終局 2

 そんなやり取りをしつつ、そろそろ本格的に情報の共有をしようかと言った黄の王が、地図を広げて今回の襲撃があった場所や被害状況について話し始めた。その様子に、少年は少しだけ困った顔をして赤の王を見る。こんな重要そうな話を自分が聞いてしまって良いのだろうか、と思ったのだ。だが、少年に対してだけはどうにも察しが悪い王は、にこりと微笑んで少年の頭を撫でただけだった。

「おいそこ、いちゃつくな」

「ああ、すまない。キョウヤが余りにも愛らしくてな」

「あんたな……。まあ、良いけどよ。つーかそんなことより、もうひとつ大事な話があるんだよ」

 情報系統がまだ少し混乱してる影響で細かい部分は不明だけど、と前置きをした上で、黄の王が言葉を続ける。

「こっちがてんやわんやしている最中に、グランデルも狙われたらしいぞ。それもあっちは大物相手だ」

 告げられた言葉に、赤の王が僅かに目を細める。少年も、レクシリアやグレイの顔を思い浮かべて、不安そうな表情をした。

「大物、か。どのような?」

「そのあたりの情報がどうにもごちゃごちゃしてるんだが、多分、どっかの次元で崇められているなり畏れられているなりした神だろう、って見解になってるみてーだな」

 神、という単語に、少年の顔色が悪くなる。言動から察するに、この世界に伝わる創世神のような高位の存在ではなく、人々の思いによって生まれる概念上の神のことなのだろうが、それでも神は神だ。普通の人間に対処できる存在ではないのではないか。

「……なるほど、水神でも使役して寄越して来たか?」

「判ってんじゃねーか。これも予想通りだったか?」

「……予想通り、というよりも、想定していた最悪の事態だった、という方が正しいな。あり得ることだと思い、それに対処できるだけの条件を揃えてから出て行ったが、本当にそうなるとは思っていなかった」

 赤の王の言葉に、黄の王が片眉を上げる。

「となると、帝国側は基本的に俺らが一番嫌なことを的確にやってきてるっつーことだな」

「ああ、そういうことになる。……それで、グランデルの被害状況は?」

 珍しくやや緊張したような雰囲気を感じさせる赤の王に、黄の王は内心でおや、と首を傾げた。

 こういうときほど、気味が悪いくらいに常と変わらない様子を保つのが赤の王だったと思うのだが、どうしたというのだろうか。

 そんなことを思いつつ、黄の王は赤の王に向かって肩を竦めてみせた。

「一部の沿岸域が水浸しにはなって、家が流されたりだとかいう被害はあったみてぇだけど、死者はゼロだ。ロンター宰相が先手を打って対処に努めたおかげらしいぞ。やっぱ優秀だな、あの宰相」

 言われ、赤の王が僅かに安堵したような息を吐いてから、緩く微笑んだ。

「任せると言ったからな。レクシィはそれに応える男だ」

 傍で聞いていた少年も、死者はいないという話にほっと胸を撫で下ろす。だが、神のような存在をどうやって迎え撃ったのだろうか。相手が水神のようなものとなると、相性の都合で赤の王ですら分が悪いように思える。それをあの宰相が倒したと言われても、どうにも信じがたいと少年は思った。

 そんな少年の胸中が判ったのだろうか。ああ、と口を開いた黄の王が少年を見た。

「ロンター宰相がそこまで強いとは思えねぇって感じだな? でも、今回みたいな場合の対処は、ロステアール王よりロンター宰相の方が得手なんだぜ? なんせあの宰相、めちゃくちゃ珍しい全適持ちだからなー」

 全適持ち。全属性の精霊魔法が使える人間を指す言葉だ。

「そこにグレイの例の魔術が加われば、対水属性に関しちゃあロステアール王よりもよっぽど有能だ」

「グレイさんの、魔術……?」

「ああ。魔法専用の増幅魔術。そのお陰で、ロンター宰相は全属性の極限魔法を扱えるんだよ。つっても理論上の話だけどな」

 さらっと言われた言葉に、少年が驚きのあまり目を丸くする。

 極限魔法と言えば、始まりの四大国の王しか使えない大魔法だ。王ですら、自分の国の属性の極限魔法しか使えないと聞いている。それを全て使えるとなると、それは最早国王を超えていると言っても過言ではないだろう。

 とんでもないことを聞いてしまったという表情の少年の隣で、赤の王が感心した顔をする。

「あの増幅魔術は極秘中の極秘で、金の国の王を含む一部と私やレクシィしか知らない筈なのだが……。さすがはクラリオ王、全て把握していたか」

「まあなー。なんか隠してるっぽいことも判ったから、どこにも洩らしちゃいねーけど。でも今回ので絶対バレたぜ。こりゃ銀のじーさんの追及が面倒くせぇぞー?」

「別に、洩れて困る情報ではないのだがな。ただグレイが、あまりに完成度が低くて実用に足るものではないのに騒がれるのは面倒だ、というので、なんとなく周知をしないままここまで来ただけの話だ」

 赤の王の言葉に、黄の王が首を傾げる。

「そんなに完成度低いのか? 今回はそれで地霊の極限魔法発動してどうにかしたみてーだけど」

「低いとも。まずあれはレクシィ専用でな。レクシィ以外の魔法師に使うことはできん。それに、極限魔法一回分の魔力を鉱石に溜めるのにかかる日数は、およそ一年。グレイがあれを考案したのが三年前だから、三発分の魔力しか溜まっていないことになる。その内の二発を既に使ってしまったから、残るは一発のみだ。その上、魔術で補って尚、魔法発動者への負担が著しく大きいのも問題だ。極限魔法を放っただけでほとんど身動きが取れなくなってしまうのでは、安心して発動することもできん」

「あー、そりゃまあ確かに、欠陥魔術だな」

 グレイが聞いたら怒り出しそうなことを言った黄の王だったが、少年の感想も概ね似たようなものだった。

「という訳で、グレイ曰く、まだまだ未完成な魔術だそうだ」

「それを二度も使わせてるってんだから、やっぱあんたの采配どうかしてるわ……」

 言われ、赤の王が苦笑する。

「仕方がない。そうするのが最善だったのだ。それに、仮に私がその場にいたとしても、同じことになっていたさ。私の極限魔法では、水神には対抗できんからな」

「え、そ、そうなの?」

 思わずそう尋ねてしまった少年に、黄の王が笑う。

「そりゃそーだ。火霊魔法は水系統との相性最悪だからな。同じくらいの力なら、属性的に有利な方が勝つんだよ。極限魔法は確かにめちゃくちゃすげー魔法だけど、所詮ありゃあ人の領域における最高峰でしかない。概念の神が人の想いの塊だとしたら、あれもまた人の領域の最高峰に相当する。同じ最高峰なら、あとはもう属性的に勝っている方が勝つのが道理だろ? だからこそ、ロンター宰相は有利属性の極限魔法で対抗した訳だ」

「な、なるほど……」

 概念とはいえ一応は神様である存在を人の領域と判じて良いのか、といった思想上の疑問点を除けば、拍子抜けするほどに単純な話である。

 とは言え、赤の王が負ける姿をあまり想像できない少年にとって、彼が負ける状況があるという事実はかなり衝撃的な内容だった。

 そんな彼の心情が判ったのだろうか。赤の王が少しだけ複雑そうな表情を浮かべつつ、やや言いにくそうに口を開いた。

「……まあ、全く勝てないのかと言われると、実はそうではないのだが……」

「え、そうなの……?」

 尋ねる声に、赤の王が頷く。

「非常に使い勝手は悪いが、一応、まだ上があるからな」

 その言葉に、少年はグレイの元で学んだことを思い出した。恐らく、神性魔法のことを言っているのだ。

 少年はそれがどういう魔法なのか知らないが、赤の王の様子から察するに、ハイリスクハイリターンな魔法なのだろう。

「まーつまり、その国の王が神性魔法を使わなきゃ対処できないような敵をぶつけられた、ってことなんだよなぁ。あんたの国にゃあロンター宰相みてぇな特殊事例がいるからなんとかなったけど、これ他の国で同じことされたら最悪だぜ? 特に、始まりの四大国以外が狙われたらほとんどアウトみてぇなもんだ。…………いや、つーか、よく隣の金が狙われなかったな。水神を金に寄越されてたら、確実に大ダメージを受けた筈だ。それでも赤を狙ったってことは……」

 そこで言葉を切った黄の王が、赤の王を見る。

「……やっぱ向こうの狙いは、一貫してあんただな」

 恐らく、帝国側はレクシリアが極限魔法を使えることを知らなかった。だからこそ、水神を赤の国に仕向けたのだ。王の不在を補うだけの力を持つ王獣も、神性魔法だけは使えない。故に、レクシリアの極限魔法がなければ、あの状況で国を守れるのは赤の王しかいなかった。そして国王ならば、たとえどこに身を潜めていたとしても、自国を守るために必ず現れるだろう。

 そう。赤の国への襲撃は、赤の王をおびき寄せるためのものだったと考えるのが自然なのだ。

「……ってことは、あんまり良い状況じゃあねぇなぁ」

 そう言った黄の王が、顔を顰めて深い息を吐き出す。そして赤の王を真っ直ぐ見据えた彼は、口を開いた。

「この状況で病み上がりのあんたに言うのは酷だが、言っとく。ウロって奴は、俺たちの世界を創った神と同等の生き物だ。そんでもって、天秤の説は正しかった。銀のじーさんが過去視で手に入れた情報だから、間違いない」

 淡々とした声に、赤の王が僅かに目を細めた。だが、それだけである。

「……驚かねーんだな」

「……敵が人間の力が及ばない相手である、と判明した時点で、ある程度想定はしていた。だが、あまりに絶望的な想定だったからな。願望も含めて、まずないと思っていた」

 静かな声に、黄の王が表情を更に険しくした。

「あんたをおびき寄せるためにあれだけのことをしたってことは、逆に言えば向こうはあんたが何処にいるか判らなかったってことだ。ウロにその能力がないのか天秤の問題なのかは知らねーけど、ランファ殿の魔法は確かにあんたの存在を覆い隠してた。でも、今はそれがない。デイガーも死んだ。……十中八九、あんたがここに居ることはバレてる。そんでもって、きっと向こうはもうあんたを見失わないぞ。あれだけのことをしてまであんたを探してたんだ。俺だったら、見失うようなヘマは絶対にしない」

 それを聞いた少年の顔が、見る見るうちに青褪める。

 黄の王の言葉が真実なら、やはり赤の王はアグルムのままでいるべきだったのだ。それが、少年と一緒にいたせいで、こんなことになってしまった。アグルムを少年の傍に置くという判断は、きっと赤の王と黄の王の決定だったのだろう。だがそれでも、自分のせいで赤の王が危機的な状況に置かれてしまっている、という考えを拭うことはできなかった。

 謝罪をしなければ、と。

 その謝罪にどれだけの価値があるかは知らないし、きっとほとんど無価値のようなものなのだろうけれど、それでも謝らなければと思った。自分よりもずっと価値が高い命を、自分のせいで危機に晒すなど、あってはならないことだ。

 そう思って震える唇を開いた少年だったが、言葉を発する前に、その口が優しい手によって塞がれた。そして、そのままあやすように頭を撫でられる。

「お前のためではない」

 冷たく突き放すような言葉だ。だが、落ち着いた低い声は、この上なく優しい音で紡がれた。

「お前のためではないよ、キョウヤ。だから、お前のせいでもない。国王として、私の国の民を守るために最善の選択をした。それだけだ」

 その言葉に、少年の瞳の水分が増す。決して零れ落ちることはないけれど、視界が少しだけ滲んでしまう。

 赤の王の言葉は嘘偽りのない事実だ。自国の民ではない少年のことは一切考えず、ただただ赤の国の国民のためだけに動いたのだろう。それが事実だからこそ、こんなにも少年は救われる。赤の王の高潔な魂が混じりけもなく王であるからこそ、事実として受け入れられる。

 確固たる事実に基づく免罪符は、貧弱な少年の精神にとっては何よりの拠り所になったのだ。

 無言でこくりこくりと頷く少年の髪を、赤の王がまた撫でる。そんな様を見て、黄の王がぽつりと呟いた。

「……破れ鍋に綴じ蓋」

 どうやらその小さな声は、少なくとも少年には聞こえなかったようだ。

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