Episode.8 破滅の青白光

 ミーナが左腕に感じていたモノ、それはたとえて言うならば腕をごっそりぎ取られ、代わりに激痛そのものが植え付けられたような、そんな尋常ならざる辛苦だった。

 堪らずうずくまる彼女をルカは無残に焼け爛れた左腕に触れぬように細心の注意を払いつつ抱き留めている。


「ミーナ、ミーナ!」


 ミーナはルカが必死に自らの名を呼ぶ声を意識を繋ぎ止める頼みにして、どうにか底知れぬ闇の一歩手前で踏み止まっている。

 敵が最後の悪足掻きに放った『破滅の青白光デモニアクリティカ』のダメージが自らの腕に根を張り、生命そのものを吸い上げようとしている。

 これはそんな『闇の不死賢者ダーク・リッチ』の悪意とミーナ自身の命の綱引きだ。


「負ける……もんか……‼」


 ミーナは無事な右腕、刀を握る手に力を込める。

 その瞬間、彼女の脳裏に不気味な髑髏どくろがにたりと笑う映像が過った。

 そして意識が闇の手招きに持って行かれそうになる。


『ミーナ、ミーナ……。』


 これは誰の声だろう。

 随分遠くから聞こえる。

 ルカだろうか。

 待って、今そっちへ行くから……。


『ミーナぁ……。』


 しかしそれは次第に毒気を多分に孕んだ死を匂わせる。

 昔、両親に聞いた事がある。

 黒い衣を身に纏い、大きな鎌を持った骸骨、『死神』の御伽噺おとぎばなし

 その日の夜は怖くて眠れず、翌日も外の世界を恐ろしく感じてしまったものだ。


 ミーナは今、その恐ろしい髑髏どくろの化物に左腕を掴まれている。

 しかしその時、背後から別の声が聞こえた。


『ミーナ、気負うな、恐れるな!』


 しゃがれた老翁の声、耳に馴染んだ妖刀の声だった。

 つい最近出会った、死神以上に摩訶不思議な存在が彼女の心の支えとして確かに胸に息衝いていた。

 気が付くと、ミーナの左手を掴んでいた死神はバラバラに切り裂かれていた。


 嗚呼、意識がはっきりしていく。――ミーナは徐々に現実感を取り戻していた。


 そして、ルカの感触に気付いた時、彼女は完全に戻ってきた。


「ルカ……。」

「ミーナ、大丈夫か⁉」

「うん……。」


 ミーナは自分の命が現実に繋がっていることに安堵し、小さく笑みを溢した。

 それは紛う事無き一人の可憐な少女のそれであった。


『ミーナよ、言うた筈じゃろう。無意味に力むなと……。』


 妖刀の声は内容こそ彼女を叱るものだったが、語り口は今までで一番優しかった。

 実際、ミーナは右手に力を込めるあまりエネルギーのリソースを誤り、意識を永遠に失いかけたのだ。


『あの怪物の切り札には驚かされたが、命があって何よりじゃ。』


 だが、そんなことは過ぎ去ってしまった今では些細な事だ。

 この辺りで猛威を振るっていた『闇の不死賢者ダーク・リッチ』が去った今、ルカの集落にも平穏な生活が戻って来るだろう。――二人はそう思っていた。


 しかし、ミーナは突然背後で嫌な気配が大きく膨れ上がるのを感じた。

 それは先程まで彼女を苛んでいた死神のそれに似ていた。


『ふふふふふ、ははははは‼ 愚かな虫螻蛄むしけら共めが! 不死を名乗るわれが滅びるとでも思っているのか‼』


 二人の安堵に水を差すその声は紛れもなく先程細切れにされた筈の『闇の不死賢者ダーク・リッチ』のものだった。

 ミーナは左腕の痛みを堪え、振り返って右腕一本で妖刀を構える。

 ルカも鉄パイプを両手に持ち、ミーナの前に立って襲撃に備えようとする。


 しかし、動きを見せたのは先程『闇の不死賢者ダーク・リッチ』が吹き飛ばされた先にあった継ぎ接ぎの死体、その巨大な四肢だった。


「ぐはははは、これぞ叡智えいちの神業! われは命無き肉体に憑依し、が物として意のままに操ることが出来るのだ‼」


 起き上がった合成死体の巨人が開いた口から響かせた不快な声はまさしく『闇の不死賢者ダーク・リッチ』そのものだった。

 巨人はゆっくりと歩を進める。


「正直われも驚いておる。その小娘の持つ刀、四方よもわれの本体を傷付けることが出来る武器がこの世にあるなどとは夢にも思わなかった。だが、そもそわれは本来このように他の身体に憑依し、乗り換えて都度生命力を吸収してより強大化しながら生きる存在なのだ。これも全て、喪われた古代文明の叡智えいちの為せる業! そしてそれをり尽くし使いこなすからこその『闇の不死賢者ダーク・リッチ』よ‼」


 巨体が近づいてくる中、ミーナは強烈な疲労感に襲われていた。

 先程『闇の不死賢者ダーク・リッチ』に連撃を食らわせる時と、『破滅の青白光デモニアクリティカ』のダメージに耐える間に大きく消耗した彼女は、とても片腕で刀を振るえる体調ではない。

 剣先はフラフラと揺れ、震える右腕は今にも妖刀を落としてしまいそうだ。


 だがルカは、嗜虐的な笑みを浮かべる巨人の肉を纏った『闇の不死賢者ダーク・リッチ』に対し、不敵に笑い返して見せていた。

 まるで彼には勝算がある、そう言わんばかりの後ろ姿にミーナは不思議な頼もしさを感じていた。


「大層自慢げに言っているが、『闇の不死賢者ダーク・リッチ』、なら何故お前は最初からそうしなかったんだ?」


 ルカの問いに『闇の不死賢者ダーク・リッチ』の脚が止まり、歪んだ笑みが強張った。


「お前は何故、その『本体』とやらを剥き出しにしていたのか。考えられる理由は二つ。一つは、戦う上では『本体』を晒した状態の方が強いから。さっきお前も言っていたが、ぼくの攻撃がまるで通らなかった時は絶望したよ。ミーナの武器が通用して本当に良かった。」


 巨人は奥歯を噛み締め、そしてその瞬間、顔に罅が入った。

 それを見てルカは確信を深めて笑う。


「もう一つは、憑依したくても出来なかった。正確には、なるべくなら憑依したくなかった。お前がそんな巨人を態々わざわざ作った理由、それはお前が憑依したところでお前自身はかく肉体の強さは変わらない。だから強靭な肉体が必要だった。だが、見た所それも未完成。今少し歯を食い縛っただけで顔に罅が入ったところを見ると、そいつは今見掛け倒しで脆い!」


 ルカは『闇の不死賢者ダーク・リッチ』の巨体の足下に勢い良く飛び込み、そして鉄パイプに渾身の力を込めてすねを殴った。


「ぐ、ぐああああっっ‼」

「普段上半身だけでふわふわ浮かんでいたからか? 足下への攻撃には弱いようだな! すねを思い切り殴られると効くだろう‼」


 ルカの思わぬ猛攻に『闇の不死賢者ダーク・リッチ』の巨体は呆気無く左脚を砕かれて崩れ落ちた。


『あの小僧、此処ここへ来て良い洞察力じゃ。彼の言う通り、闇の不死賢者ダーク・リッチはミーナ、お前さんに斬り刻まれて追い詰められ、あの未完成の巨人の中へ逃げ込むしか無かったんじゃな。しかしそれならそれで逃げに徹すれば良いものを、あ奴、戦略的な知見は大層なものでもないと見えるの。』


 妖刀も形勢は完全に決したと、そう考えているようだった。

 これはもうミーナの出番は無さそうだと。

 しかし、敵もこのまま唯終わるわけではなかった。


「おのれ猿が‼」


 巨大な手がルカに掴みかかる。

 ルカは後跳びで躱そうとするも、巨人の指が胸を掠めてしまった。

 そして未完成とはいえ巨体には相応の怪力が備わっているらしく、掠っただけの攻撃でルカはミーナの足下に弾き飛ばされて倒れ込んでしまった。


「凡人の分際でわれに向かって勝ち誇るとは身の程知らずめが! われがただ苦し紛れにこの体に憑依したとでも思っているのか‼ 先程も言った通り、われは肉体の持ち主から生命エネルギーを吸収してより強く、大きくなっていく! つまりッッ‼」


 巨人の身体が粉々に砕け散り、肉片がミーナとルカを襲う。

 肉片、と言っても巨人のそれは一つ一つが人間の頭よりも大きく、ミーナもまた耐え切れずに倒れてしまった。

 そして、弾け飛んだ肉の塊の中から元通り、上半身の骨が完全に修復された『闇の不死賢者ダーク・リッチ』の『本体』が現れた。


「ぐはははは‼ 本来は先程の肉体を完成させる為にもう少し人間の素材を集め、研究を進めたかった。そうすればわれはより強大な存在になれたろうに……。だがこのとおり、エネルギーを回復するだけならばあれでも充分だ。われには永遠に近い時間がある。代わりの肉体はまたじっくり作り上げるとしよう。」


 そう勝ち誇ると、『闇の不死賢者ダーク・リッチ』は両腕を振り上げた。


貴様きさま等に死んで貰ってからな! 大好評だったこの『破滅の青白光デモニアクリティカ』、それも全開の出力で‼」


 ミーナが生死の境を彷徨った『闇の不死賢者ダーク・リッチ』の大技『破滅の青白光デモニアクリティカ』。

 今それを繰り出されたらそれこそひとたまりもない。

 ミーナは渾身の力を振り絞り、右腕を振り上げる。

 無駄な力を込めるなという妖刀の助言だが、最早彼女には余力が残されていない。


「あああああっっ‼」


 力が残されていないことが逆に功を奏した。

 ミーナが妖刀を投擲とうてきするにあたり、偶々上手い具合に脱力が成立し、絶妙の速度と精度で不気味な髑髏どくろの額を貫くことが出来た。


「な、何いいイィィィッ⁉ 莫迦ばかな‼ 何処にそんな力が⁉」

「ルカ‼」


 間髪を入れず、ミーナはルカに呼び掛けた。

 ルカは迷わず『闇の不死賢者ダーク・リッチ』に駆け寄り、妖刀の柄を掴もうと跳び上がった。

 投げた時、無意識の内に刃を下に向けていたのも幸いだった。

 ルカが柄を掴むと、妖刀は彼の身体の重さに引かれて落ち、『闇の不死賢者ダーク・リッチ』を縦に割いた。


「ぐはああアアッッ‼ あああまさかそんな‼ 『身体』も無いのに『本体』がまたっ……‼ このままでは……! おのれェッ‼」


 狼狽した『闇の不死賢者ダーク・リッチ』は逃げるようにミーナの脇を横切り、一目散に飛んで行った。

 二人にはもう追い掛ける力は残されていない。

 少なくとも暫しの休憩を挟み、体力の回復を待たなければ動けなかった。


 そんな彼らに、『闇の不死賢者ダーク・リッチ』の声が不気味に恨み言を響かせる。


『許さんぞ貴様きさま等……! われが二度も死にかけるとは許される筈が無い……! エネルギーが回復したら必ず殺してやる……! もっとも……!』


 突如、辺りに地響きが鳴り始めた。

 そして大きな揺れと共に地下室の壁や床、天井が罅割れ始める。


貴様きさまら二人が此処から生きて出られたらの話だがなあアアッッ‼』


 罅割れた壁と天井が崩れ落ち、瓦礫がれきが床と衝突して砕けた。


『い、いかん‼ 闇の不死賢者ダーク・リッチめ、奴は我々を生き埋めにするつもりじゃ‼ 動けミーナ‼ ルカでもいい動いてくれ‼ このままでは二人とも死ぬぞ‼』


 妖刀が発破をかけるも、ミーナもルカも疲労困憊で動けない。


「うぅ……ルカ……。」

「ミーナ……きみだけでも逃げ……。」


 その時、巨大な瓦礫がれきがミーナとルカの間に落ち、二人は分かたれた。

 互いの無事を願う二人、そして妖刀の思いを余所に、地下室は無情にも地層に変わろうとしていた。




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