5段目 マザーグース

「――Hush-a-by baby, on thetree top――」


 ゆらめく波の底でロウは一人眼を閉じている。

 幼い頃に聞きなれた子守歌。歌っているのは良く見知っているはずの女の声だ。


「――When the wind blows, the cradle will rock――」


 揺れのリズムが歌声からずれ始めた。

 割り切れない気色悪さが耳から入り込み、身体の中でぶつかる。声に向けて手を伸ばそうとあがいたが、身体が思うように動かない。


「――When the bough breaks, the cradle will fall――」


 動けない背を、細い指先にそっと押された。

 ロウの身体がゆらりと傾ぎ、反転して真下へ落ちていく。


「――Down will come Baby, cradle and all――」


 ぐるりと回る墜落感の中、下方で誰かがロウを見上げている。

 その顔立ちに見覚えがある気がして、ロウの胸がどくりと強く脈打った。


 そんな――母さんマーマ――!?

 落ちていく身体を支えようと伸ばした手が空を切る。

 闇の中に浮かぶのは、白い頬と広げられた両の腕。


 ぎらぎらと輝くマーマの碧眼が、落ちてくるロウを受け止めようと、じっと見つめている――



●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●



「――アマルテア、こっちへおいで」

「ぃえるの!」


 ばたばたと耳障りな足音に驚いて、ロウは思わず飛び起きた。

 悪夢から引き摺り降ろされた心臓が早鐘を打っている。


 コントロールルームの入口を振り返れば、駆け寄る妖精を抱き上げるイェルノの姿があった。

 パイロットシートの上に跳び起きたロウを、不思議そうな顔で眺めている。


「悪い、起こした?」

「……ああ、いや」


 まだ頭の脇に悪夢の感触がある。

 視界を振り切るように顔を覆って、現実に戻ろうとする。

 母親の夢だ――母親が好きだった子守唄を、ここのところイェルノが良く歌っているからだろうか。それとも、昨夜、父子だなんだと言われたせいか。


 ロウが座っているのは見慣れたパイロットシート――どうやらうたた寝をしていたらしい。一度シートから立ち上がりかけて頭を振り、改めて背を預けた。


「……それより、アマルテアってなんだよ」

「ん、名前だよ。いつまでも妖精とかあいつとか、可哀想だろ」

「可哀想って、あんた――いや、もういい」


 アマルテアこと妖精少女を船内に保護して三日目――惑星テルクシピアへ不時着してから今日で十日目だ。

 相変わらず宇宙船の修復は完璧ではないが、有機食料はエネルギがある限り提供されるため、差し迫った問題はない。


 ベリャーエフINC.から逃げ続けるという意味ならば、ここにずっとこうしている方がいいのかもしれない。

 が、少なくとも、ロウにその気はない。

 娯楽もない、安全の担保もない、この草木ばかりのだだっ広い惑星に死ぬまで閉じ込められるなどごめんだ。


 早めに例の建築物へ再度向かいたいところなのだが、アルキュミアもイェルノもアマルテアを外へ出したがらない。

 となれば、ロウが一人で向かうことになるワケで――この妖精をとも言えるアルキュミアの中に残した状態で、惑星観光なんてする気には到底なれなかった。

 きゃらきゃら笑うアマルテアが、頭を抱えるロウの前を横切って行く。

 即座にイェルノの声が呼び戻した。


「スゥーティ、そっちはダメだ。戻っておいで」

「ぃえるの?」


 鼻先を掠める透き通った紅い翅。

 手元に置きっぱなしの電子タバコを温めながら、ロウは胸の中で毒づいた。


 ――何が「スゥーティ」だ。

 人工物の癖に母親気取りで偽りの家族ごっこかよ。

 ロウの心中とは無関係に、笑顔で語り合っている二人の傍へ、アルキュミアのホログラムが姿を現す。


『『マーチ』の食事の用意が出来たことをご報告します』

「ありがとう、アルキュミア。アマルテア、ご飯だって」

「まーりぃ、ごはんー」


 なんでもない会話だが、マーチ、という呼称がロウの耳に引っかかった。


「おい、は『アマルテア』って名前なんじゃなかったのか。『マーチ』ってのはなんだよ」


 勝手にしろと考えたばかりなのに、今はもう口を挟まざるを得ない状況に陥っている。その呼び名は、ロウにとって聞き逃せない単語だからだ。

 ひどく真剣なロウの声に、イェルノが呆れた表情で答えた。


「アルキュミアの決めたアマルテアの愛称だよ。初日からずっとそう呼んでたのに、今更気付いたの?」

「愛称!? おい、どういうことだ、アルキュミア」

『メインコンピュータ:あなたのアルキュミアは、アマルテアの滑舌を考慮し、発声しやすい音声による愛称を検討しました』

「まーきぃ、ごはんぉー」

「そもそもまともに発声出来てねぇだろが」

「そうだよ。折角俺が決めた名前なのに、勝手に……」


 唇を尖らせるイェルノの反駁も、微妙にずれている気がする。

 思わず妖精の顔を見ると、嬉々とした表情でイェルノの膝によじ登っている。


 補助シートに座る二人の前に、アルキュミアの壁面から突き出たアームによって、小さな卓が運ばれてきた。


「おい、アルキュミア。なんでここに運んでくるんだ」


 船内には小さいながらダイニングルームもある。普段ロウやイェルノはそこでアルキュミアの作った食事を取っているというのに、何故この人外の食事をここで行うつもりなのか。


 コントロールルームは精密機器の塊だ。

 主人であるロウですら、ここでは食事をしない。ましてや人外なんかに――食べこぼしでもされたらどうするつもりだ!


「ダイニングルームの椅子とテーブルが近過ぎて、膝にアマルテアを乗せるのが難しいんだよね」

『補助シートは高さの調節が出来ますので』


 イェルノとアルキュミアの双方からとりなす言葉が飛んできたが、その当たり前のような言い草が既に気に食わなかった。

 思わず無言でパイロットシートの肘掛けを殴ったが、自分の拳が痛むだけだ。

 そうこうする内に準備は進み、イェルノの膝の上でアマルテアが歓声を上げている。二人の前には、器に盛られた何やらぐちゃりとした緑色の流動食があった。


「っ――気持ち悪ぃ。そいつなに食ってんだ」

「惑星テルクシピア内に自生する植物を蒸してすりつぶしたものだね」

「それが主食なのか? どうやって調べた?」

『メインコンピュータ:あなたのアルキュミアが、スキャンの際に確認したマーチ体内の残留消化物から推測しました』

「アマルテア、だ」


 あくまで名前にこだわるイェルノを、アルキュミアは無視する。

 ロウも見習って、呼び名についてはどちらへも、もう言及しないことにした。

 アマルテアなんて立派な名も腹立たしいが、マーチという余人を思い出す呼称では決して呼びたくない。

 アルキュミアはその呼称を知っているのに――なにか思惑があるのかと勘繰りかけて、それから慌てて首を振った。

 人工知能に、思惑などあるはずがない。


「蒸してすりつぶすっていうのはどういうことだ? まさか、そいつが自分で加熱調理して食ってたってことはねーよな?」

「ぃえるの! ごはん!」

「はい、あーん」


 妖精がうるさく催促する。

 イェルノはそんな彼女の口に満更でもない表情――いや、むしろ積極的に嬉しそうに、スプーンで緑のぐずぐずを入れてやっている。

 その様子をしばし無表情に見守ってから、アルキュミアはロウに視線を戻した。


『マーチ自身が調理を行っていたかは不明ですが、体内の残留消化物には加熱した後がありました。調理法の詳細は定かではありませんが、スキャンの際に認識したマーチの口腔内の構造からすれば、この植物を生のままかみ砕くのは難しいと推測します』

「美味しい? アマルテア」

「おいしー!」

「おま……それ、やっぱ確実に、こいつに餌付けしてた親がどっかにいるってことじゃねぇか!」

「いっぱい食べような」

『その可能性は否定できません』

「否定できませんじゃねぇだろ!」

「いっぱいたぇゆ」

「――うるっせぇんだよ、クソガキが! 話題が絡まって何の話してんのか分かんねぇだろうが!」


 怒鳴った瞬間に跳ねたイェルノの手から、べちょ、と音を立てて、流動食が床に落ちた。

 だから言ったことじゃねぇ、と叫びたくなったが、室内を支配する痛いほどの沈黙で、反射的にロウの言葉は止まった。


 イェルノの腕の中の小さな身体がふるふると震えだす。

 丸く見開かれたアマルテアの瞳にみるみる透明な液体が盛り上がり、鼻の頭にしわが寄って、唇を大きく開きながら息を吸った。

 ――やべえ、と思った。くるぞ、と。


「――ぅあああああぁああぁーん!」

「ああああぁっ! やっぱきた! くっそうるせぇぇ!」

「アマルテア!」

『マーチ』


 イェルノが即座にアマルテアを抱き上げ、補助シートを降りる。

 揺さぶられる妖精の目の前で、指先を振ったアルキュミアがメリーゴーラウンドの幻影を映し出した。からころぴんぽんぱんと鳴りながら回る色とりどりの動物たちに、涙をこぼすアマルテアの目が釘付けになる。


「ぅあぁぁぁ……?」


 小さくなっていく泣き声を腕の中で揺らしながら、イェルノが安堵したように息を吐いた。しゃくり上げるアマルテアの動きが完全に止まってから、ロウを強く睨みつける。


「まったく、あなたは何故そうやって人に当たるかな? アマルテアはあなたよりも幼い同胞だと言っているだろう。自分よりもか弱いものには優しくするべきだ」


 居丈高に見下ろしてくる視線は、ロウにとってたまらなく腹立たしいものだった。

 未分化の人工物が母親ぶって――ただのセクサロイドが偉そうに――!


 人工知能平等化支援団体が聞いたら、それだけで警告のメッセージが届きそうなことを頭の中でぐるぐるさせながら――何故か、言い返す言葉は口から出てこない。


 当たり前だが、イェルノを気遣っている訳ではなかった。

 今までだって散々に言ってきたはずだ。


 自分でも不可解な感情に口を塞がれ、苛立ちばかりが腹の中で募っていく。

 そんなロウから興味を失った様子で、イェルノは、ぐしゅぐしゅと鼻を啜るアマルテアを抱きしめ歌い始めた。


「Hush-a-by baby, on the treetop――」


 男とも女ともつかない高さの独特の声がコントロールルームに響く。

 夢の中で聞いたばかりの子守唄――ここのところ繰り返し歌われるその歌は、ロウにとってはおかしな感情を揺さぶり起こそうとするトリガーになっている。

 ロウはかろうじて沈黙を守った。

 口をぎりぎり引き結んで言葉を出さなかった代わり、手近にあったパイロットシートを思い切り蹴り飛ばし、踵を返す。


「――ロウ! どこへ――」

「オレの行動をてめぇに報告する義理はねぇ!」


 乱暴にイェルノの問いを弾いて、コントロールルームを出て自室へ向かう。

 今すぐベッドに飛び込んで、今度こそなにも考えず眠りに落ちたいと思った。

 マーチ、だなんて皮肉な呼び名を付けやがって……。

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