第7話

柳は殺されることに慣れている。殺されることに慣れている柳の売りは、客を挑発し、怒らせ、より無惨に殺されること。柳は無惨に殺されることを快楽としていた。

客の反応は賛否両論だ。散々な罵倒を食らい、猫を殺害しても逆に鬱憤が溜まったという苦情。対して挑発されたことで、普段なら出来ないだろう殺害方法を行い爽快だったという称賛。被加虐両方の性癖を持つ者にとっては、罵倒されながら猫を虐め殺すという状況に堪らなく快楽を得られると、常連客も居る。

指名人気はそこそこなものの、柳は色売り屋の中では飛び抜けて奇異な猫だと噂されていた。


「群青様にはまだわからないでしょうね。時間をかけてじっくりと首を削られていくあの感覚ときたら、まるで…」

「もうやめてくれ」

猫の会話なんてそんなものだ。どんな客が来た。どんな殺され方をした。どれだけ金を得た…下卑た話ばかりが飛び交う。

彩潰しの新入り猫、群青には理解できない話だ。柳が嬉々と話す言葉、それだけで顔面を蒼白に染めて目を逸らす。

ここに居る猫たちは皆、一度は死んだ者だ。けらけらと笑い合う少女たち、廊下を駆けていく少年、目の前に居る柳、群青自身も例外ではない。皆死人だ。正しく傷を負えず、正しく死ぬこともできない、人の形をした化け物。

猫。

吐き気を堪えるような険しい顔つきの群青に、柳は浅くため息をつく。

「群青様は…あれから何度手解きを?」

「…一週間と四日…それからは、客人に殺される本番ばかりだ」

「未だ慣れていないご様子ですが」

「……」

柳は机につく頬杖の手を、左から右へ交代し、睨むような目で隣に座る群青を見上げる。

「良い加減になさったらどうですか…良い加減、猫として割り切ってはどうですか。貴方は彩潰しの猫になった、その自覚はお有りなのでしょう」

「……」

「猫になると決めたのなら、少しは猫の悦びを学ぶべきです。猫は殺されてこそ生き甲斐。猫は死を売り、死を得てこそ価値がある…御主人様は、そうだと教えてくださらなかったのですか」

「……」

沈黙する群青に呆れ、柳は机の上の器から一粒、金平糖を取り口に放り込む。からころと口腔内で転がし、じわりと広がる砂糖の甘さを堪能する。

俯く群青は、やがて柳から少し距離を取るように身じろぎ、小さく口を開く。

「俺は…今まで人の世で生きてきた。生きてこられたんだ。例え化け物だろうと、人の世で生きることは可能なはずだ…」

「無理ですよ。では群青様、もし外で、人間たちに猫だとばれたなら…わたしたちはどうなると思いますか」

がりり、と…柳は金平糖を噛み砕き、にたりと笑う。

無料ただで売られるのですよ。ただの、無限に破壊される玩具となるのです。猫にすらなれない。単なる肉細工となるのです…ねえ、今とどちらがましでしょうか」

がり、ごりり…こくん…。

口の中の金平糖を飲み下し、柳は頬杖を崩し、机に伏せながら群青を見上げる。

「猫は人の世では生きて行けませぬ。猫が人間と同様に生きることはできませぬ…だから我々猫は、色売り屋というお家に拾われ、餌を与えられ、数多くの狂人たちに媚を売るしか生き抜く術はないのです。媚を売らねば愛想を尽かされ、捨てられるが落ちです」


「わかっておられるのでしょう。貴方が以前申したことです。だから貴方は身売りをやめず、逃走もしない…そうなのでしょう、群青様?」

柳の瞳はまるで本物の、動物の猫のようだった。緑の瞳の黒い瞳孔は僅かに縦に長く、鋭く吊り上がる。

にやりと挑発的に、いびつに上がる口角は、西洋の夢物語に出てくる化け猫とよく似ている…客ならば殺意を掻き立てられると昂奮する歪んだ笑みだが、群青は嫌悪を覚え顔を顰め、机の下で己の衣服をぎゅっと掴む。

「…それでも…それでも柳。例え猫であろうと…人の世で生きる術はあるはずだ。俺がこれまで、こんな惨めな歳まで猫でなかったように、きっとお前だって、猫に成らずに済む生き方があったはずなのだ」

「ありませんよ、そんな生き方」

柳は苛立った声を吐く。

ぎら、と瞳孔を開き群青を睨みつけ…身体を起こし深く溜息をつく。

「少なくとも、わたしにはありません。わたしは生まれつきの化け猫で、人の世で生きることなど、はじめから無理でした。あり得ませんでした…だからわたしは御主人様に救われ、初めて生きる術を得て、それ以外に生きる術がないと知ったのです」

「だったら柳…もしお前が、檳榔子様ではない者に救われていたのならどうなっていた。例えば、猫を認めてくれる人間に」

「だからあり得ないと言っているでしょう、群青様?」

素手を伸ばし、柳は群青の襟首を掴み顔を寄せる…ぎりりと牙を剥き、柳は激しく苛立った。その声が談話室に響き、一瞬猫たちの騒めきが静まる。

柳が怒声を上げることなどこれまでにない。そもそも、人間や他の猫に興味を持たないので、怒りを抱くこともなかった。

そんな彼が苛立ち、嘆息や声を荒らげることが増えたのは、群青が現れてからだった。紅梅と共に居た桜萌葱の班に、年増の群青が加わり、嫌でも関わりを持たなければならなくなった時から、柳は昔より感情的になるようになった。

「檳榔子様ではない者にわたしたちを救うことなどできる訳がない。ましてや人間に捕われれば…ああ、何度同じことを言わせるのですか」

柳はもう片手で頭を引っ掻き、やがて群青を突き放す。

「…流石は人の世で過ごしてきた貴方だ。俗世そとを知らぬ家猫どもより遥かにお目出度い頭で…ええ、このわたしよりも遥かに」

「柳…」

群青を解放した柳は立ち上がり背を向け、談話室の出入り口へと向かう…猫たちは険しい顔をする柳にじろじろと視線を向け、目を逸らしたり、或いは逸らした目を群青へと向け、怪訝な顔をする。

群青は柳の背に呟いた。

「柳、お前にはきっと…何かが少しでも違ったのなら、普通の生き方ができたはずだ」

「…そのお言葉を、この場に居る他の猫たちにも言えますか」

苛立ちと呆れを含んだ深い溜息をつき、柳は肩を竦め答える。

「…群青様、普通の生き方とは、一体何なのです。いつか教えてください」

静かに戸は閉められた。

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