます」


 ボクが思い出したのは、語り続けたかった初恋の名前だった。

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