トライアングル・ラダー
狼子 由
1段目 アラート
そこら中で、
頭が割れるような多重アラームをBGMに、ロウはせわしなくパネルに指を走らせる。
一つ解除するうちに、警告灯が三つ増える。積み上がるタスクに緊張の糸は張り詰め、ロウの濃茶の髪は汗で濡れる。
航行二か月目のひよこパイロットによる必死の操作にもかかわらず、状況は悪化の一途をたどっていた。
無理もない。もともとこの船はこんな――艦隊を振り切って惑星の重力に抗いながら突き進むような、そんな目的で作られた船ではないのだ。
それでもなんとかぎりぎりで回避し続けてこれたのは、主に宇宙船のメインコンピューター、自立型AIアルキュミアの操船能力によるものである。
だがそれも砂上の楼閣。今やアルキュミアの頭脳はアラートを吐く方に忙しいくらい。どうしてもパイロットが手動で対処せざるを得ない。
ロウは今、アルキュミアのサポートを受けながら、慣れない宇宙船操作を一手に引き受けていた。
じわじわと近づいてくる死の足音が聞こえるような気がして、ロウは冷えた指先で額を拭った。
まだ十代――若い身空で、宇宙の塵になんかなりたくねぇ。
シャツどころではなく上に羽織ったジャケットまで湿って、汗と悪寒が混じり合っている。
「……クソ!」
吐き出された悪態と無関係に、背後に立つ少女――
『メインコンピュータ:あなたのアルキュミアは、
『メインコンピュータ:あなたのアルキュミアは、本船右舷レーザの脱落をお知らせします』
『メインコンピュータ:あなたのアルキュミアは――』
「――黙れ、見りゃわかる!」
響いた怒声に、補助シートの中身がびくりと震えた。
膝を抱え、身体を丸めているのはイェルノ――今のところ、この宇宙船にとってはお荷物でしかない存在である。小柄な身体は引き寄せた長い脚――細身のジーンズにほとんど隠れてしまっている。その向こうから、ロウの姿をうかがう碧眼がのぞいていた。
少年とも少女とも覚束ない顔立ちは整っているが、その目が恐怖と好奇心で目まぐるしく輝くのを見ると、怒鳴りつけたくなってしまう。
――余裕ぶっこいてるなよ、今ヤバいって言ってんだろ!
危ういところで不毛な文句を飲み込んで、ロウは再びアルキュミアを見た。
紺のワンピースに包まれた成長期の少女の身体――を再現したホログラムは、その金色の瞳を輝かせてから、しばし小首を傾げたポーズでCPUを回した。
ピンク色のぽってりとした唇が、あるはずもない肉感を伴って、再び開く。
「では、ランプにはお知らせ出来ないことを。
「大気圏突入!? っざけんな!」
「へえ、この宇宙船、ボロく見えて単体で大気圏突入できるなんて高性能じゃない――いや、待って……なに、その顔。まさか、ねえ――」
補助シートから悲鳴のような声が上がるが、ロウは振り向きもせずアルキュミアに指示を出す。
「クソ、アルキュミア! 積荷をベルト固定しろ!」
『積荷とはなにを示していますか?
「オレが積荷っつったらイェルノのことだろ!」
「ちょっと、ロウ! あなたという人は――」
ロウの物言いに、イェルノの非難の声がかぶる。
が、その言葉をアルキュミアの冷静な声が打ち消した。
『補助シート、ベルト固定します』
「ちょっ……!? あなたね、なんで俺の話を無視する――」
伸びたベルトに細い手足を取られたイェルノが、輝く金髪を振り乱して悲鳴を上げた。
ロウはその声を無視して、ただ必死にパネルを叩く。無言のまま、とはいかないのは恐怖のためだ。何か喋らずにはいられない。
「……っざけんな、大気圏突入だぁ? この熟練パイロット様が、よりによってなんで……こんなクソみてぇな……」
『マイマスタの単語選択に修正を提案します。熟練、とは一般的に長期間同じ職務を果たす場合――』
「うるせぇ!」
『マイマスタの運び屋歴は本日をもって四十六日目を迎え――』
「――四十六日!? ロウ、あなたやっぱり熟練運び屋なんて大嘘――」
「黙れっつってんだろーが、アルキュミア! 船ごとてめぇのCPU地表にぶつけんぞ!」
『――
「うぅるっせえぇっ!」
叫びがてら、拳でパネルを叩いた瞬間に――ぐらり、と大きく床が揺れた。
「きゃあぁああぁっ!?」
イェルノの甲高い悲鳴が響く。
時を同じくして、船体が空気を切る轟音が船内に満ちた。びりびりと内壁まで震わせる振動に焦燥感だけが募る。
傾きと揺れが徐々に大きくなる。
床の上に置きっぱなしの私物が跳ねて、傾きに合わせずるずると左に流れていった。
ロウ愛用の動物柄のマグカップがカップホルダーを外れて床に落ち、派手な音を立てて砕け散る。
「傾いてるじゃねぇか、左、左、左翼を上げろぉ!」
足をとられそうになり、ロウはパネルに左手でしがみついた。
右手だけで何とか操作を続ける。
……が、十秒ほど続けたところで、どうしようもなく体力の限界がきた。
「ああああああっ! 追いつかねぇだろ、クソがっ! アルキュミア、これどうすりゃ良いんだよ! あんたこの世にたった一つの超高性能コンピュータ搭載宇宙船だろ!? これくらい何とでもなるだろうが!」
『メインコンピュータ:あなたのアルキュミアは、
「出来るならやっとるわ! 今求められてもどうしようもねぇ!」
『メインコンピュータ:あなたのアルキュミアは、マイマスタが
「ちょっと! ねえ、こんな揺れてて本当に大丈夫なの――」
「――うるせぇ! 今更言うな、無駄口叩くな! とにかくこの状況をクリアさせろ!」
一番無駄口を叩いているのはロウである、ということを、誰も指摘しなかった。
いや、指摘するより前に――船内に、今までよりもオクターブ高い警戒音が鳴り響いた。
『メインコンピュータ:あなたのアルキュミアは、
「っざけんな! 逆噴射、逆噴射、逆噴射ぁ!」
船体下部方向へのエンジンの噴射を次々に指示しながら、船体の傾きを直そうとするが、上下左右に揺れ続ける床は安定しない。
そこでようやくロウは気づいた。船内の疑似重力と惑星の重力が干渉して、揺れ続ける船体との下方への重力調整が難しくなっているのだ。
「アルキュミア、疑似重力切れ!」
『船内の疑似重力を切断します、接触まで残り47秒』
アルキュミアが無表情のまま告げた直後に、今度は大きくぐらりと右へ傾いた。
「――っいやああぁ!?」
いくらベルト固定されていても、真横へ落ちそうになる感覚は気持ち悪いのだろう。イェルノがばたばたと暴れているのが、パネルにしがみついているロウからも見えた。
左腕と、床に引っ掛けた足先の力だけで身体を支えるのが、さすがに難しくなってきた。
ぶるぶると震える腕を叱咤しながら、ひたすら右手でパネルを打つ。少しずつ傾きを戻す船体の中で、アルキュミアだけが何ということもなさそうに宙に浮かんでいる。
『逆噴射を開始しました、船首の傾度60度で態勢維持、接触まで残り26秒』
「……ば、バカか、そんな急角度で地面に突っ込む気か!? 何とかしろ! 接触地表に水平角度をパネルガイド――」
『ガイドランプ点灯します』
アルキュミアの丁寧過ぎるほど丁寧なサポートのもとに、緑のガイドランプに合わせパネルを操作し、逆噴射を調整する。
ゆっくりと船体の傾きが戻っていく間も、細かい揺れは続いている。
「ロウ! ねぇ、着陸するならあなたもシートに着かないと!」
「アルキュミア! 地表接触まで10秒になったらカウントダウン始めろ!」
『8秒後に10カウント始めます』
「ロウ! ――これ、本当に大丈夫なの!?」
イェルノの問いかけには相変わらず答えない。いや、答えられない。
大丈夫か、だって!? オレが知りてぇよ!
『10カウント開始、9、8――』
ごうごうと風を切る音。
揺れ続ける船体を何とか水平に保ちながら。
『5、4――』
「ロウ! あなたも――」
イェルノが補助シートにしがみ付いて叫ぶ。
その声を最後に、パネルから手を離したロウは。
『2、1――』
カウントゼロの直前に、パイロットシートに飛び込んだ――
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