第10話
その美しい顔を傷つけてはならない。
売り物である猫は、どれだけ殺しても構わないが、顔を傷つけることだけは禁じられている。
客の狂気や虐待衝動を、猫は幾らでも受け止めるが…誘うような甘い微笑みには、或いは苦痛に歪む愛らしい泣き顔には、いかなる暴力も振るってはならなかった。
それだけが客たちの我慢で、不満だった。
彩潰しにて最高とも言える美貌の猫を指名した客は、何度目かの殺害の後、その猫の首を絞めながら問いかけた。
「ねえ、猫ちゃん…もし僕が、君の顔を傷つけたらどうなるんだい」
「いけませんわ…そんなことをしては、お兄さんは、罰されてしまいますもの」
「顔を傷つけたら…治らないのかい」
「猫は傷を負いません…ですが、彩潰しの決まりなのです。どうか辛抱なさって」
「きれいな目だ。抉り出してしまいたい」
「いけませんわ…」
「可愛いよ、猫ちゃん」
ぐぐ、べき、ごきっ、ごぎりっ。
猫の細い首は、客の強い暴力の力で圧し折られた。鈍く濁った破裂音で骨が砕ける。猫は一瞬の奇声を上げ…ごぽ、と泡を吹き白目を剥く。
脱力した身体が数秒痙攣し、しかし断末魔に悶える醜態を晒すことはなく。
猫は最期まで美しく死んだ。
はあ、と満足そうに息を吐いた客は、机に置いていた鋏を手に取り、死んだ猫の右手の小指を刃で挟み。
ばづっ、と切断する。
猫は跳ね起きた。
「あああっ!」
透き通る甲高い悲鳴が部屋に響く。
猫は右手を押さえて転げ、畳へ血を滴らせながら、可愛らしく鳴いてみせる。
「私の指…せっかく爪に紅を塗ったのに…」
わざとらしい科白を述べて誘う。
客は笑う。
「こんな程度で猫ちゃんは泣かないだろう」
「許してくださいまし。猫でも、痛いものは痛いのです。せめて、どうか、死ぬのは一瞬で…」
「そんな可愛いことを言われたら、もっとひどくしてしまいたくなるなあ」
猫の誘いに昂った客は、鋏で猫の左耳を挟み込み。
ざぎり。
「ひぎゃあ!」
血液が溢れ出し、猫がのたうつ動きを追うように赤い線が畳に引かれていく。
客は鋏を閉じ、転がる猫へ鋭い切っ先を突き刺す。
「可愛い猫ちゃん。可愛い。ああ、顔はだめ。髪もだめ。でも、耳は切ってもいいんだねえ。ああ、それで我慢してあげる。だからもっと鳴いておくれ。僕をもっとおかしくしておくれ。あああ、可愛いねえ、可愛い」
突き刺す。何度も。刺しては引き抜き、ぶちこんでは捻り込み、抉り、引きずり出し、切って、引き裂いて、撒き散らす。
裂傷と穴から血を噴き出す猫は、這いつくばって畳を引っ掻き、美しい声で泣き叫んだ。
「あああ、どうか、どうか、お赦しくださいまし! 猫は言うことを聞きますから! どうか、どうか、楽に殺してくださいまし‼︎」
「ねえ、頭に刺したら怒られるかなあ⁉︎」
どづっ、と濁った音を響かせ、客は猫の頭に鋏を突き込む…猫は大きくびくりと跳ね上がり、奇怪に呻いて逝った。
悲鳴が途切れた部屋に、客を罰しに現れる者は居ない。
殺害絶頂にふるえた客は、死に絶えてなお痙攣する猫を仰向けに転がし…頬を染めて満足そうに笑った。
「ああ、やっぱり、嘘つきの猫ちゃんだ」
泡を吹く猫…紅梅の顔は、美しい笑みに歪んでいた。
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