どうして僕は死んでしまったんだ

 途中、というか、初めから変な空気を醸し出していた元同僚との買い物は、一応無事終わった。安藤姉の進言もあって、僕は二人に日頃のお礼を込めてエプロンを贈る事にした。


 安直すぎやしないか、と疑問に思いもしたが、


「こういうのは、あんまり高い物じゃない方が喜ばれたりするの。高いと、それだけで遠慮したくなるでしょう?」


 割とためになるアドバイスをもらって、それにしようと決めたのだった。

 その後は何てことはなかった。著名作者の新刊小説を買いたいからと、明治通りと東栄会本町通りの丁度境にある九階建の本屋に行ったり。その先にあるラーメン屋に行ったり。

 たまの休みを元同僚と楽しんだ。


「いやあ、それにしても鈴木君。昼ごはんのラーメンはナイスチョイスだったよ」


 安藤姉のお褒めに預かった。彼女がラーメン好きであること。女一人ではラーメン屋に入り辛いと考えていることは、元の体の時から知っていることだった。

 喜んでくれたのならば、こちらも嬉しい。


「当分、実家にいるんですか?」


「うん。まあ、仕事が見つかるまではね。両親の目が冷たくて、結構居心地悪いんだよねー」


「それはお気の毒に」


 大学の友達で実家住みの奴も似たようなことを言っていた。大人になると、やはり色々と家庭内でもトラブルが発生しやすいんだな。


「一人暮らししたら、住所教えてあげるよ」


「またあらぬ誤解をされそうなので、大丈夫です」


「あらぬ誤解?」


 丁重にお断りすると、突っかかられた。


「皆、僕のことをナンパ野郎みたいに言うんです。誑かすな誑かすなって、こっちはそんな気更々ないのに」


「そりゃ、鈴木君が悪い」


「何でそうなる」


 即文句を言うと、安藤姉は笑い転げた。


「だって、いじり甲斐があるんだもん。こんなにいじり甲斐がある人、私はこの世で二人しか知らないね」


 言ってから小さく、あ、一人はもういないのか、と安藤姉は付け足した。

 どうやらそのいじり甲斐のある人。どう転んでもこの世で一人しかいないらしい。僕か、僕か、はたまた僕だ。


「ほら、もう帰りましょう。明日面接に行くんでしょう? しっかり準備しないと」


 買い物の中で聞き出したことだ。彼女、明日面接らしい。それなのに、今日夕方までつき合わせてしまったことを、少しだけ申し訳なく思っていた。


「いいよ。そんなの話すだけだもん」


「話すだけって、仕事は準備で八割が決まるんですよ」


「へえ、詳しいね」


 あ、しまった。

 こんなこと言って、生意気とか絡まれたら面倒だなと思っていた。


 安藤姉は、


「君は本当に先輩みたいだね」


 その場に佇んで、微笑しながら言っていた。


「はいはい。それも聞き飽きまし……た」


 振り返って彼女の顔を見た僕は、言葉を失った。

 安藤は、まるで懐かしいおもちゃでも見つけた時のような優しい瞳で、優しい笑みで、涙を流していた。


「君が先輩だったら良かったのに」


 安藤は呟いた。

 もし、ここで僕が全てを打ち明けたら、彼女は信じてくれるだろうか? 全てを信じて、僕を受け入れてくれるだろうか。

 わからない。

 僕にはもう、何もわからない。

 僕がどうすればいいのかも。

 彼女をどうすれば泣き止ませられるのかも。


 もう、全てがわからなかった。


「さ、帰ろう」


 固まってしまった僕に、安藤は微笑んで言った。

 僕は、彼女の後を追うことしか出来なかった。


 後悔しかなかった。

 どうして僕は死んでしまったんだ。どうして僕はこの体に取り憑いてしまったんだ。


「……あ」


 どうして、僕はこの体に……?


 そうだ。

 そうだ。そうではないか。


『それで翌日になっても、やっぱり先輩の姿がない』


 安藤曰く、僕が死んだのは四月七日の翌日。つまり四月八日。

 でもおかしい。




 その日僕は既に、この鈴木高広の体での生活を始めていたではないか。


 その日には、僕の体は既に抜け殻だったはずなんだ。だから、連絡が取れないことはあっても、電車に飛び込むことなんか出来っこない。

 なら、何で電車に飛び込めた。

 しばらく考えて、僕は一つの理由にたどり着いた。

 

 もしや僕の体には、この体の持ち主、鈴木高広が入っていたのではないのか。

 僕はこの体に取り憑いたのではなく、鈴木高広と精神が入れ替わっていたのではないのか……?


 ならば。

 ならば……!




 僕の体を使って自殺したのは、鈴木高広なのではないのか……?

 そうだ。そもそも彼は、僕と一緒に線路に落下したあの日。電車に身投げし死のうとしていたではないか。

 慌てて僕は、鈴木高広のスマホをポケットから取り出した。そういえばこのスマホ、初めて使う時にパスワードがかかっていなかった。最近の子にしては無用心なんだなと思ったが、今にしてみれば全てがつながる。




 彼はこのスマホを、誰にでも見られてもいいようにパスワードを解除したんだ。

 どうしてそんなことしたのか。

 死を間際にした人が、わざわざ誰かに見せる物。そんな物、ただ一つしかありはしない。

 僕はスマホにインストールされているアプリを設定から全て確認していった。


「……これ」


 その中に一つ。

 インストールしているのに、ホーム画面に配置されていないアプリを見つけた。


 少し手が込んでいるようにも思えた。でもアプリを確認すると、そうとしか考えられなかった。


 そのアプリとは、『メモ帳』。


 僕はそのアプリを起動させた。アプリは彼が使用した痕跡が残されていた。一件、書きとめたメモがある。

 件名は……。






『遺書』

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