25段目 ファミリア

 来たばかりの道を駆け戻る途中、気付けば携帯端末のランプが点滅していた。

 ロウが視線を向けた途端、アルキュミアの代わりに何故かアマルテアの声が聞こえてくる。


『ロウ! 皆が来てるよ、早く早く!』

「ほら、アマルテアだってこう言ってる……もっと早く走りなよ!」

「はっ……走るのは、あんたの方が遅いだろが! あんたに合わせてんだよ、オレは!」

「じゃあ置いてく? それだと……っ誰を助けにわざわざ来たんだかっ分からないけどな!」


 苛立ち紛れに憎まれ口を叩き合いながらだが、なぜか気分は悪くなかった。

 急いではいるが、右腕を失っているイェルノはやはりバランスが悪い。

 ここ数日でだいぶ慣れはしたようだが、足を引っ張っているのは事実だった。


 口では悪態をついても本人が一番気にしている。そのことは、ロウもよくわかっている。

 なにか方法はないか――と探している内に、再び携帯端末からアマルテアの声が流れてきた。


『ダメ――ロウ、伏せて!』


 反射的に、イェルノの身体を抱え込みながら、床に転がった。

 直後、先ほどまでロウの真横にあった壁が内側へ――ロウの方へ向かって弾け飛んでくる。


 危ういところで破片を逃れ、床から見上げる。

 壁の向こうから、甲虫めいた堅い身体と緑の蔓が姿を現した。


「――妖精セイレーン!」


 ロウの腕の中から顔を上げたイェルノが、即座に電子銃を抜く。

 しかし、その銃口が火を噴く前に、携帯端末からアマルテアの声が響いた。


『イェルノ、やめて! お母さんなの!』

「っな――」


 一瞬怯んだイェルノに、伸びた緑の蔓が襲いかかる。

 ロウはその身体を抱えたまま後ろに跳んだ。

 危うく掠めた蔓は、ロウのジーンズの裾を引き千切り、硬質な床を深く抉りとっていく。


 ぎちり、と軋むような音を立て、妖精の眼がロウを捉えた。

 言葉も分からぬ異生物の、頭部に交互に並んだ六つの真っ赤な眼球から、何故か憎悪が伝わってくる気がする。


 不意の動きで咳き込むイェルノを、慌てて抱き起こした。

 それを隙と見てか、妖精は瞳の真下にある口をぱっくりと開く。

 暗い洞穴のような喉の奥から、人間の声では表現しようのない音が流れ始める。


 可聴音域にない音だが、びりびりと震える空気の振動が、そこに音があることをロウに知らせてくる。

 明らかに人の声ではない、不可思議な音の組み合わせ。

 妖精セイレーンの歌――人工知能に突き刺すコントローラの端子だ。


 まるで歌姫が両手を広げるように、硬い身体の奥にしまわれた翅がゆっくりと開き、七色に光る鱗粉が空気に溶けた。


 鱗粉を警戒したイェルノが息を弾ませながら、ロウの口元に左手を押し当てる。

 ロウはその細い指の隙間から、自分の手首に向けて名前を呼んだ。


「――おい、アマルテアっ! こいつらの弱点とかなにか――」

『イヤよ、お母さん! ロウは渡さないんだから――ァアアアアァァ!』


 アマルテアの声が響いた途端、ぐらり、と正面の妖精の身体が揺れた。

 思わず後ずさった足元に、鱗粉を振りまきながら巨体が落ちてくる。


 息を止めて見詰めるロウの前で、動かなくなった紅い背中の殻が天井の灯りを反射して輝いた。

 なにをしたのか尋ねたかったが……本人自身がそれどころではないらしい。

 驚きに任せて吐き出すように、携帯端末から声が響いてくる。


『今の……なに? わたし、今、なにをしたの……?』

『アマルテア、まだ終わっていません。気をしっかりと保って』

「おい、呆けてんな、アマルテア! 今のはお前の仕業か?」


 アルキュミアとロウに励まされ、アマルテアは深い息を吐いた。


『わたし……ええ、そうね、わたしの力みたい。わたしの力は妖精セイレーンも操れる、のね……』


 具体的な理論は後にして、現状把握には十分だ。

 アマルテアの言葉が本当ならば、それは同種の大人からさえ脅威になる。

 もしもそのことに彼らが気付いていたとしたら、一度は捨てた子どもであっても、能力の脅威を認識した後、改めて迎えに来てもおかしくはない。


 あるいは、脅威になるからこそ捨てられたのか――

 イェルノが、動かない妖精を見下ろして呟いた。


「死んだの、か……?」

『いいえ。殺すなんて……ただ動かないでいて貰っているだけ。だから今の内に急いで、二人とも』

『周辺の妖精動きはいまだ活発です。進路から推測するに、本船アルキュミアを狙って集まってきているようです。マイマスタが帰路の途中で遭遇する可能性は否定できません』

『たくさん来てるの。全員いっぺんに操るのは無理よ。操れるのは一人ずつだけだもの』


 イェルノが微かに眉を寄せた。


「今の俺たちの現在位置を考慮すると、妖精がアルキュミアに向けて集まってきているなら、狙いはロウじゃなくて、アマルテアの方が優先なのかもしれない……けど、今、アマルテアが言った能力のせいなのか、それとも単に一族の娘が連れ去られるのを回避しようとしてるのか……」

「だが、アマルテアは捨てられたんだろ。最初から妖精セイレーンを操れてたわけでもない。無機物しか操れない状態から……この短期間で能力が開花したってだけだ」

「そうだな、混じった人間の遺伝子がロウと接触したことで今になって活発化したのか……いや、ごめん。そういうの、俺の専門からは少し外れるからなんとも言えないな。とにかく、個人的にその能力に対しては恐怖を感じるね。特に、発展の可能性を見るに、本当にこのまま宇宙に出していいものか……」


 それは、ロウの不安と全く同じものだ。

 

 自分たちは、何か恐ろしいものを人類の中に解き放とうとしているのではないか、という。

 しかし、迷う時間も選択肢も、ロウ達には既になかった。


「――とは言え、ここから飛び立つつもりなら、彼女がいないと妖精セイレーンの無機物操作からアルキュミアを守れないのは変わらない。それでも連れて行くか、それとも――」

『おいて行ってもいいよ。結局わたしは妖精セイレーンだもの。ふふ……このままロウと番えば、きっと最後にはロウを食べちゃうわ』

「お前がそれを言うなよ……」


 ロウは額に手を当てて、ため息をついた。

 ここで「種族も能力も関係ない」と言ってしまえれば、ヒーローじみて格好がつくのだろう。

 が、さすがに「オレを食べろ」とは言えないし、あいにくロウの中にあるそういうタイプの愛は売り切れだ。

 だからその代わり、少しだけ考えてから答えを出した。


「……お前の好意は疑ってねぇよ。家族ってのも色んな関係があるだろ。だから、ずっと一緒にいるのはなにも夫婦じゃなくてもいいんじゃないか」


 探せばきっと、他の選択肢もあることだろうし。

 終わりまで言う前に、携帯端末からアマルテアのくすくす笑う声が聞こえてきたので、ロウはそこで言葉を切った。


 イェルノが、苦笑しながら肩を叩く。


「なるほど。――ちゃんと責任とってね、お父さん」

「誰がお父さんだ」


 なんだか、押し付けられたものを色々と認めてしまったような気がする。

 だが、呑気にそれを訂正する時間はもうない。

 駆け戻らなければならない状況は変わっていない。

 イェルノの呼吸も整ったようだし、また走らねば。


 アルキュミアまでの距離を思い出しうんざりするロウの耳に、格段に明るくなった楽しそうな声が流れ込んだ。


『――あっそうだ! いいこと思いついたわ!』

「いいこと? おい、なにを――」

『お母さんと違って怖くないようにするから、ちょっとだけ我慢して』

「怖くないようにって――あぁ!?」


 アマルテアの言葉を問いただす前に、廊下の向こうで爆音が響いた――しかも近付いてきている。

 正しく言えば、爆発するような音と勢いで、砂煙を上げながらなにかが走ってきていた。


「なんだありゃあっ!?」

「!?」


 背を向けかけたロウとイェルノの目の前に、運搬用ロボットが急制動をかけた。

 駆動帯で出来た足が大きく空回り、後部が半ば宙に浮く。


 倒れそうになった巨体から慌てて離れようとしたが、それより先に運搬用ロボットの方が、不安定な姿勢のままでフォークリフトを伸ばした。

 ロボットが、最上部に並ぶ三つのランプを順番にぴかぴか光らせる。無言の内に何かを告る灯りを見て、ふと気付いた。


「――お前の仕業か、アマルテア!」

『ロウが走るよりこの子の方が速いもん! さあ、乗って』

「乗ってったって、あんた――」

「ロウ、もう無駄なやり取りしてる時間はないから。諦めて……」


 嫌そうに、だが諦念をにじませて、イェルノが促す。

 仕方なく、ロウはリフトの上に足をかけた。足場を固めてから、イェルノの腰を抱き寄せ引き上げる。

 二人がリフトのポールにしがみついたのを確認した途端、運搬用ロボットはリフトの高さを地面ぎりぎりまで下げたまま、再びアクセルを全開にした。


「――っうあ!?」


 振り飛ばされないように必死にしがみついている間も、携帯端末からは、アマルテアとアルキュミアののんきなやり取りが聞こえてきている。


『どっち行けば良いかなぁ、アルミー』

『先導します。ナビに従って操作してください』

『わー、このナビすごいね』

『恐縮です』

『……ねぇアルミー、もっとスピード出しても良い?』

『人体が耐えられる速度には上限があります』

『これが上限最高速かしら?』

『……もうちょっと耐えられますね』

「――おい!? 待て待て、吹っ飛ぶ!」


 ロウの言葉が聞こえているのかいないのか、アルキュミアの宣言の直後、フォークリフトは恐ろしい勢いで走り始めた。

 そのスピードに、イェルノは生存を優先して完全に沈黙し、ロウはフォークリフトに関するトラウマをまた一つ抱えることになったのだった。

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