やはり白石さんは変わっていく。
彼女の言った言葉が脳で反芻された。
でも、当面理解が出来そうもない。自らの恋心を認識してからこれまで、正直僕のこの想いは二十五歳が抱くには随分と危険な、一方通行な想いだと思っていた。
『好きよ、鈴木君』
でも僕は知ってしまった。
僕のこの想いは一方通行でないことを。彼女に、想われていたことを。
「いつから?」
「わからない」
震える声の僕に、少々戸惑い気味に白石さんは返事をした。
「いつからだったのかしらね。多分、総会の時には多少意識してた。これまで他人なんか頼れたものじゃないと思っていたから、あの父兄に責められて、須藤先生が助けてくれなくて、正直あの時のあたしは絶望していた。
でも、そんな時にあなたはあたしを助けてくれた。そこからはいつの間にか、あなたを目で追うようになっていた気がする。意識するようになっていたのね。
あなたが他の子と遊びに行くと知ったら嫉妬したし、色目を使っていたらいっそ殺してあたしも死のうかと思ったりもした」
「こええよ」
「最後は冗談」
冗談だと微笑む白石さんに、僕は胸を撫で下ろした。本当、笑えない冗談はやめてくれ。彼女にヤンデレの素質がなくてホッとした。
「でも、だからいつかあなたが自殺しようとしていた時は本当に驚いた。いつもはあんなに優しいのに、その時は口調もどこか違って、切羽詰っているようで。
そんなあなたを、いつか助けてくれたあなたを助けたい。そう思ったの。多分、その頃からかも。この気持ちが恋心だと気づいたのは」
いつかの投身自殺未遂のことは、僕にとっても彼女を意識するきっかけであったわけだが。
彼女、優しいな。
半ぐれの僕を見て、助けてやりたいと思っただなんて。だからこそ、今僕も彼女に惹かれているのだろう。
「でもね、最近気づいたことがあったの。それは、あたしは結局いつも、あなたにおんぶに抱っこだったってこと。バンドの件なんて、あたしは結局あなたや皆がいなければ、マネージャーとしての仕事を遂行出来なかった。山田さんを平常心でライブに送り出すことも出来なかった」
「だから、生徒会長選挙は自力で、とか言い始めたんだ」
白石さんは黙って頷いた。
「今回の件で、あなたがいつもいかに色々考えて行動しているか実感させられたわ。到底及ばないとも思った」
「やけに饒舌だね」
「あら、好きな人のことを話すのに、饒舌になるのは当たり前だと思うけど?」
いたずらっ子みたいな笑顔で、白石さんは微笑んだ。君、いつかの動物園みたく性格変わってない?
「それだけ、あたしのこの気持ちは、多分本物なんだと思う」
神妙な顔を崩さない僕を見て、白石さんは俯いた。白石さんはそう言って、僕の左手を優しく握っていた。
彼女に手を握られたことを知り、僕は頬がほんのりと熱くなっていることに気がついた。
「鈴木君。教えて。あなたの気持ちを」
「僕の気持ち?」
「うん」
……僕の、気持ち。
『あたしの家で匿ってあげるから、そこで一日頭を冷やしなさいっ!』
そんなの決まっている。
『鈴木君、あなたに金言を授けます』
時に厳しい彼女に。時に優しい彼女に。時に笑いあい。時に励ましあってきた彼女に。
『だって、あなたがいるんだもの』
そんな彼女に抱くこの感情の正体を、僕はとっくの昔からわかっていたじゃないか。
『でも、やっぱりあたしは納得出来ない。君が犠牲になって得た結果なんて、これっぽっちも嬉しくない』
こんな感情を抱いたのは生まれて初めてだった。
こんな青二才な感情に感化され、振り回され、戸惑って、ふて腐れて。
こんなことは、生まれて初めてだったんだ。
照れて。悶絶して。でもそれが不思議と居心地が悪くなくて。
いつの間にか、ずっと一緒にいたいと思ったんだ。
他の人にこんな感情を抱いたことはなかった。
他の誰でもない、君にだから。
僕は君に。
君に……!
「好きだよ」
他でもない。
「好きだよ、白石さんのこと」
他でもない君だから、僕は今、恋をしたんだ。
「だけど、駄目だ。駄目なんだ」
……でも、駄目だった。
「どうして?」
「どうしても」
今の僕では、彼女にふさわしくない。
彼女はこれから、どんどん成長していく。それに比べて僕はどうだ。
成年した僕は、大人として未成年である彼女に模範となる姿を見せられているのか。
好意を持った彼女にふさわしい姿を見せられているのか。
答えは決まっていた。
今までの行動で、より明白になっていた。
恋愛感情に振り回され、彼女を傷つけた僕が。二十五歳の僕が。今の僕が。
彼女にふさわしいわけがない。
輝かしい未来溢れる彼女に、ふさわしいわけがないんだ。
成年し、アウトプットする立場になり、成長をやめた僕は、いずれ彼女に置いていかれてしまうんだ。
「……そう」
「ごめん」
「ううん。いいの」
白石さんの顔は、怖くて見れなかった。
今彼女がどんな思いでいいのと言ったのか、僕には図りうる術はなかった。
「待つわ」
「え?」
「待ってる。いつか、あなたがあたしの隣を歩いてもいいって、言ってくれる日を」
「そ、そんなの……」
僕は震える声で続けた。
「だ、駄目だ。駄目だよ。そんなの絶対に駄目だ」
何が駄目かとは、言えなかった。わからなかった。
「言ったでしょう。この気持ち、多分本物なんだって」
白石さんは、微笑んでいた。
「だから、待つ。だって、お互い好き合っているんですもの。だから、いつまでだって待つわ」
僕はもう、何も言えなかった。
何も言えず、白石さんに合わせる顔もなく、俯いていた。
「そういうわけで、明日からよろしくお願いするわね」
「え?」
「言ったでしょう? あたし、あなたの事が好きなの。この気持ちは、多分本物なの」
白石さんは立ち上がりながら、続けた。
「だから、少しでも長い時間あなたと一緒にいたい。だから、あなたは明日から生徒会書記なの」
「か、勝手に決めたの?」
「うん。よろしくね」
笑顔でそれだけ告げると、白石さんは僕を置いて帰っていった。
すっかり陽が沈み、暗くなった階段で、彼女の背中を見送りながら、僕は思う。
どうすればいいのか。どうすれば僕は、彼女にふさわしい人になれるのか。
答えは、わからなかった。
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