間章 罪の王冠、白頭鷲の帝国

 ──アメリカ合衆国現大統領にまつわるジョークに、次のようなものがある。

『ヒスパニック系では3人目。女性では2人目。


「光栄なことだ」

 大統領執務室へ向かって歩きながら、本人は気を悪くした様子もなくそう言い──怖々と表情を伺う傍らの大統領補佐官に、笑いかけさえしてみせた。「ヒスパニック系で、女性で、シングルマザーでも合衆国大統領になれる。それこそが合衆国ステイツを根本から支える可能性ポジティビリティではないか」

 深夜近くに叩き起こされた者のそれには見えない堂々とした足取りで彼女が閣議室に入っていくと、室内の一堂全員が起立して出迎えた。

「着席してくれ、諸君」海兵隊仕込みの、穏やかだが断固とした口調で彼女は挨拶した。「臨時国家安全保障会議を始めよう」


「……ここが〈心臓ハート〉を運んでいた、C-130ハーキュリーズ輸送機の推定墜落地点です。最寄りの街はワイオミング州、トゥエルブ・リバー」

 モニター上に投影された赤い光点に、全員が注目する。「操縦士と副操縦士、及び同乗していた研究スタッフ全員の生存は、ほぼ絶望的かと」

 痛ましげな溜め息が数人から──特に軍関係者から漏れ、彼女も吐息こそ漏らさなかったものの、微かにだが口の端を曲げた。

「ワイオミング州・ビッグホーン山脈は険しくはあるものの、通常の山岳装備であれば踏破は充分可能です」

「ヘリによる吊り下げ輸送は可能なのだな」訝しげに国防長官が問いただす。必要以上に尖った声が、落ち着いて話せばそれなりに生じそうな説得力を台無しにしていた。「ではなぜ、そうしない?」

「高山は天候が変わりやすく、空輸は困難ではありますが、不可能ではありません。技術的な問題ではなく、むしろ……人為的な妨害の方が大きいでしょう」

「何だと? 〈王国〉にでも嗅ぎつけられたのか?」

 彼女は右手を一振りさせる。「それに関しては、こちらの映像を直接見た方が早いだろうな。初めに言っておくと、私は叩き起こされるなりこれを見せられた。断言しておこう──皆、眠気が何処かへ吹き飛ぶこと請け合いだぞ」


(暗黒に近い画面の中、荒れた岩肌がどうにか見て取れる。荒い呼吸音と砂利を踏みつける音だけが周囲に響く。素人の手持ち画像らしく、カメラは常に揺れている)

『ブリュ姐ー、もうそろそろ初めていい? あたし腕が疲れてきちゃった』

『もう少し我慢して、スルーズ。観ている人たちへの挨拶は大切ですよ』


 副大統領がたちの悪い冗談でも見せられた顔になった。「……マム、これは一体?」

「墜落から1時間もしないうちに、この映像があらゆる動画配信サービスに投稿され始めた」彼女は人の悪い笑みを口の端に浮かべていた。皆の困惑が愉快でたまらないといった表情だ。「大手配信会社からいかがわしいポルノサイトに至るまで、本当にあらゆるところにな。ミラーサイトを使っているのだろう、警察や軍のサイバー犯罪対策部門が躍起になって削除しても追いつかんそうだ」


(暗闇の底、赤々とした炎が一斉に燃え上がる。燃え盛る松明を持っているのは、モスグリーンのカムフラージュネットを頭から被った、性別すら不明な異様な人影たちだ。顔面に当たる部分には夜光塗料で複雑な紋様が描かれており、松明の火に照らされて不気味に光っている)

『いぇ〜い軍の人たち見てるぅ?』

(カムフラージュネットを被った一人がカメラに向けてを立ててみせる。甲高い声の調子からしてローティーン以上ではありえない少女の声だ)

『あたしはスルーズ。この山を根城にしてブリュ姐やオルト姐と一緒に、人買いだの、ハッパ売りだの、密猟だの、その他いろいろしてる大人たちをしばき倒して面白おかしく暮らしているの一人さ。今日だって街の方でいい歳こいて排ガスを撒き散らして環境破壊に熱心なむさ苦しいおっさんたちを懲らしめたばっかりでさ……そしたら、寝ぐらに帰ろうとしたその時に、たまげたよ。空から輸送機が落っこちてきたんだぜ! クリスマスプレゼントにゃ、まだちっと早くねえか?』

『スルーズったら、そんなにまくし立てたら見ている人が何だかわからないでしょう? ちゃんと私たちが何者で、何をしようとしているのか説明しないと』

(松明の群れが割れ、周囲のカムフラージュネットたちと対照的な白い貫頭衣を着た娘が進み出る。夜の闇に浮かび上がる透明な美貌に、室内の男たちは驚嘆の声を漏らす)

『申し遅れました。私はブリュンヒルド。この地に集まった娘たち、〈ヴァルキリー〉のリーダーです』

(ここで彼女は、悲しげに眉根を寄せた)

『世間の人々が私たちを何と呼んでいるのかは存じております。テロリスト、ゲリラ、先鋭的すぎるフェミニズムに汚染された可哀想な娘たち……その全てを否定するつもりはありません。私たちは必要のない暴力を好みませんが、暴力そのものを捨て切れてはいないからです』

『オルトリンデだ。初めに言っておくけど、輸送機の搭乗員たちは私たちが殺ったんじゃない』

(別のカムフラージュネットが、落ち着いた声で言う)

『私たちが到着した時には、もう全員手遅れだった』

『ご遺体は私たちの元で保管した後、丁重にお返しさせていただきます。ですが、積み荷に関してだけはそうは参りません』

『なんで返さねえかって? そりゃ、この輸送機で運ばれてたもん自体が、ファシスト国家のファシスト国軍の薄汚ねえファシスト犯罪を暴く、二つとない証拠だからさ!』

(カメラが向きを変え、松明の炎がを照らし出す──そこにあるのは小型乗用車ほどもある金属の台座に固定された、鋼色の球体だ。球体の表面は滑らかでなく、ビスとナットと無数の計測用ピンでびっしりと覆い尽くされ、隙間から漏れる金色の光はまるで呼吸するかのように不気味に明滅している)

『こいつを見てくれよ、紳士淑女の皆さんにお坊ちゃんお嬢ちゃん! 一体何だと思う? まさか赤ちゃんを喜ばせるの玩具ってこたないだろうよ! たぶんあと1メートル近づいたら『か・くニューク・リア』って文字が3Dホロで投影されるんじゃねえかな?』

『アメリカ合衆国軍がこれを世界の何処で使用するつもりだったとしても、私たちはそれを看過するつもりはない』

(先ほどの落ち着いた声が引き継ぐ)

『欲しければ取りに来い。ただし私たちも──大人しく渡すつもりはない』

『来るのは勝手だぜ! あんたらの下水道よりも汚ねえファシスト陰謀がたっぷり詰まったファシスト頭を、ココナッツみたいに片っ端からかち割るだけだからな!』

『私はこれを、天のもたらした采配と捉えました』

(あのブリュンヒルド、と名乗る娘がここぞと声を張り上げる)

『私たちはこの地に、全ての虐げられた者たちの楽土を作り上げます。今後、この地はこう呼ばれることになるでしょう……〈ヴァルハラ〉と!』

(彼女は両手を高々と差し上げる。呼応して周囲のカムフラージュネットたちが松明を振り上げ、力の限り足元を踏み鳴らす)

『〈ヴァルハラ〉! 〈ヴァルハラ〉! 〈ヴァルハラ〉!』

(画面、暗転)


「……何なのですか、これは!?」国防長官はペットボトルの水を飲んで落ち着こうと試みた結果、失敗して盛大に咳き込んでいた。

「やられたよ。こんなものを流されては、私がいくら弁明したところで誰も聞くまい」彼女は笑っていた。笑うしかないから笑っているような笑い方だった。「居並ぶ報道記者たちを前に『あれは核兵器ではありません。〈犯罪者たちの王〉の手元からかっぱらってきた〈心臓〉です』とでも言えばいいのか? 猟銃を口に突っ込んで、足の親指で引き金を引いた方がまだましだな」

「もはや隠蔽など不可能です」虫歯の痛みでも堪えるような顔でCIA長官が言う。「今や〈ヴァルキリー〉は核武装を遂げた、全米一有名なカルトとなってしまいました。既に全米から、失業者と食い詰め者と犯罪者がぞくぞくワイオミング州に押しかけているという報告も入っております。州警察のSWATチームは出動態勢にありますが……単純な火力はともかく、このような繊細に繊細を要する事態の収拾にどこまで役立つことやら」

「ワイオミング州知事は?」

「事態を収束させるべく、数時間以内に現地へ飛ぶそうです。が……どこまで頼りになるかは何とも。こうしたファナティックな状況下では、何が導火線となるかもわかりませんから」

「骨のある男ではあるが、この件は少しばかり荷が重いかも知れないな」うんざりしたように彼女は天井を仰ぐ。無論、そこに問題の答えなど書いてはいない。「何よりあの〈ヴァルキリー〉なる少女たち、姿ではないかね?」

「〈ヴィヴィアン・ガールズ〉」米特殊作戦軍U S S O C O M総司令官でもある陸軍大将が低く呟く。

「そうだ。日本の自衛軍と米軍が総力を上げて鎮圧に成功したはずの、あの少女ゲリラたちと極めてよく似た存在がここ合衆国内で勃興しつつある。それは全世界にどのようなメッセージとして受け取られると思う? 『核のドミノ』ならぬ〈ヴィヴィアン・ガールズ〉ドミノが世界規模で発生しかねない。海の向こうから税関ノーチェックで持ち込まれた、超弩級ドレッドノートクラスの悪夢だ」

「では、我々の為すべきことは一つではないか」国防長官が拳でテーブルを叩く。「空爆だ。ビッグホーン山脈を真っ平にしてでも、あのカルトもろとも〈心臓〉を葬り去るのだ」

「それは得策ではないでしょう」陸軍大将が穏やかに反拍する。「事実がどうあれ、既にネット上での彼女たちは軍の後ろ暗い犯罪を暴いたヒーロー扱いだ。そもそも自国民への空爆など、世論が黙ってはいません」

 国防長官は親の仇でも見るような目で彼を睨みつけた。「よく他人事のように言えたものだな。そもそも君の傘下にある特殊作戦軍自体が、特殊部隊史上に残る汚点を残したのを忘れたのか? 結果的にとはいえメアリ・バーキンズの叛乱がHW波及の契機となったのだぞ」

「……その点に関しては、返す言葉もありません」

 彼女は陸軍大将──アジア系としては初の抜擢である、ごま塩頭に頑丈そうな顎の男性だ──を見つめてしばし考え込んだ。彼は米軍内でほぼ唯一、HWプロジェクトに一貫して批判を加え続けてきた人物だった。「人ではない兵士」に戦場を一任するのは将兵から誇りを奪い、政治家たちの「力の行使」のハードルを下げ、結果的には合衆国軍の総力を大幅に減退させる、というのがその主な理由である。

 だからこそ、彼女は彼にHWに関わるブラックオペレーションを一任した。いつの日かHWの後ろ暗い秘密を解き明かし、〈犯罪者たちの王〉プレスビュテル・ヨハネスの軛を断ち切るために。

 しかし……今となってはそれがかえって裏目に出た気がしてならない。こうして彼一人が責任を追及される形となってしまった。

「〈聖母の嘆き作戦オペレーション・スターバトマーテル〉の失敗に全てを起因することはできません」CIA長官が宥めるように言う。彼は陸軍大将とはあまりそりが合わないはずだったが、同じ日陰仕事の担当者として八つ当たり気味の批判を看過できなかったのかも知れない。「そもそも〈聖母の嘆き作戦〉自体がヨハネスの影響力を免れ得ていなかった。メアリ・バーキンズの暴走を招いたのは、遺憾ながら合衆国自体の責任でもあります」

「そんなことはわかっている」不機嫌さは失せていなかったが、国防長官の口調がややトーンダウンした。

「狙い澄ましたような事故だな。陰謀論者でなくとも陰謀の臭いを感じるほどだ」男たちのささやかな友情を確認したところで彼女は質問する。「輸送機の搭乗員に、ヨハネスの息がかかっていた可能性は?」

「否定は……できません」

「ここで諸君らの気を更に滅入らせる話題に移らなければならない──統合参謀総長、あの忌々しい〈四騎士〉によって軍が被った被害と、その影響は?」

 陸・海・空・海兵隊・航空宇宙軍、そして特殊作戦軍の最高責任者である統合参謀総長が眉間に皺を寄せて言う。「〈四騎士〉のもたらした破壊により、陸軍は定員を3割近くも割り込んでいます。HWにより損失分を充当しなければ、作戦行動どころか基地の警備さえ満足に行えない有り様です。軍事警備請負会社ミリセクによる補充にも限界はあります」

「海軍もか?」

「海軍もです。艦艇はともかく、人材の育成が追いついていません。海軍教育機関をフル稼働させてもまだ足りません。そして空軍も、空港や燃料補給施設といった重要施設の大半を喪失しており、このままだと戦闘機を飛ばすどころか、パイロットや整備員を武装させて戦うしかなくなります。旧ソ連軍のように」

 気の滅入る報告しか上がってこないな、と彼女は溜め息を吐く。「ヨハネスの意図は見え透いている。全米軍がHWによる依存を避けられなくする魂胆だろう。腹立たしいのは、それがわかっていても防げないことだ」

 それに対抗するための〈心臓〉であったのだが──いや、済んだことは仕方がない。大切なのはこれからだ。

「ここで明らかにしておこう。あの〈心臓〉が〈犯罪者たちの王〉のHW計画、その真髄と密接に関わっている部品パーツであることは周知の通りだが、実はそれだけではないのだ」

「と、仰いますと……?」

「あれはなのだ。〈ドラゴン〉を呼び寄せるための」

 天使が通り過ぎたような、と形容される類の沈黙が部屋に訪れた。

「〈竜〉というのは……それは、その」CIA長官がどうにか思考をまとめようと咳払いする。「先の〈アルビオン大火グレートファイヤーオブアルビオン〉の要因となった、あの超常的存在、ですか」

、とはっきり言って構わないぞ」彼女は苦笑いする。「何しろ軍によるクーデターと、核テロと、ギャングによる各治安機関への全面攻撃と、そしてロンドン名物〈ザ・シャード〉消失が一度に起こったのは、夢でも冗談でもないからな」

 幾分か疑わしげに国防長官。「そもそも、その〈竜〉なるものの実在すら疑わしい。人物なのか、兵器なのか、計画名なのか、組織のコードネームなのかさえ……こう言っては何ですが、我々はまたもや〈犯罪者たちの王〉にかつがれているのではありませんか?」

「〈竜〉は実在する。少なくとも〈機関エンジン〉からの使者はそう言っていたな」もっともな疑問に彼女は答える。どのみちこの会話の流れでは隠し通せまい──いや、かえって好都合だ。

「例の〈機関〉の女を、そこまで信用なさるのですか? そもそも〈機関〉なる超国家的組織の存在でさえ疑わしいというのに」

「ほう」迂闊な発言をした生徒を追い詰める教師の顔で、彼女は目を細める。「〈王国〉も〈犯罪者たちの王〉も〈心臓〉も現実だが、〈機関〉や〈竜〉は陰謀論的世界観の産物に過ぎない、と? 確かにそう考えた方が気楽ではあるが、私は君ほど楽観的にはなれんな」

「いや、その……それとこれとは……」

「あの女は私にこう言ったよ──、と」

 室内の全員──速記係を含めて──までもが困惑しきった顔で彼女を見つめた。

「では、その」にわかに落ち着かなくなった国防長官がハンカチで額の汗を拭く。「あれが人間の子供だと? あれほどの破壊を行える者が? どこまで真に受けていいものなのでしょうか?」

「さてな。ただ、頭のいい詐欺師じみた女ではあった。嘘は言っていないが、自分に都合の悪い事実は決して口にしない」

 痙攣にも似た苦笑いが彼女の口の端を掠めた。「私がそう言ったら、その女は何と言ったと思う? にこりと笑って『ですが大統領閣下ミスプレジデント、それはあなたもそうではありませんか?』とほざいたんだぞ。根性ガッツがあるどころの騒ぎではないだろう。笑って帰すしかなかったよ」

 さぞかし凄まじい会見だったに違いない──室内の数人がそっと汗を拭っていたが、彼女は見て見ぬふりをした。

 そう言えば──彼女はふと思い立った。〈竜〉と聞くと、否応なく思い出す一文があったな。

「『アメリカ人はドラゴンがこわい』……」

「は?」

「『なぜなら、自由がこわいからです。』……そんなことを言ったSF作家がいたらしい。件の作家も、私にその一文を教えてくれた人も、とうにこの世を去ったが」

 自分の口調に苦みが混じるのを彼女は止められなかった。──そう、あの頃の私は若く、政治とは無縁だった。自分が政界に、それも合衆国大統領の座に就くなどと夢想だにしていなかった。海兵隊を任期一杯まで勤め上げ、やがて教職免許を取り、子育ての傍ら教育に携わる……せいぜいその程度の人生設計しか浮かんではいなかった。あるいはその方が、そう生きた方が人としては幸せだったかも知れない。

 彼女に会いさえしなければ。

 だがそれを言っても……始まらない。

「……一つ、提案があります」

 静かに陸軍大将が口を開き、周囲は目を見張った。平生は学者のように穏やかな表情を崩さない彼の全身から、静かだが明らかな決意が漲っていることに。

「言ってみたまえ」

「第6特殊作戦軍・次世代型心理作戦ユニットの出動許可を」

 今度こそ室内の全員──大統領と陸軍大将を除く──が悲鳴のような吐息を漏らした。

「〈アメリカ合衆国首狩り部隊ヘッドハンターズ〉……!」

「血迷ったか!」国防長官が勢いよく立ち上がりすぎ、その勢いで椅子が倒れた。完全に礼を失した態度だが、咎める者はいない。「その名がどんな意味を持つか知らないとは言わせないぞ。特殊部隊史上、いや米軍史上に残る汚点となってしまったその名を……!」

「存じております」

 怒りと不信と驚愕の視線を浴びながら、彼は静かに口を開いた。「だからこそ、彼女たちに汚名挽回の機会チャンスをお与えいただきたいのです」

機会チャンス、か」むしろ楽しげに彼女は口を開く。「だが総司令、情感エモーショナルだけでは濡れ仕事ウェットワークスへのGOサインは出せんぞ。例の部隊ともなれば、なおさらだ」

「件の〈竜〉を捕捉できる部隊は全特殊作戦軍、いえ、世界中の軍隊の中でも彼女たちだけである、私はそう信じております」

「機会、か」もう一度──今度はやや湿った口調で彼女は呟いた。「初めて会った時……私の前任者も同じことを言っていたな。世界を変える一撃は、いずれも馬鹿げた試みから始まる。どのような馬鹿げた試みであろうと、一度は機会を与えるべきだと」

 統合参謀総長が眉を顰める。「マム、それは……前大統領の?」

「前任者は理想を追い過ぎた。『地上の王国』を天国に近づけようとするあまり、敵を増やし過ぎた。結果、彼女は凶弾に倒れた……私の夫もろとも」

 室内の一同はしばし、沈痛な面持ちとなった。

「それがどれほど馬鹿げて聞こえようと、機会ぐらいは与えるべきだろう。彼女に倣って」

「マム!?」

 座り直した腰をまたも浮かしかけた国防長官を彼女は片手で制する。「ただし、言うまでもなく失敗は許されない。それは承知しているな?」

「無論です」

「〈心臓〉を確保し、それに誘われてやってくる〈竜〉もまた確保する。本来なら二正面作戦は避けたくはある──しかし、やってもらわねばならない」

「それがいかに困難であろうとも」困惑しきった周囲の視線を引きずりながら、陸軍大将は立ち上がり、敬礼する。「私も、私の部下も、全力を尽くすまでです」

 そして彼女も頷き返し──両掌を打ち合わせた。「さあ皆んな、やるべきことはこれで明白になっただろう。?」

「は……?」

 私たちは声高に平和を叫びながら、血に飢えている。。恒久的に暴力を捨て去るには、私たちはあまりにも未成熟なのだ。

「認めよう。彼女がいなければ、今の私はなかった。だが……私は、前任者の失敗を繰り返すつもりはない」

 そうだ、彼女は自分に言い聞かせる。。私はこの獣のごとき世界にある唯一の『地上の王国』を、天国の端に近づけなければならない。そう、どんな手を使ってでも。たとえそれが──地球を半分にしかねない、危険極まりない力に頼ることであっても。

 改めて彼女は── ヒスパニック系では3人目。女性では2人目。であるアメリカ合衆国大統領ジェセミア・ルシエンテースは、呆然とする一同を睥睨しながら朗々とした声で命じた。「軍・警察・情報機関、合衆国政府の全総力を上げて〈竜〉を内包する少年──リュウイチ・サガラとやらを何としても確保しろ。他のいかなる組織よりも先に。中国やロシアなど以ての外。〈機関〉よりも、そして当然……〈犯罪者たちの王〉よりもだ」


「そうは言うがね……私には彼女もまた、血に飢えた復讐者リベンジャーにしか見えないな」〈犯罪者たちの王〉プレスビュテル・ヨハネスはどこか物憂げに呟く。「そして復讐者ほど御しやすいものは、この世にはない。あの相良龍一も含めて」

「ですが……〈心臓〉を奪われたのは痛手です。彼らがその真価にどこまで気づけるのか現時点では未知数ですが、最悪の場合、HWの秘密に危険なほどの接近を許し、〈茨の冠クラウンオブソーンズ〉計画に重大な支障が出る可能性は否めません」

 躊躇いがちに直言する若い女性秘書に、ヨハネスは笑った。その日初めて見せた笑みであり表情だったが、それは彼を一層酷薄に見せた。「アメリカ合衆国全軍の主力部隊を、どんなバックドアが仕掛けられているか知れたものではない『人造の兵士たち』に入れ替えて事足れりとするほど大統領閣下も間が抜けてはいなかったということだな。しかし今さら悪あがきをしようと……もう手遅れだ。戦術的勝利では、戦略的敗北を覆し得ない。確かに〈心臓〉を奪われたのは予想外だが、アメリカ人たちが〈心臓〉一つ手に入れて私を出し抜いたつもりになっているなら、むしろその思い上がりはずいぶんと高くつくだろうよ」

 思いついたようにヨハネスは顔を上げる。「〈オーディン〉から連絡は?」

「いえ。トゥエルブ・リバー近辺への侵入は成功したと告げた後、連絡は途絶えております」

「連絡がないということは、上手く行っている証拠だろう。……いずれにせよ」

 ヨハネスのひび割れた仮面じみた口元に再び、一切の温もりがない笑みが浮かび上がった。「アメリカ人が〈竜〉のを自分から思い知りたいのであれば、わざわざ邪魔する必要もない」

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Sin and Punishment アイダカズキ @Shadowontheida

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