※本作はフィクションです

 女子と女性と駅員と駅舎にある駅員室に入って、どれくらいの時間が経とうか。

 硬いパイプ椅子に座って、僕達三人は自殺を図った女子の一挙手一投足を待った。しかし、当の本人はそんな僕達の気も知らずに、未だ何かを語ろうとする素振りはなかった。


「このまま黙っていても何も解決しないよ」


 そういうのはスーツ姿の女性だった。この駅員室に篭って随分と経ったからか、気付けば同情気味の視線を女子に寄越していた彼女さえ、少しばかり声を荒げていた。

 ただそれでも女子は、何も言おうとはしなかった。ただ黙って、まるで人形のように、俯いて机を凝視していたのだった。


 初めは熱心にメモ帳を開き、事態の収束に努めようとしていた駅員も、今ではすっかり興が削がれたようにやる気を失っていた。いくら待てども彼女が話す様子もなく、遂には開いていたメモ帳すら閉じてしまった。


 僕はといえば、黙り込む彼女に対して沸々とした怒りを抱いていた。身勝手な奴め。思わずそう悪態をつきそうになっていた。でも、当人が何かを喋る気がないのなら、彼女のことを否定することも、宥めることも出来ない。それを悟って、より一層強い怒りを覚えていた。


「わかった。今日のところは帰ってください」


 駅員は分かりやすいため息を吐いて、彼女にそう告げた。どうやら諦めてしまったようだ。

 彼を咎めようとする人は、この場には誰もいなかった。どう考えてもこの状況は、この女子が全て悪い。そして、誰もが彼女に対しての説得を諦めてしまったのだった。


 真っ先に駅員室を出たのはスーツ姿の女性だった。肩にバックをかけて、呆れたようなため息を残して去っていった。


 僕も帰ろう。

 去った女性の後姿を見て、そう思った。こんな身勝手な女子のために時間を無駄にしたことが、やはり腹立たしかった。

 だけど、未だ机を虚ろな瞳で凝視する女子が視界に入って、思わずため息を吐いてしまった。


「ほら、行くぞ」


 僕は女子にそう声をかけた。

 ただ、そう声をかけるも女子の反応はなかった。最早夢遊病患者のように、心ここにあらずな状態だった。


 駅員がため息を吐いているのが視界の端に写った。


「おい。いつまでもここにいたら、駅員さんの迷惑だろ。ここに僕達がいたら、彼は職務に戻れないんだぞ」


 思わず口調が荒立った。自分の行動に責任を持たない彼女に、苛立ったのだ。


「……んなさい」


「ん?」


「ごめんなさいっ」


 それだけ言い残して、女子はスクールバックを掴み、駅員室から走り去って行ったのだった。

 パイプ椅子が倒れる音。扉が勢いよく開き、閉まる音。扉が開いた拍子にもれたホームからの喧しい雑音。


 僕は全てに呆気に取られてしまっていた。

 口を半開きにして、目を丸めて、自殺を図った女子を追うことも出来ず。

 ただ、その場に立ち竦んだ。


 しばらくして振り返ると、駅員も同様に呆気に取られていたことに気がついた。

 駅員と目が合った。お互い、乾いた笑いを数度浮かべた後、深刻そうに俯きあってしまった。


 多分、考えていることは僕も彼も一緒だったのだろう。

 あの深刻そうな態度。だんまりを決め込んだ後、走り去っていく様子。そして、駅員室を飛び出す拍子に見せた……目の辺りで光っていたもの。


 まずいなあ、これ。

 

 事の深刻さに気がついて、僕は思わず頭を掻いていた。

 多分彼女、このままだと再発しかねないな。そう思った。身投げの再発。身勝手な行いの再発。


 駅員をチラリと覗いた。

 彼は、自らの選択を悔やんでいるように見えた。唇をかみ締めて、目を細めていた。


********************************************************************************


 翌朝。

 僕はいつもの非常階段に白石さんを呼びつけていた。といっても、当人は僕とは違い、吹奏楽部の朝練があろうがなかろうが早朝通学をしているので、約束を取り付けるのはとても簡単だった。


『期待してもいいのよね?』


 ただ、昨晩のメッセージだけが引っかかる。早朝、非常階段に来て欲しいと約束を取り付けた僕に対して、白石さんはどうやら何かを期待しているらしい。字面から読み取れた。そりゃそうだ。


 一体、彼女は僕に何を望んでいるのか。

 

 そういえばいつか、僕と白石さんがまだ恋仲でなかった時、僕が自発的に非常階段に行ったら、彼女に文句を言われたことがあったな。


『だってあなた、用事もなしにここに来ないじゃない。ここに来る時は決まって、面倒事か厄介事がある時だけ。あたしのこと、都合の良い女とさぞ思っていることでしょうね』


 思い出したら当時の彼女、めっちゃツンツンしてんじゃん。今じゃ微塵も感じないけど、気難しい性格しているなあ、当時の白石さん。

 そういえばあの時は、色々あって彼女を悲しませたんだったな。

 一時は毎日のようにスケコマシだなんだと悪態をつかれたものだ。ただ、こうして温もりしか感じない関係に至った今、少しだけあの時の彼女に会いたい気持ちもないわけではない。


 ……そんなこと、どうでも良かったな。


 早朝とはいえ、学ランを着るにはもう暑い。ワイシャツで通学路を歩いていると、校舎からトランペットの音色が響いた。いつからか博美さんの音色に加えてもう一つの音が重なるようになった。練習熱心な後輩でも出来たのかもな。

 校門を通って、玄関まで歩いて、上履きに履き替えて、教室にカバンを置いた。

 白石さんの席にはカバンはあったが、当人の姿は見えない。早朝通学する時、最近は決まって一緒に登校していたのだが、こうして非常階段に呼ぶ時に限って、彼女は一緒に登校しようという僕の誘いを拒む。理由を聞いたことはあったのだが、大抵いつもはぐらかされる。


『こういうのは悟って欲しいものじゃない』


 そんな台詞を吐く彼女は、何故だかいつも少しだけ寂しそうだった。何故だろうか。分かりかねる。

 物思いに耽りながら廊下を歩いた。非常階段へと続く扉は、少しだけゴムが劣化し始めているのか、異音を発しながら開かれた。


 トランペットの音色が途絶えた。そろそろ朝練の合奏に向けて、一同が介する時間なのだろう。あまりに早朝に学校に通い慣れたが故に、その辺の新入部員よりは吹奏楽部の練習内容を熟知している。素直にキモい。救えないバカだ。


「おはよう、白石さん」


「おはよう」


 こちらに気付いた白石さんは、微笑を寄越して読んでいた文庫本に栞を挟んでいた。


「悪いね、こんな早朝から」


「いいわ。いつもいるもの」


 だろうね。


「それで、今日はどうしたの?」


 心なしか白石さん、少しだけ期待に目を輝かせているように見える。


『だってあなた、用事もなしにここに来ないじゃない。ここに来る時は決まって、面倒事か厄介事がある時だけ。あたしのこと、都合の良い女とさぞ思っていることでしょうね』


 途端、先ほど思い出した彼女の台詞が蘇った。なんだかとても言い辛い。今日僕が彼女を呼び出したのは、まさしくその厄介事。

 こんなに可愛く期待している彼女の興を削いで、僕は無事に一限目の授業を受けれようか。少しだけ肝が冷えてきた。


 あれ、さっきツンツンした彼女にまた会いたいとか言っていた人がいたような……?


 まあ、いいや。

 とにかく事は一刻を争う。だから、彼女にも知恵を出してもらいたかった。一晩考えたが、どうにも凝り固まった僕の頭では人海戦術めいた策しか浮かんでこない。


 意を決して、僕は大きく息を吸って、吐いた。


「実は、手伝って欲しいことがあるんだ」


 途端、彼女は露骨に落ち込んでいた。そんな悲しそうな顔はやめておくれ。鈍感系でごめんちゃい。


「何かしら?」


 しばらくして、白石さんは気を取り直して僕に聞いてきた。


「ごめんね」


「謝る気があるのなら、最初からしないで」


「ごめんなさい」


 つくづく僕は正論に弱い。正論、怖い。

 いつかの彼女を思い出すツンツン具合に一つ苦笑をして、僕は続けた。


「実は昨日。君と別れた後に、嫌な事件があったんだ」


「嫌な事件?」


 白石さんは可愛らしく小首を傾げていた。


「うん。この学校の制服を着た女子が、電車に飛び込もうとしたんだ」


「え……」


 思いのほか深刻な話に、白石さんが固まった。

 構わず、僕は続けた。


「丁度傍に僕がいてね。何とか助けることは出来たんだけどさ。まあ彼女の態度に思うところがあって、その後、彼女や駅員達に付いていって話を聞くことにしたんだけど。

 思うような話を聞くことが出来なかったんだ。彼女、ずっと黙秘を決め込んでね。遂には根負けした駅員が彼女を帰してしまったんだ。

 怒りに駆られたよ。こんな人に構って損したって。

 ただ、帰り際の彼女の態度がね……」


「……またしてもおかしくないってこと?」


 含みのある言い方をしたら、すっかり立ち直っていた白石さんが深刻な顔でそう尋ねてきた。

 僕は黙って頷いた。


「それで、すぐにでも彼女の素性を探って立ち直るきっかけを作ってあげないと大事になると思っているんだ。……だけど」


「制服でこの学校の生徒であることはわかるけど、それ以上の素性を探る術がないのね」


「そう。色々考えたけど、すぐに彼女の素性を探る術が思いつかない」


 僕は肩を竦めて、続けた。


「どうしても聞き回りや一つ一つの教室を見て回るとか、そういう人海戦術めいたことしか思い浮かばないんだ」


「なるほどね」


 顎に手を当てて考える白石さんの隣に、僕は憔悴気味に腰を下ろした。


「お疲れみたいね」


「そりゃ、まさか目の前で自殺しようとする人がいるとは誰も思わないだろ?」


「それもそうね」


 白石さんは困り果てた僕の顔を見ると、少しだけいつもの調子を取り戻したようだ。彼女、僕の苦痛に歪んだ顔が好きなんだよな。怖いわあ。


「でもまずは、あなたが無事で良かった」


 そんなことを考えていたら、僕は白石さんに労われた。少しだけ申し訳ない気持ちを抱いた。


「ありがとう。でもごめんね。今は一刻を争うんだ。何か手はないかな?」


「そうねえ」


 少しだけ切羽詰って伝えるも、どうやら白石さんも妙案は浮かばないようだ。


「ごめん。何も浮かばないわ」


「そっか」


 ううむ。どうしたものか。


「駄目ね、あたし」


 僕の切羽詰った様子を間近で見たからか、白石さんは露骨に落ち込んでしまった。頭を抱えてシュンとしていた。


「そ、そんなことないよ。元はといえば、厄介事を持ち込んだ僕が悪い」


「そんなことないわ」


 白石さんは落ち込んだ様子で首を横に振った。


「生徒会は生徒を統べる立場であるはずなのに、結局あたしは全ての生徒の顔を知っているわけじゃないんだもんね」


 完璧主義者すぎる言い分だ。というかそういう話ならば、同じく生徒会である僕も同罪になる。


「規模が大きくなるけど、国を統べる大統領とか総理大臣が、全ての国民の顔を知っているかな?」


 僕の身勝手で彼女を落ち込ませてしまったが故、僕は自殺しようとした少女のことも忘れて白石さんをフォローしようと考えた。

 僕は続けた。


「そんなはずない。だってそれは、人を統べる人に求められる能力じゃないから。彼や君のように人を統べる立場の人に求められる仕事はさ、皆が幸せになれるように働くことだろう。キチンと自分のすべきことを考えた上での行動を心がけたほうがいいよ。そうすれば、たくさんの人が君に賛同するようになるからさ」


 そこまで言い切ると、白石さんは少しだけ胸のつっかえが取れたらしい。先ほどよりはマシな顔つきになっていた。良かった。

 ただまあなんというか。生徒会という立場をもってしても、彼女の話は重すぎる。


 生徒会なんて所詮、未成年である学生の先頭に立ち、皆がより学びを深められるように取り計らったり、助力するだけの存在ではないか。


 例えば、そう。

 皆が一丸となって目的を達するための文化祭、体育祭などを取り仕切ったり準備したり。

 皆がもっと学校にいたいと思うように先生よりも近い目線で学生達に寄り添ったり。

 皆がもっとよりよい環境で勉学に励めるように、早朝から校門の前に立ち、挨拶をするように助長したり。

 皆がもっと勉強に集中出来るように、無駄な物は持ち込んでいないのか、と持ち物検査をしてみたり。


 ……あっ!


「それだ!」


 物思いに耽る内に一つの妙案が浮かんだ。思わず白石さんの肩を掴むと、白石さんは驚いたように目を丸くしていた。

 そんな様子も気にせずに、僕は慌てて立ち上がって、白石さんの手を引いた。


「えっ、ちょっ。どうしたの?」


「抜き打ちの持ち物検査だよ、白石さん!」


 興奮気味に言葉足らずに叫ぶと、白石さんは尚も理解不能と言いたげに眉をしかめるのだった。 

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