呪者の影 2

ハオさんのおごりで本場仕様の四川料理を堪能して、俺と笠根さんはハオさんと別れた。

水煮牛肉(スイジューニュールー)という激辛煮込みを食べたために口の中がビリビリしている。

「もうちょっと飲んで行きませんか?」

そう笠根さんに聞いたら笠根さんもそのつもりだったらしく、手近な居酒屋に移動することにした。


ヴヴヴとスマホが鳴ったので画面を見ると由香里からの着信だった。

時間から考えて、仕事が終わったタイミングで電話をかけてきたのだろう。

笠根さんに軽く手をあげて電話に出る。

「もしもし斎藤さん、今晩は」

わざとらしく名字を呼んだら、電話の向こうで由香里が吹き出したのが聞こえた。

「なにそれ?」と言って笑っている。

笠根さんが目を丸くして俺を見ている。

電話の相手が斎藤由香里であるとわかったらしく、ははあという顔をしてから笑顔になった。


「いやいやごめん笑。仕事終わったの?」

「うん」

「今さあ、池袋で笠根さんと飲んでるんだよ。由香里も来る?」

そう言ったらすぐに飛びついてきた。

「うん。行く行く。ちょうど笠根さんに相談したかったの。すごいタイミング」

何やら興奮している。

「どうかした?」と聞くも、すぐ行く、会ってから話すと言って通話が終わった。

会話を見守っていた笠根さんが楽しそうに話しかけてくる。

「いやあ順調そうで何より」

笠根さんとの出会いは由香里が紹介してくれたことがきっかけだ。

笠根さんと由香里は俺よりも付き合いが長い。


移動して入った居酒屋の名前と場所を由香里にLINEしておく。

由香里の職場は新宿だから早ければ30分ほどで到着するだろう。

由香里が来るまで俺は、笠根さんからの質問攻めにさらされることとなった。


由香里が到着すると、しばらくは2年前の話で盛り上がった。

さっきまで俺に根掘り葉掘り聞いてきたくせに、笠根さんは由香里にも俺との馴れ初めを語るよう迫った。

少し照れながらも嬉しそうに俺との事を話す由香里を見ていると俺も嫌な気はしない。

しばらく話に花を咲かせて、ようやくひと段落した頃、俺は由香里に話を振った。

「なにか笠根さんに聞きたいことがあったんじゃないの?」

ほう?という顔の笠根さんと、真顔になった由香里。

「うん……あのね……」

今までの楽しそうな雰囲気が一気に冷えて、由香里は少し俯いて眉を寄せ、考えこむような顔でテーブルに目を落とした。

ほんの数秒そうして顔を上げた由香里は、


「ヨミっているでしょ?最近ずっとニュースでやってる……」

と言った。


「ヨミね。この前死んだ奴でしょ?」

そう返す。

「本当に魔女だったんですかねえ。ちょっと信じられない気はしますが」

笠根さんも当然ヨミのことは知っているようだ。

当たり前か。

この1ヶ月ちょっと、ヨミの話題を聞かない日はない。

あちこちで集団自殺をやらかした頭のおかしい女。

いかれた新興宗教の教祖だとか、過激派によるテロだとか、様々な憶測や噂が飛び交っているが、その中でも異色なのが魔女という噂だ。

この現代にあってまるで時代錯誤な魔女という設定。

普通なら鼻で笑ってしまうような話だが、ヨミがやっていたことのヤバさを考えると、むしろ不気味さがよくマッチしていて、ありえるかもと思ってしまう。

合計数十人が計画的にビルの上から飛び降りて死ぬという前代未聞のテロ。

それを主導していたヨミなる女は数日前、警察官に撃たれて死んだ。

その正体が、なんてことない普通の女だったということで、世間はますます混乱していた。


「ヨミがどうかしたの?」

黙っている由香里に問いかける。

また伏せていた目を上げ、伺うように俺を見る。

「ヨミがさ……運ばれてきたの、ウチの病院なんだよね」

「マジか」

それは知らなかった。

ここしばらく忙しくて由香里とは会っていなかったのもあるが、電話は毎日していたのに。

「ごめんね。ほんとはこういう話って外でしちゃいけないから、電話では言えなかった」

まあそうか。

死人でしかも犯罪者とはいえ個人情報だもんな。

いや、犯罪者かどうかも確定していないのか。

「それで、そのヨミが運ばれてきたのが、何か問題があるんですか?」

笠根さんが続きを促す。

「…………」

たっぷり10秒以上かけてから、由香里はおかしな話を始めた。


「司法解剖が……中止になったんです」

んん?

確かヨミは路上で射殺されて、その日のうちに死亡が確認されたはずだ。

身元も判明している。

「どういうこと?」

思わず聞き返す。

間抜けな感じなってしまった。

「ウチに運ばれてきて、その時にはもう亡くなっていて、明らかな他殺なわけだから、検死の解剖をやるでしょ?その時に……何か…あったらしくて、それで中止になったって……」

「何か、とは?」

今度は笠根さんが聞き返す。

「私も又聞きなので確かなことかはわからないんですけど、その解剖に立ち会った同僚が凄く怖がっていて、その日から仕事も休んでるんです」

由香里は決心がついたのか、病院で見聞きした事を思い出しながら話を続ける。


「最初はなんで中止なんだろうって思っただけだったんですけど、先生達とか妙に焦ってて、事情を知ってる人達と知らない人達で完全に空気が違っちゃって、なんかもう、病院中が凄い変な空気なんです。今もそうで……」

由香里の様子もいつも通りではない。

少し焦っているように見える。

それとも由香里も何かが怖いのだろうか。

「笠根さん……一度ウチの病院に来てくれませんか?多分ですけど、笠根さんに相談しないといけない系の話だと思うんです」

由香里が笠根さんに相談するとは、つまりそういうことだ。

科学的ではないことがある、と。

「斎藤さんにも何か見えました?」

笠根さんのトーンが下がる。

真剣な顔で由香里の返事を待っている。


「私は見てないです。でも、皆の様子を見ていると、ただの噂や勘違いとは思えなくて」

「何か、あるんですか?噂話的なやつが」

由香里はその言葉に頷いて続ける。

「私自身は直接ヨミは見てないんですけど、同僚の話を聞く限りではおかしなことが結構起きていて、例えばその司法解剖の時に起きたこととか、その後のこととか」

俺も笠根さんも黙っている。

由香里が怖がっているのはもう間違いなさそうだ。

「もうみんな怖がっちゃって、仕事していても気が気じゃないって感じで、患者さんにも伝わってるかもしれません。このままじゃいけないって思うんですけど」

「斎藤さん、まずは起きた事を一つずつ教えてくれますか?司法解剖の時に起きたことってのは?」

笠根さんが話を振る。

「私も同僚からの又聞きなんで確かなことかはわからないんですけど、司法解剖をやるってなって、処置室にご遺体を移して、準備してたらしいんです」

由香里の声が硬い。

外部にしちゃいけない話をするのに戸惑いながらも、半ば勢いで話しているのだろう。


「いざ開始となった時に執刀の先生があれ?って言ったから、その場にいた同僚も先生の方を見たんです。そしたら……先生が叫び声を上げて飛びのいちゃった。その時の一瞬だったんですけど、同僚にも見えてたらしいんです。その……ご遺体の……ヨミの手が……先生の手首を掴んでたって………」

マジか。

そんなことがあるのか?

「ご遺体の手が動いたって、そういうことですか?」

笠根さんの口調は変わらない。

「はい…その場にいた殆どの職員が見たらしいんです。ご遺体が動いたって、おかしいですよね」

「実は生きていたとか?」

「……あり得ないと思います。死亡が確認されてから何時間も経ってるので。それに死後硬直とか血が止まってるとか、そういうことも考えると生きているとはとても……」

死んだと思っていた人間が墓場で息を吹き返したとか、そんな話を聞いたことがある気がする。

だが4発の銃弾を受けて死亡が確認され、傷の処置もそこそこに放置されていたヨミが息を吹き返すなど、到底あり得そうにもない。

「なるほど。それが本当だとして、その後に起こったことっていうのは?」

笠根さんが話を進める。


「結局、司法解剖は中止になって、でもやっぱりご遺体なので霊安室に移しますよね。それでその夜、霊安室からずっと声が聞こえるって皆が言ってて、昨日、私も見に行ったんですけど……」

由香里の声が震えだした。

その声にははっきりと恐れが含まれている。

「霊安室の近くに行くだけで……感じるんです……もうめちゃくちゃな……はじめての感じで……」

当時を思い出したのか、自分の両腕を抱いてさする。

「心霊スポットでもあんなのないです……凄いんですよとにかく……これ以上近づいたらヤバイっていうのがビリビリ来る感じで……」

恐ろしいのだろう。

まくし立てるように早口で喋る。

「霊安室のあるフロアに行くだけで、もう暗いんです。今日も遠目から霊安室を見たんですけど、影が……黒いものが滲み出してて、それがフロア全体を暗くしてるっていうか……気のせいだと思いたいんですけど、とにかく怖くて」

うまく言葉にできないものの、なんとなく想像はできる。

ヨミが安置された部屋から、黒い影だか靄みたいなものが出て来てると。

「それで笠根さんに連絡をしたいと思ってたら、ちょうど浩二と笠根さんがって……もうこれはそういうタイミングなんだって思って……」

そう言って由香里は黙った。


フームと唸って笠根さんが腕を組んだ。

「なるほどねえ。魔女の死体が動いて、霊安室からヤバイ気配がすると。確かに何やら怪談めいた話ですなあ」

「嘘みたいな話ですよね。私も霊を見たり感じたりすることはありましたけど、霊感がない人にまで見えるなんて、要するにその…物理的に動いたってことですよね。そんなことあるの?って思うんですけど」

「いや、もしかしたらそういう幻覚を見せただけかもしれません。近くの人に幻覚を見せるっていうのはたまにありますから。まあ普通の霊にはそんなこと出来ませんけどね」


そう言いながら笠根さんはスマホを取り出した。

「そういう考察が得意な人がいますんで、ちょっと連絡してみましょうか」

スマホを操作して耳に当てる。

電話をかけたようだ。


「ああもしもし今晩は。すいません夜分に。お電話大丈夫ですか?……ああどうも……。篠宮さん、ヨミご存知ですよね?……ええ、そうヨミ……いま私ちょっと相談を受けてましてね……ヨミのね、死体が動いたってんですよ……ええ、ええ、病院なんですけどね……」

笠根さんは篠宮さんに連絡したようだ。

「篠宮さんって、あの雑誌の人?」

由香里が小声で聞いてくる。

「そうそう。由香里は久しぶりに会うんじゃない?」

由香里は2年前、篠宮さんから取材を受けている。

そんな事を話していると、笠根さんが電話を終えた。


「斎藤さん、とりあえず明日にでも病院へお伺いしますよ。篠宮さんっていう物知りにも来てもらいますが、構いませんか?」

「はい、もちろんです」

「念のためお祓いの道具なんかも持っていきますね。使わずに済めばいいですけど。前田さんはどうします?」

そう言って笠根さんは俺を見た。

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