4段目 妖精の子

 叩き起こされたアルキュミアは、ひどく機械的な答えを出した。


『メインコンピュータ:あなたのアルキュミアは、本生物を全身スキャンした結果、現在船内データにあるいかなる生物とも異なった細胞構造を発見しました』

「長ぇ。まとめろ」

『この生命体は未確認生物です。有毒性や凶暴性は見出されません』


 だいぶ簡潔になったアルキュミアの報告を聞きながら、ロウはイェルノに向かって顎をしゃくる。


「ほら見たことか、ロクでもねぇ事実が出てきたぞ」

「危険はないって言ってるじゃないか」

「言葉は正しく理解しろよ。有毒性や凶暴性が認められないってだけだ。危険の有無なんざ、ただの推測だ。未確認生物なんてものについて、アルキュミアがちゃんと判断できるワケない」


 イェルノを睨み付けても、涼しい顔でロウの視線を無視するだけだ。

 どうも、膝の上に乗せている妖精の機嫌を取る方に忙しいようだ。


 ロウは諦めてアルキュミアのホログラムへ視線を戻した。

 本来は主人から目を逸らさないはずのホログラムは、なぜか、妖精の姿を凝視しているように見える。

 当のイェルノは優しげなまなざしで妖精を見下ろしながら、子守唄など歌っている。


「――Hush-a-by baby, on the treetop――」


 その子守唄は知っている。が、そう口にはしたくない。

 どこかで聞いた子守唄とともに身体を揺らす姿は、まるで自分こそが母親だと主張しているようだ。

 視線を交わす表情の愛情深さに、ロウは反射的に苛立ちを覚えた。


 苛立ち――いや、不安かもしれない。

 一時間足らずで、乗員の三分の二の視線を集めた、自分以外の生き物に対する。


「おい。まさか、本気でそいつを飼うつもりか? 現地の生き物なんて、どんな病原菌持ってるかも分からんのに」

「既知の病気はアルキュミアが確認してくれてるよ」

『既知の病原菌は発見できませんでした』

「じゃあ、未知の病気はどうなんだ。アルキュミアですら見つけられないような、誰も知らない新しい病気が、この星の開発から撤退させたのかもしれない」

「既にこの宇宙船は外部から隔離されてないんだぞ。そんなものがあったとしても、どうしようもないよ」


 ロウは顔をしかめた。どうしようもないのは事実だが、だからこそリスクを下げる必要がある。未知だから何をしても無駄だなどという言い草は乱暴すぎる。


「……大体、そいつが何者で、何を目的にしてるのかも分かんねぇんだぞ。そんなやすやすと船の中に引き入れて、仲間が大挙して攻めてきたらどうする」

「どうもこうも、俺たちは密猟者でもなんでもない。単に迷子を保護してるだけだよ。むしろ、親が迎えに来てくれればいいくらいでしょ」

「迎えなんて、そんな穏当な話なら悩まなくて済むんだよ!」


 本人が無害でも、生き物ならばどこかに親がいる。完全に未知の生物なのだから、成体がどんな姿をしているかもわからない。アルキュミアにも解析できないような危険な能力が備わっている可能性もあるのだ。

 音を立てて壁を蹴飛ばしたが、イェルノは動じない。

 苛立ちは増すのに、自分でも何に苛立っているのかは曖昧だ。

 危険を見過ごすことに腹を立てている――と思っているが、案外、アルキュミアやイェルノが自分の言葉を聞き入れないのが不満なのだけかもしれない。

 だが、それを突き詰めるだけの余裕が、ロウにはない。


「あんたの人工知能はそいつを人間みたいに判断してるらしいがな、そんなもんただの――」


 最後通牒を突き付けようとしたところで、ぐずぐずと鼻を鳴らしていた妖精がふと泣き止んでロウの方を向く。

 目が合った瞬間に、ふと頭をよぎった。イェルノが母親役なら、自分は――


「お……とう、サン?」


 呼ばれた瞬間に心が震えた。嬉しそうに手を伸ばしてくる姿は、人間の子どもにひどく似ている。

 小さな手は柔らかく、妙に熱い。脳内に再び、「守るべきだ」という思いがどこからともなく沸き上がってきた。

 愛情という名の甘ったるい概念を、直接脳にぶち込まれたような気がした。擬態だ罠だという言葉が宙に消えた。

 イェルノが「ほらね」とロウを見上げてきたが、反論する気力すら湧いてこない。


「ね、ロウ? 少し保護するだけだよ。少なくともこの子には俺たちの言葉が通じてる。ということは、きっとこの子の両親とも会話できる。こんなに小さいんだもの、その人たちが迎えに来るまで、ここで危険がないように見守ってあげればいいじゃない」


 是と答える気にはなれない。だが、先ほどまでの勢いで妖精を追い出せと口にする意思も失せた。

 ロウは額に手を当て、何とか肯定以外の言葉を絞り出そうとする。


「親に返すって……どうするつもりだよ」

「そうだなぁ。ちなみにアルキュミア、周辺にこの子の親と思われる生命体は?」

「バカ。近くにいたら、迷子にはならないだろ」

『半径百kmの範囲についてはレーダ探索しましたが、生物の存在する痕跡は見当たりませんでした』

「待て。そういやそもそも、周辺にオレたち以外の生物はいないって言ってたな?」

『いません』


 アルキュミアが淡々と答える。


「じゃあ、こいつはなんだ? いないって言ってたはずが、あんなとこに座り込んでたぞ」

『現在、私の内部にいる生命体は、メインコンピュータ:あなたのアルキュミアにとって『オレたち』に含まれます』

「そりゃ今の話だろうが。オレが聞きたいのは、オレたちが出て行く前の段階での――」


 言いかけて、指先が強く握られた。

 小さな指の形と柔らかさがはっきりと伝わるくらい、強く。

 それだけで、ロウの喉から言葉が消えた。この子どもを疑うような発言は、口にすることが憚られる。


 やはりおかしい。自分はこんな人間ではない。

 小さきものを守ろうとする誠実さとは、無関係のはずだった。

 ロウは眩暈を感じて、こめかみに手を当てた。

 とにかくこの妖精が可愛く見えて仕方ない。眺めているだけで本能的な庇護欲が持ち上がってくる。


「おい、やっぱこれ……なんかおかしくねぇか?」

「なにが?」

『メインコンピュータ:あなたのアルキュミアの判断回路に異常は発見されておりませんが』

「いや、俺が」

「あなたは最初からおかしいでしょ」

『あなたのアルキュミアは、マイマスタの判断回路が通常通り攻撃的かつ暴力的であることを警告します』


 下からぎゅっと握られたままの手が、先ほどのおかしな感情と共に急速に意識された。

 思わず振り払い、小さな身体を押しのける。


「――ロウ!」


 非難じみた声を、ロウは片手を振って退けた。


「おい、アルキュミア。こっちのお人形さんは別にしても、お前の人工知能までぶっ壊れてるとは思いたくないぜ。この妖精をどうするのがオススメか、言ってみろ」


 振られたアルキュミアの映像が、しばし小首を傾げて固まり、CPUを回す。わざとらしい瞬きの後に、イェルノではなくロウの方を見た。


『メインコンピュータ:あなたのアルキュミアは、本生物の庇護案を支援します』

「――はぁ!?」


 盛大に反駁の気持ちを込めて問い返したが、アルキュミアは無表情にロウを見つめ返しているだけだ。


「なんで、あんたが! こいつを、庇護したがってるんだ!?」


 一語一語区切り強調して尋ねて見せても、アルキュミアは目を逸らさない。


『未確認生物を捕獲した場合の申請・登録は人類共通の義務です』

「あんたもイェルノと同じことを言うのか!? そりゃあこっちの身の安全が確実な場合の話だ」

『マイマスタの安全を守るのは、メインコンピュータ:あなたのアルキュミアの使命です。ここにあなたのアルキュミアがいる限り、マイマスタの安全は担保されています』

「具体的に目の間にある脅威に対して、あんたがなにをしてくれる? 突然このファッキン妖精が狂化して襲いかかってきたらどうする! そのスッカスカのホログラムでぶっ飛ばしてくれるってのか?」


 たった一人の賛同者の可能性を失ったロウに、アルキュミアの態度は非論理的に見えた。

 確かに法的には、未確認生物を発見した場合には申請を義務付けられている。とは言え、妖精の存在がいかなる危険を招くかもまだ明確になっていない、こんな状況で保護を主張するのはおかしい、と感じる。

 どうにも判断しかねて、イェルノの目を覗き込む。そして、ホログラムのアルキュミアの顔を。

 どちらも一心に妖精を見詰めている。

 おかしくなっているのは自分だけではない――どころか、この中では自分はまだまともな方かもしれない。


 この急激な周囲の感情変化から、ロウはふと、一つの可能性に思い当たった。

 この妖精は人類ではない。だと言うのに、不完全ながらもいち早く汎宇宙共用語を操っているところを見ると――もしかすると、精神感応力があるのだろうか。


 しかも、ロウ自身よりもイェルノとアルキュミアの方が強く影響を受けていることを考えるに、有機生命体よりも人工知能に強く作用しているのだろうか。

 そんな風に推測し始めると、辿々しい喋り方すら擬態に見えて怪しく感じられる。

 胸底に怯えを隠し妖精を睨み付けるロウを、アルキュミアとイェルノが無表情で囲んでいる。


『マイマスタ』

「ロウ」


 呼びかけに感情は含まれていないはずなのに、十分に批判的にロウには聞こえた。

 どこか記憶にある冷ややかな目。言い返せない理論でロウを支配する眼差し。

 思わずマーチの――母親のことを思い出す。

 なにかがおかしいと思いながらも、この目に見詰められるとロウは何も言えなくなるのだ。

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