第26話
とても清々しい気分だった。いつ死ぬかもしれないこの体で、今日を生きて、明日の約束をする。
以前のナツであれば絶対にしないことだ。
――楽しいんだ久々に。どうしようもなく。
その日、ナツは夢を見た。カイが手持ち花火をしていて、それをリクが撮影している。そしてそれをソラが缶ジュースを飲みながら眺めているという光景。だが、何故だか彼がソラだということを、脳では理解できているのに、どうしてだろうか夢の中の彼は凄く年上に感じた。
所詮はただの夢。でも彼らを見るソラの目はなんだか、年の離れた兄のようで。どこか彼らのことを懐かしんでいるように見えた。不思議だった。ソラに大人の面影が重なる。夢だとしてもその光景が妙にリアルだった。
目が覚めて、ぼーっとする。起きる前までは覚えていたはずの夢の内容がすっぽりと消えていた。なんだか不思議な夢だった気がするのだが、思い出せない。
「……なんだったっけ」
「お。起きてたか夏人。……うん。顔色も、悪くないな。今日も登校OKだ」
唯一郎が朝食の準備をしていたのかエプロン姿で起こしに来た。ナツは寝ぼけながらいいにおいのするリビングへと向かう。キッチンでは慣れない料理をしている唯一郎が目玉焼きを焦がしていた。いいにおいだと思っていたものが一変して焦げ臭い。ナツはそれが面白かった。
朝に起床して“生きている”と思うことがここ一週間無くなった。これが良いことなのかどうなのかは分からないが、心にあった重圧のようなものは軽くなった。
「……ねぇ、唯一郎さん」
「んー?」
「ピアノの楽譜って、この家にはもう無いよね」
この家には立派なグランドピアノが居間にあるが楽譜は無いらしい。いや、ナツは自分で捨てたことを思い出した。
「そうだなぁ、無いと思うなぁ」
「そうだよねぇ」
「……なんでそんなことを聞くんだい?」
「ちょっとね。友達が聴きたいらしくて。楽譜があったら少し練習しておきたかったなって思っただけ」
「……そうか。あったかなー?」
「あ。無いならいいんだ。うん」
朝食(といってもナツが食せるのはヨーグルトなどである)を終え、学校へ登校する支度を済ませる。時計を確認すればまだ少しだけ時間があったのでナツは居間に向かいピアノを覗きに行く。
「どうやってこんなものこの部屋に入れたんだ」
小さい頃に何回か触ったことのある年期の入ったピアノだった。今は
だが今日は触れない。あと3分したら家を出なければ学校に遅刻してしまう。
今まで人生から遠ざけてきたピアノだったが、今は触りたくて仕方がない。
――いよいよ頭までイカれたかな。
そんな思考に行きついたことに、ナツは笑いか止まらなくなった。
教室に入ると、ソラが英語の単語帳をパラパラ眺めていた。カイに至っては穴が開くんじゃないかというくらい食い入るように見ていた。
「ソラ、おはよう。何してるの」
「ああ、おはよ。英単語の小テストが1時限目にあることすっかり忘れててさ。今覚えてるんだよ」
「そうなんだ。僕もそれは知らなかったな」
「まあ、今までやってる単語だから大丈夫だとは思うけどな」
「ふぅーん……」
とはいえ小テストのことなんて知らなかったのは事実。とりあえずは――
「ねぇ、カイくん一緒にやろうよ。一人より二人の方が早く覚えられるよ」
なぁんて、冗談半分に誘ってみる。しかしカイはとても純粋で良いやつだったことを忘れていた。教科書から顔を勢いよく上げ、キラキラとした目でナツを見た。
「本当……⁉ やろう! 今日さえ乗り切れれば当分大丈夫なんだ!」
「いつも何かしらの教科はギリギリなんだね、カイくんは」
「ソウナンダヨネ……いや、面目ない!」
「いや。僕に言われても。」
「あ、それもそうだね」
あははっとカイが笑う。つられてナツも笑う。5分程単語を覚えた後、小テストの本番を迎えたのだが、カイはとても肩を落としていた。どうやらあまり出来は良くなかったらしい。
「ちゃんとやればできるやつなんだけどな」
いつの間にか彼らのたまり場となっている屋上にソラとナツがいた。今日もナツはジュースを飲んでいる。グレープフルーツ味のそのジュースは甘いが少し口に含んだ後に苦みが追ってくるところがとても魅力的だった。今日はそれだけではいけないと思ったナツはいつもは買わない同じ味のゼリーを購入していた。
「カイくんって、一瞬の記憶力はいいのに3分しかその持続力無いよね。なんだか某3分間ヒーローみたいで好きだな」
「ぶっ」
「そう思わない?」
「そう言われれば思うな。……そういえば今日はゼリーも買ってんのな」
「うん。まぁ。健康を意識して?」
「なんで疑問形なんだよ。もっと食え。そしてもっと太れ?」
「努力はするよ」
確かに痩せているとは思う。でも痩せていても死ねないのだから、生きているうちは『動ける=まだ死ねない』という考え方だ。
――きっとソラにはこういう考え方、嫌な感じに見えるんだろうな。
ナツはちょっとだけ、哀しくなった。
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