2段目 不時着
――Hush-a-by, Hush-a-by baby.
どこか遠くから、歌声が聞こえた気がした。
ロウは瞼をこすり、ゆっくりと目を開く。
どうやら固定ベルトがぎりぎりで間に合ったようだ、シートから吹っ飛ぶことはなかったが、落下の衝撃で気を失っていたらしい。
真っ暗なコントロールルームで、ロウは軋む身体を起こした。
「……おい、アルキュミア。生きてるか?」
『――ッ……なたの……キュミア、現在……自己修復プログ……音声及び、ホログラム……機能制限により、一部――』
恐る恐るかけた声に、ノイズ混じりの応答が返ってくる。
待っていてもホログラムの少女型が一向に現れないのは、復旧を優先して高負荷な処理を制限しているからだろう。
ひとまず生きている。自分も、宇宙船も。
なら、後は耐えるだけだ。追って来た艦隊が引き上げる頃合いを見計らい、救難信号を飛ばすだけ。
ほっと息をつき肩の力を抜いたところで、視界の端に影が動いた。
「――ッ!?」
「落ち着いて。俺だよ」
思わず手を伸ばしたジャケットの裏には、電子銃がしまわれている。
引き金にかかりかけた指を、ジャケット越しとは思えぬほど正確に、しなやかな手が押さえた。
耳元で囁かれた声で、相手が誰かを理解する。
「……クソ、お人形さんか。脅かすな」
「ねえ、その呼び方やめてって言ってるでしょう」
非難混じりの声色に、ロウは今度こそ脱力してシートに背を預けた。シートを覗き込んできた影は、暗闇の中でもきらめくような光を帯びた碧眼を向けてくる。目を閉じて、その光を意識的に視界から追い出した。
が、瞼越しにしつこい視線を感じて、さすがに無視できなくなった。
「……なんだよ」
「生きてる、よね?」
「どうやら無事みたいだな。まあ、あんたみたいのは『生きてる』とは言わねぇかもしれねぇけど」
「相変わらず、ひとの悪口だけは滑らかだね。その様子なら怪我は大したことないみたいだ、よかった」
「クソが。どの口でそれを言うか」
「俺のせいだって言うの? まあ、否定しないけど」
「いけしゃあしゃあと言いやがって」
「俺を乗せたのはあなたの判断だよ。俺はただ希望を言っただけで」
「だから悪いんだろが……」
呻いたロウに返ってきたのは、くす、と笑う声だった。
ジャケットに置かれたままの手が甲を撫でてくる。
その手を乱暴に振り払って、ロウはイェルノとの出会いを思い返した。
●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
それは、ロウが宇宙に出て四十五日目――つまり、昨日のことである。
始まりは、起き掛けにアルキュミアから通知された尾翼左エンジン不調アラートだった。
軽微な故障だが、エンジンを一旦停止して自動修復に専念した方がいいとアドバイスを受けたロウは、ちょうど航行中だった小惑星帯に着陸した。
小惑星帯――と、見えていたのだ。航宙地図上は。
実際にはそこは、とある巨大企業の極秘工場だったらしい。研究開発を担う企業秘密の集積場だ。
岩石の塊だと思って着陸した地表に、人工的な通路の入り口を見つけて入り込んだ。
迷い込んだ通路の奥で出会ったのが、イェルノだ。
思えばこれが、最後の命運の分かれ目だった。
イェルノのいた部屋は、ガラス張りの白い研究室だった。
近づくと、自動扉は簡単に開き、顔を上げたイェルノの目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
なんの気の迷いだったのだろう。ロウらしくもない。
人助けなんて考えもしたことがなかったのに、ロウは――それを見て、思わず手を差し伸べてしまったのだ。
泣いている顔がひどく気にかかってしまったからだ、とは言いたくなかった。
「ちくしょう……知ってたら、あんたなんか連れてこなかったのに」
ぼそりと呟いたロウに、イェルノはうっすらと笑いながら答えた。
「ふぅん、俺がセクサロイドだって知ってたら、興味なんてなかったって? 残念だな、この身体、ベリャーエフINC.の最新技術の塊みたいなもんなのに」
ベリャーエフINC.――というのが、極秘工場の持ち主である、とある巨大企業の名前である。
余分に使う金などないロウですらその名前には心当たりがあるくらいの、宇宙開発全般を担うコングロマリットだ。
結果として、ロウはそこから開発途中のセクサロイド――イェルノを、盗んできた形になっている。
「売れば高いよ。それとも自分で試してみる?」
挑発的なイェルノの微笑を、ロウは片手を振って退けた。
「あんたがただのセクサロイドならまだいい。けど、性未分化セクサロイドだなんて、悪趣味の極みだ。そもそも、ただの普通の……女の子が泣いてると思ったから、オレはあんたを乗せたんだぞ。乗る前に言えよ、そういうの」
「泣いて逃げ出したがっている女の子に優しくしようとしたら、セクサロイドだった、と。残念だったね、ロウ」
「うっせぇ、バカ。女どころか男ですらないクセに、ひとの名前を気安く呼ぶな」
「男だ女だとうるさいな。特注品だぜ、もう買い手はついてたんだ。ま、俺はそもそも設計思想からして、人類にとって魅力的に作られてるから、あなたが横取りしたくなっても仕方ないよ」
「そりゃよかったな。ここを出たらすぐにつき返してやるから覚悟してろ」
そう彼はロウを慰めた。
彼――本来は性別を限定する三人称を使えない相手だが、ロウからすれば、『彼女』と呼べないものはすべて『彼』でいいだろうと思う。
本当は、イェルノという名を呼べば早いのだが、名前なんて呼んだら、このアルキュミアの中に滞在することを認めてしまったように思えてしまう。
ロウ自身が連れてきたという点は、棚に上げるとして。
そうこうしている間にも、アルキュミアは船内の自己修復を着々と進めている。
コントロールルームに非常灯がともり、辺りの状況がうっすらと見えるようになる。
見回せば、一面にものが散乱していた。重力制御が消えたために、台上のものがぶちまけられたらしい。着陸の衝撃でか、ロボットアームもところどころ折損しケーブルがはみ出ている。今は、無事なアームがそれ以外を取り急ぎ修復し、並行して生命維持に必要な最重要システムを優先してチェックしているところのようだ。
イェルノが思わせぶりに鼻を鳴らす。
「ふぅん……」
「なんだよ」
「あなたの腕については疑問があるところだけど……この宇宙船自体はずいぶん高性能だな。人工知能なんて、
「別に誰からも盗っちゃねぇよ。マーチ――母親の遺産だ!」
「マーチ? それって愛称? それに遺産って……こんな宇宙船を我が子に相続させられるようなひと財産のあるえっと……たぶん宇宙船乗りで、マーチって名前の母親……?」
小首を傾げる仕草が、妙に愛らしい。
照れ隠しも含めて、ロウは低い唸り声をあげた。
「おい、会話しながら情報検索すんな。失礼だろ」
「してないよ。俺の頭脳は常時ネットワークに繋がってるタイプじゃないの。過去にインプットされた記憶くらいはサーチするけど……まあ、どっちにしろここでは無理だね」
「は?」
「俺たちどこに不時着したのかわからないけど――ここ、どうやら
全宇宙間通信回線は、現時点で判明している宇宙航路のほぼ全域を繋ぐ無線ネットワーク回線だ。
ここに接続できないということは、そもそも――救難信号を発することができない。
「なっ……そんなワケねぇだろ!? だって、さっきまで辺境とは言え宇宙航行図内にいたんだぞ、それがウェブに通じないって……」
「だって本当だもん。ネットワークから外れてるのか、それともベリャーエフINC.が妨害電波でも出してるのか」
ロウは思わず言葉を失った。
イェルノの言葉が本当なら、アルキュミアは――自分たちは、この惑星から出る方法がないことになる。
「どうしたの、ずいぶん顔色が悪いね。この宇宙船の性能なら、少し手を入れてやれば、自己修復機能だけで飛べるようになるでしょう? そんなに心配することなんて……」
「飛べるには飛べるが……ここは惑星だぞ」
「え?」
「言っただろ。この宇宙船、そもそも単独で大気圏突入するような船じゃないんだ。たとえ万全の状態に戻れたところで、最高出力でも第二宇宙速度を出すほどには至らない……重力を振り切れないんだ。宇宙空間に戻る方法がない」
「……え」
イェルノが微かに頬をひきつらせたのを見て、ロウは少しだけ留飲を下げた。
できればもう少し絶望した顔でも見せてくれたら、もっとすっとしたのだが。
とは言え、実際それどころではない。
「まあ、とにかくだ。妨害電波ならベリャーエフINC.が諦めて撤退すれば消えるかもしれんし、一時的な電波不調か、なんならあんたの方の通信異常かもしれない。なにをするにせよアルキュミアが復活しないと、話にならないし――」
心を落ち着けようと、ロウはひとつひとつ可能性を上げてみる。
が、そんな言葉の途中で、耳障りなノイズ混じりの声がコントロールルームに響いた。
『――たのアル……アは、……の不時着による破損……通達します。右舷武装センサー応答なし、底部全面極大破損あり、疑似重力発生装置停止中、船腹左二から右五エンジン応答なし、補助燃料タンク全脱落』
「……ひでぇな」
被害の大きさに呻きはしたが、音声機能が戻ってきていること自体は、この状況ではありがたい。
続けて耳を傾けているところで、アルキュミアの声がひどく絶望的な言葉を吐いた。
『――破損によって、船内酸素供給および温度維持困難です』
「酸素供給!? おい、船内の空気は……」
『破損箇所より外部大気流入中です』
「――最悪かよ……大気の有毒性とか未知の病原体とか……」
ロウは、思わず両手で顔を覆った。視界が真っ暗になった気分だ。
隣のイェルノが、気安い様子でぽん、とロウの肩を叩く。
「そんな落ち込まないで。もう入っちゃってるものは仕方ないでしょ」
あっけらかんとした声に、ロウは深いため息で応えたのだった。
死ぬときは、絶対こいつを道連れにしてやる。
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