信仰信者ドリー

猿出 臼

信仰信者ドリー

 ドリーは信仰というものを愛していた。しかし、それは彼の家族が言うような救世主たる神への愛ではない。信じるというその行為そのものが、ドリーには尊いものに思えたのだ。


 神はすべてを見ていて、善い行いをした者を天国へ、悪い行いをした者を地獄へ連れて行くのだという。


 ドリーは信じなかった。もしそうならば、幼き日に一緒に教会の桃を盗んで食べた友達が、いまは地獄で焼かれていることになってしまう。それは嫌だった。


「ドリー」父が優しく話かける。「お前も神様にお祈りしなさい」

「……はい」

「いい子だ。きっと神様はお前を助けてくださる」


 ドリーは表立って神の存在に疑問を呈したり、結局一度も優しい母の前に現れてくれなかったことに文句を言ったことはない。そんなことをすれば父にも姉にも迷惑が掛かる。だが、それだけが理由ではなかった。


 ドリーは『彼女』――ドリーはあえて信じるべき神をこう呼ぶ――の実在を信じたことはなかったが、彼女のことが好きだった。彼女は優しく、正しく、出来るだけ多くの人を助けようと努力している。ドラゴンを倒したおとぎ話の勇者と同じくらい、彼女にかっこよさなんてものを感じていた。


 特に好きな話は砂漠を行く彼女が悪魔と話すお話である。紫に塗られた恐ろし気な悪魔が彼女に立ちはだかり言う。


「なぜおまえは人を救おうとする?」

「彼らが迷い、間違え、苦しむからです」

「それは奴らが弱いからだ。それも己の弱さを受け入れらないほどに弱いものたちに生きる価値などあるというのか?」

「故に正しきを私自身で示すのです。皆を愛し、手を取り合う。たとえ一人が弱くともそのように生きるべしと示すのです」

「それですべてが救われるとでも思っているのか?」

「いいえ」

「それみたことか」

「ですが、それは正しきを行わぬ理由にはなりません。もし最後の一人となり、孤独に死を待つ定めだとしても、善であろうとするならば魂は天国へとたどり着けるのです」

「ならば現世は苦汁を飲めと言うのか?」

「善行は往々にして苦々しく、孤独ともなれば殊更でしょう。しかし、私は信じています」

「いったい何を?」

「この茨の道を共に歩まんとする誰かと出会えることをです。――悪魔よ、あなたがそのともがらであることを願っています」


 そして、彼女は再び砂漠を歩き始める。多くの人は彼女の慈悲と強さをこの物語から見出す。あわせて、物語から信仰を見出すのだ。


 ドリーはそんな人々の信仰からこの物語を見出した。


 ドリーはある種の冷めた少年だった。それは15歳を過ぎた頃により顕著になった。家族や近所の人々が真実と信じる信仰について、多人数の人間が目的や社会倫理を共有するための道具だと考えていた。教典はそれを手っ取り早く広めるためのフィクションだと思っている。


 だがドリーはこの一大フィクションの存在に心の底から感動した。教典を信じる人間は非常に多く、国家最大の宗教である。誰かが想像を膨らませて生み出した彼女の説く『愛と善行』が多くの人間に最上の徳であると考えられている。ドリーにとってこの事実は人間の奥底に善を愛する心があることの証明であるように思えたのだ。


 ドリーは宣教師になるために神学校に入った。


 父はドリーを信仰深い立派な息子であると称えた。ドリーは否定しなかった。嘘は悪魔の発明であると教典には書かれているが、彼は気にしなかった。必要なのは愛と善行であり、物語のすべてをそのまま受け取ればいいわけではない。そう考えていた。


 そんな風だったので、神学校では時たま諍いを起こした。普段は模範的な聖職者然とした振る舞いを見せるドリーだったが、根本的な所でスタンスの違う集団にまぎれているために、意見の食い違いが度々起こった。


 ドリーはその都度反省し、自分自身を修正することを覚えた。信仰そのものを信仰するという立場を崩すことはなかったが、そうではない者達の言葉をよく聞くようになった。すると彼らの中にも数多くの意見があり、常に中立な裁定者を探していることに気が付いた。


 ドリーはそのような者になるべく努力し――信仰心を持たぬ故に彼らよりは中立を貫けた――そして達成した。ドリーと彼らは和解したのだ。


 ドリーはその年で上から三番目の成績を収めて卒業した。信仰の有無を巧妙に隠し、されども誰よりも教典を愛する奇妙な神父の誕生である。


 彼は今日も教典を諳んじながら教えを説き、人々を励ます。共に歩み、善行を成そうと投げかける。


 ドリーは幼き日と変わらず、信仰という行為そのものを愛していた。信徒として学校で学んでも、神そのものに移り気することはなかった。


 ただ一つ変わったこともある。


 もしかすると、本当に死の床に彼女がやってきて「君は結局最後まで私を信じなかったな」と笑うかもしれない。心のどこかでちょっぴりそう思うようになった。


 これこそが共に歩むということなのかもしれない。ドリーはそんな風に感じた。

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信仰信者ドリー 猿出 臼 @sarunote

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