第30話
翌日、まるで昨日の発熱が嘘のような、爽やかな笑顔でナツは教室へ登校して来た。
「やあ、今日もいい朝だねソラ」
「今日は顔色が良いな。おはよう」
「おはよう」
ナツは挨拶を返した後、自分の席に座る。そしてひとつの本を取り出した。本というよりも雑誌だった。なんの雑誌だろうかとソラは少しだけ気になった。というのも――。
――昨日から“雑誌”に縁があるな。と思っていたからだ。
「……気になるのかい、この雑誌」
「えっ」
「これはね、ピアノの雑誌だよ。妹が入院した時に買ってきたんだ。捨てようと思ったんだけど、妹が僕の為に珍しく差し入れてくれたから捨てきれなくて」
「そ、そうか」
「うん。昔はピアノ好きだったからね、つい読んじゃうんだ」
ある種の職業病だよねー、とナツは苦笑する。自分では気付いていないと思うけれど、その雑誌を読んでいる時の彼の顔は、ソラから見れば心から笑っているようだった。
心の底から好きだったのだろう。だからこそ、彼はピアノから――母親からは逃れられない。その事実を察した時、ソラは何故か心が空しくなった。
「……ソラって、感情がコロコロ変わって面白いね。見ていて飽きないよ」
「人が悩んでる顔を見て、それ言うか」
「……。それはごめんよ。で、何に悩んでるんだい?」
悩み――昨日の件のことはどう相談すればいいのか。相談するべきなのだろうか。いや根本的には彼が大いに関係しているのだから相談しなければならないのだが……。意を決し、ソラは口を開いた。
「……あのな。この間投稿した体育館掃除の動画があるだろ」
「あーあれね。僕も昨日見たよ。面白かった」
「いや、うん。そういうことじゃないけど、ありがとう。で、その動画のコメントに、その、またお前の名前がだな」
「載ってたんだね」
「載ってるだけだったら、まあ、良かったんだけどな……」
「?」
「――この人知ってたりするか?」
ソラは動画のコメントにあったあの記者、夏目紘人の名前を表示する。
「なつめ、ひろと……。どこかで聞いたことある名前だな」
ナツはいつになく真面目な表情で考えている。程なくして「あ」と一言発し、今読んでいた音楽雑誌のページを
「ソラ、ここ見て。夏目紘人って書いてあるよね?」
「本当だ」
「そっか。昔、この人に一度だけ取材を受けたことがあるのを思い出したよ」
「えっ」
衝撃だった。
そうだった。ナツは小学生時、天才ピアニストと呼ばれており、あの倒れた日以降、入院先でもピアニストとして活動していた時期があった。音楽会で有名だった彼が入院してまでもなおピアノを続けているというそのドキュメンタリーはたちまち業界で話題に上がったことだろう。取材の1個や2個、来たって可笑しくない。忘れていたが彼は有名人なのだ。
「この人結構しつこくてさ。でも、入院してる時も何回かお見舞いに来てくれてたりして良い人だったんだけどね。……そういえば、いつの間にか来なくなったな」
「そっか。実は、アナザーデイズで取材を受けないかって話をされたんだ。もし、お前さえ良ければ、その……この話を受けようと思うんだが……」
「…………そんなこと……」
「え?」
ナツはポツリ何かを呟いた後、この話について真剣に考え始めた。
5分経った頃だろうか。ナツが「うん」と首を縦に振った。
「いいよ。アナザーデイズを宣伝できる良い機会じゃないか。それよりも!」
「!」
ナツがソラの目の前に移動、したかと思えば勢いよくソラの目線に人差し指を差し出した。ソラは思わず驚いた。
「君は僕のことを気にしすぎだよ。僕のことを多少知っているようだけど、君は君がやりたいことをやればいいのさ。それに乗るかどうかは僕が決めることだ。君は自由でいいんだよ?」
“自由で”――その言葉を聞いた時、ソラは何故だか目頭が熱くなった。
何よりも、誰よりも、その自由を求めていたのはナツ本人だったというのに。
「……分かった。じゃあ、今日連絡しておく」
「よろしく。あ、カイくんとリクくんにはこの話伝えたのかい?」
「まだだ」
「話を進めるのは、彼らに伝えてからにしなよ」
悪魔のような笑顔を向けた後ナツは再び雑誌を読み始めた。……なんだかんだ言って面倒見良いんだよなこいつ、とふとそんなことを思ったソラだったが、そういえば以前3つ年上だということをさらっとカミングアウトされたことを思い出した。それに彼には妹がいる。兄としての素質が自然と出ているのだろうと、ソラは自己完結した。
昼休憩になり、さっさとナツはいつもの屋上へと行ってしまった。一緒に行こうと思ったのだが今日は生憎と弁当が無い。仕方なくソラは購買で何か買ってから屋上へ向かうことにした。
1階へ降り、購買部へと向かう。高校時代滅多に使うことが無かったため、どのパン・おにぎりが美味しいだとかそういった印象が少なかった。仕方がない。とりあえず菓子パンあたりでも買っておけば間違いないだろうと商品に手を伸ばすと誰かの手が触れる。誰だと思い横を確認するとそれはカイの手であった。隣にはリクもいた。
「なんだ。お前らか」
「なんだってなんだよう。手が触れた瞬間に“これって恋?”って思えよ!」
「なんで逆ギレなんだよ!」
「この学校にそれを求めたら終わりだよ」
「うわー、リっくんが辛辣だよー」
「普通のことを言っただけなんだが。先に行くから」
リクは菓子パンをひとつ取りさっさと購入して行ってしまった。
「……リクって、たまに淡白だよな」
「うん。機嫌損ねさせたらやばいタイプだよね」
ソラとカイは二人見合わせて頷き合い、菓子パンを購入し一度教室へ戻る。既にリクが戻っていることはなんとなく想像できていたが何故かナツがそこにいた。
「……えと。屋上にいたんじゃ」
「もう外で食べれるわけないでしょ。暑過ぎだし。クーラーが教室にあるって素晴らしいね~!」
内心、ソラはほっとした。
確かに、最近になって気温も急に上がってきた。あのまま屋上で食べていたらと思うとぞっとした。見た目は普通の男子高校生でも、彼の体はそこら辺の人とは違いデリケートなのだ。
「そういえば、次の動画は何を撮ろう? 何か考えてたりする?」
「まだ何も決めてない」
「ぼく、夏っぽいものがやりたい!」
「この前もしてたけどね」
「いいの! 夏はやりたいことが尽きないの」
「あのさ」
楽しそうに会話をしていたカイとナツに申し訳なさそうにソラが介入する。カイが首をかしげてこちらを窺っているが、ナツはきっとこの後なんの話を切り出すのか、分かっていたのだろう。笑顔だった。カイとリクは突然いつもとは違う感じで話しかけたソラに対し、少し違和感を持ったのか顔を見合わせていた。
「実は……アナザーデイズに取材の連絡が来たん、だけど……」
そのワードを言った瞬間、カイはいつも以上に瞳をキラキラとさせ満面の笑みを浮かべた。リクも普段の5倍は目を見開き驚いた様子だった。
「本当⁉ やったねソラちん‼」
まるで自分の事のように喜ぶカイ。間違ってはいないが少しだけ申し訳なくなった。
「いや、違うんだカイ。確かにアナザーデイズの取材ではあるんだけれど」
「……建前。本当はナツくんに取材が来てるんだね」
リクが確信をついてきた。その勘の良さには驚かされる。
「凄いじゃん! ナツくんに取材だなんて。ぼくはどっちでも嬉しいよ!」
その笑顔が逆に苦しいものに見えてしまう。
「で、受けてもいいか二人にも意見を聞きたくて……」
「ぼくは全然いいよ! 大歓迎さ!」
「オレも大丈夫。ソラもナツくんもいいなら何も言わない」
本当にこの二人は出来た友達だ。苦しく見えるのはどこか寂しい気もするが、それでも友達でいてくれる二人には頭が上がらないソラであった。
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