虚勢?
初日。フルーツポンチの売り上げは上々だった。
宣伝組をサボらせない作戦として軽はずみに提案した二百円割引チケットだったが、うまく機能したと思っている。多分他のクラスではやっていない試みだっただろうし、最低限の売り上げ確保にも繋がるわけだしね。お買い得心に付け込める良い作戦だったと思っている。四時を過ぎた頃には、閑古鳥だった最初と違って、数十人の列も出来るようになっていた。
その時に、「回転が速くていいねえ」と教頭が褒めてくれたと女子生徒一人が言っていた。やはり、その辺の方針も間違っていなかったみたいだな。
そして、二日目の今日。
今日こそが、僕達一年三組としても、そしてバンドの一員としても、正念場となる一日だった。
「おはよう、白石さん」
「おはよう」
今日の白石さんはあまり疲れている様子はなかった。昨晩、長らく格闘させられた衣装作りから解放されて、ようやくぐっすり眠れたのだろう。
「今日は大変な一日になるね」
「そうね。出店にライブがある。でも、とても有意義な時間になるとも思う」
「そうだね」
無言の時間が流れた。穏やかな時間だ。あまり悪い気はしなかった。
「彼女、大丈夫かしら」
「どうだろう」
彼女とは、十中八九山田さんのことだ。文化祭一日目。問題のライブがなかったにも関わらず、相当参った様子だった彼女。正直、僕もとても心配だ。
「しっかりサポートしてあげましょう」
「そうだね」
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二日目の出店は、初日と違い、朝から人が集っていた。
何を言うにも、『早い』、『安い』が効果を成しているように感じる。昨日の評判をそのまま引き継いで、二日目に突入した感じだ。あと、『うまい』かはわからない。フルーツは安物だし、そこは主観の問題だからね。
昼休み明けの最初の一時間、僕達バンドメンバーはクラスの出店の当番だった。
まるで繁忙時間のコンビニのように、調理係を担う僕の手が休まることはなかった。ああ、忙しい。これなら対価のあるバイトでもしていた方がましだよ。あ、こっちも一応対価はあるのか。打ち上げ費用と衣装代で全て償却されるけど。
「鈴木、缶詰の封切っておいて」
「うっす。そろそろ全部開けちゃうか」
出店終了まで残り二時間を切っていた。客足も順調に伸びているし、今の見込みだとフルーツポンチは無事完売しそうだ。後々の手間も省けるし、もう全部封を切ってしまおう。
僕はクーラーボックスに残った缶詰を取って、向こうのラインの人達に一通りの冷えた缶詰を渡すと、持ち場に戻った。
「もう開けちゃうの? 温くならない?」
「多少温くなっても、ここまで客入りが軌道に乗れば大丈夫だろう」
「そう」
山田さんは淡々と調理係の任務に当たっていた。昨日と違って、気持ちは落ち着いているようだ。
曰く、『凹んでいたら、そのまま飲まれそう。手を動かして忘れていたい』らしい。
彼女は昨日、自らのことを気が強い振りをしているだけ、みたいなことを言っていたが、一日経てばなんだかんだ乗り越えられるその姿を見た僕としては、とてもそうは思えない。
正直、先ほど白石さんと一緒に心配していたことが杞憂に終わり、少し損をした気さえしてくる始末だ。本当、頼もしい限りだ。
でも、
「チラチラ時計を見ても、余計緊張するだけだよ」
「う。わかってるんだけどね」
やはり平常心ではないらしい。山田さんが時計を見る時間が、どんどん増えていっている。この調理時間が終われば、僕と彼女達は体育館に移動する。つまり、ついにライブを皆の前で演奏してみせるのだ。
気が気でないのは僕もだが、演奏者である彼女のプレッシャーはそれ以上だろう。
「大丈夫?」
「大丈夫じゃない。口から内臓が飛び出そう」
「食品を扱っている時にそれは駄目だ。調理(盛り付け)をする気が失せる」
「サーセン」
ただ、こんな冗談を言える程度だし、恐らく大丈夫だろう。僕達は顔を見合わせて笑いあった。意外と、彼女とも意気投合出来た。前途多難だった最初からは想像も出来ない。
ライブ中は僕の方が緊張しそうだ。こうして仲が良くなった少女達が、自分の気持ちを歌に、演奏に乗せて伝える。例え少々拙かろうが、真剣さだけは人一倍強い少女達が奏でるその音に、僕は涙を我慢できるだろうか。正直、今にも泣けそう。大人になると泣き脆くなるよね。
順調にフルーツポンチも捌けている。これなら目標金額にも届きそうだ。
そうして、無心で二人で調理をしていくと、交代五分前。つまり、移動開始五分前まで時間が迫っていた。
「うう。吐きそう」
「僕も」
丁度手元にフルーツが盛り合わさったカップがある。ここに吐けばいいのではないだろうか。売り物にならなくなるけどね。
やはり時間が迫ってきたからか、山田さんの顔色も少しだけ悪い。
「大丈夫かい」
「駄目ー。駄目だー」
「良かった。大丈夫そうだね」
「おい、鈴木。後で覚えていろよ」
おお、怖い怖い。
「ただいまー」
再び二人で苦笑し合っていると、宣伝組である白石さん、安藤さん達が戻ってきた。
「おかえりー。首尾はど、う……」
見知った顔の帰還に、山田さんは気が緩んでしまったのだろう。誰も彼女は責められなかった。
ただ、運が悪かっただけなのだ。
運悪く、安藤さん達の方を振り返る拍子に、肘が缶詰にぶつかってしまっただけなのだ。
缶詰が滝のように机から滑り落ちていく。まずシロップが飛び散って、中身のパイナップルが浮いていき。そして……。
カランカランッ!
次々と、パイナップルの缶詰が床に叩きつけられていった。
「……あ」
全てがスローモーションに見えていた。でも、間に合わなかった。缶詰は中身ごと、無残に床に散らばっていた。
僕はすぐに気付いた。まずい。山田さんは……。
山田さんは、自分の仕出かしたことを察すると、見る見ると顔を青ざめていった。
お客も、接客係も、廊下の通行人も、もう二人いる調理係も、白石さん達も、皆が何も言うことが出来なかった。
「ごめんなさい」
静寂の中で、山田さんのか細い言葉が聞こえた。
「大丈夫。大丈夫だから」
「ごめんなさい。ごめんなさい」
両の目から大粒の涙を流す山田さんの背中を摩るも、震える彼女に宥めることへの効果はなかった。
ようやく周りの群集も、何が起きたかを察して、動き出した。
「瑠璃ちゃん。しょうがないよ。事故だよ」
「でも……」
「ごめん。落ちたフルーツをゴミ箱に捨ててくれない?」
「ええ、わかった。二人とも、手伝ってくれる?」
先ほどまでとは一転、急に慌しくなる教室内で、山田さんを宥めるべく、安藤さんは声をかけ続けていた。
僕は一瞬何をするべきか躊躇ったが、とにかく状況を確認しようと無事なパイナップル缶がいくつ余っているかを確認した。ひっくり返したパイナップル缶は、幸いなことに一ライン分。つまりもう一つのラインは無事。ただ、それでは到底、二百五十杯分のパイナップルを賄うことは出来ない。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
「大丈夫だよ、瑠璃ちゃん」
僕は、背後で涙を流す山田さんの存在に気付いた。必死に安藤さんが宥めるも、効果はない。
まずいことになった。
まさかライブ直前の一番大事な時に。クソ。
「山田さん」
僕は膝から崩れて涙を流す山田さんに目線を合わせて、両肩を掴んだ。
涙を流す山田さんと目が合った。こんなにも弱気な彼女の目は、これまで見たことがない。
真剣な僕の眼差しに気圧されて、山田さんは目を逸らした。
「山田さん、まずは僕の目を見てくれ。そして、落ち着いてくれ」
中々目を合わせようとしない山田さんだったが、しばらくして観念したのか、視線がぶつかった。
「山田さん、君は今、してしまったことへの罪の意識でとても辛い気持ちだと思う。でもこれだけははっきりさせたい。これは君が悪いんじゃない」
「そんなの……」
「いいや」
僕は首を横に振った。
「これは僕のせいだ。効率と宣伝を重視するあまり、缶詰を開ける係を設けなかった。おかげで調理係がその役を担うことになって、今回みたいな事故を生んだんだ。一人の仕事が増えればミスが増える可能性があるのは当然だった。それを懸念した上で良しとして強行した。だから、君は何も悪くない。悪いのは僕だ」
後ろでせっせと皆が落としたパイナップルを片付けてくれていた。少しづつクラスメイトの数も増えていく。丁度交代のタイミングだったのが幸いした。とにかく、少しでも彼女の気を静めなくては。
「山田さん、今の君はそれどころじゃないと思うけど。けど、聞いてくれ」
僕は息を大きく吸って、続けた。
「君は体育館へ行ってくれ。君はそこでやらなければならないことがあるだろう」
「でも」
「もう一度言うけど。今回の件、君は何も悪くないよ。管理者側の不行き届きだ。だから、行ってくれ」
「でも、でも……!」
「ライブ、成功させたいんだろ」
少しだけ強い口調で僕は言った。
「『余計な遠慮はするな。君は目的のために尽力しなさい。僕達がきっちりサポートするから』。いつか僕は、君にそう言ったね」
「……」
「ここは僕に任せてくれ。大丈夫。ライブが終わった時には、全てマルッと片付けた姿を見せてやるよ。大丈夫だ。任せてくれ」
微笑みながらそう言うと、彼女は両目の涙を拭いながら、何度も黙って頷いた。
「安藤さん、白石さん。……あと平田君、悪いけど、君の当番代わるから、彼女達に付いていってあげてくれ」
「え、僕ですか、先生?」
名指しされたことが大層意外だったのか、目を丸めて平田君は言った。
「だから、先生は止めろって」
僕はそう苦笑して、山田さんに向き直った。
「ほら、想い人と一緒に体育館まで行って、励ましてもらってきな」
耳元でそう囁くと、間近にある彼女の顔に熱が篭るのがわかった。キザな真似をしたとつくづく思った。でも、これで立ち直ってくれれば儲け物だと思った。
僕はゆっくりと山田さんを立たせると、彼女の身柄を白石さんに引き渡した。
「こっちは任せてくれ」
「ええ、お願い」
少しだけ緊迫した白石さんの顔に、僕は苦笑した。
「皆も、お客様の方々も、お騒がせて申し訳ございません」
僕は頭を下げて言った。
そんな僕の対応をチラリと見て、白石さん達は教室を後にしていった。
「さあ、交代の時間だね。他の休憩の人達も楽しんできてくれ。で、当番の人たち、悪いけどちょっといいかな?」
僕は手招きして、未だ動揺するクラスメイトを呼び寄せた。
「鈴木、これどうするつもりだ」
○ケモンゲーマー、倉本君が神妙な顔で聞いてきた。
「大丈夫。たいしたことじゃない」
「大したことないって。これじゃパイナップル足りなくなるだろ」
「ああ、だから無くなったら、百円値下げする。ポスターのコピー、まだあったよね」
「お、おお」
僕は貼り場所のなかった平田作のポスターに落書きを加えていく。大きく書かれた値段に二重線を引き、百円値引きした価格へ。
そして、『パイナップル』の記載に線を引き、『御好評につき完売』と書いた。
「完売って、一つだけそうなるのはおかしいだろ」
「そうかな。学園祭は学生が準備から手配から調理から全てやるんだ。見通しが甘くてもなんら不思議じゃない。それに、多少のミスも値段を下げれば納得してもらえる」
「た、確かに」
「宣伝組。パイナップルが無くなったら随時連絡するから、そしたらこのポスターを一斉に貼りかえるなり、訂正の文言を書いてくれ」
「わかりました。ただ質問があります」
「何?」
「これ、どうするんですか?」
女子生徒が差し出したのは、宣伝効果を見込むために作った『二百円割引券』だった。
「いいよ。残りの分も全部配ってくれ」
「いいよって、それじゃ大損食ったりするんじゃないのか?」
「大丈夫だよ」
僕は微笑んだ。
「採算は取れている」
そう言えば皆が納得することはわかっていた。
「さ、そしたらすぐに仕事へ取り掛かろうか!」
気を取り直すように、僕は両手をパンッと叩いた。少しだけ反応が遅れて、皆が行動を始めた。
僕は脳内で電卓を打ちながら、額に一筋の汗を流していた。
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