第9話
受話器を取るナツのことをソラはドライヤーで濡れた制服を乾かしながら横目に見ていた。先程まで躊躇っていた彼とはまるで別人のように見えた。どうして家に電話することがそれ程までに嫌なのだろうか。何か家で嫌なことがあって、家族との間に確執が出来てしまい、電話をしづらい状況にいるのだろうか。もしそうだとしたら無理に電話することはない。だが、美舟がナツに何かを告げた後、ナツは電話を掛け始めた。
――ばあちゃんって、昔から人を変える謎の力持ってたよなあ……。
思えばいつだって、看護師であった彼女は他人のことをしっかりと受け止めて優しい言葉をかけていた。その言葉をかけられた人たちはみんな次の瞬間には“生きる目”をしていた。それが小さい頃のソラにとって不思議なものに見えていたのをソラは思い出した。
「ソラ、何を覗き見してるんだい」
「んー。……やっぱ、すげえなって思って」
「? 何が?」
「別に。ばあちゃんの言葉がさ、いつも誰かを救ってるんだって思って」
「そんな力なんてないさ。動こうとした夏人くんの力だよ」
確かに一理ある。だからこそ美舟の言うことは凄くて力強いのだと再確認した。ソラは適当に相槌を打ち、乾かした制服を庭の物干竿に干すと、台所に向かい冷凍庫に入っていた吸うタイプのアイスを半分に割り片方食べ始めるのだった。
3コール目で電話がつながる。ナツに緊張が走った。
「…………あ、ごめん唯一郎さん。うん。大丈夫。今、知り合った子の家にお邪魔してて……。うん。まだあれは来てないから、うん」
ナツの周りの空気が少しずつ暗いものから明るいものになっている……気がする。ソラはもう片方のアイスを食べ始める。中身は若干溶けていてジュースのようだった。それもまた美味しい。
「……あー、うん。ちょっと待って。ソラ」
「え⁉ げほ、えほっ」
完全に気を抜いていたおかげでジュースと化していたアイスが変なところに入った。クリティカルヒットだ。物凄くむせる。咳が数秒だけ続いた。
「ごめん。大丈夫?」
「ゔ、うん。なに?」
「唯一郎さんが、えと、僕の叔父がお礼言いたいんだって。代わってくれる?」
わざわざいいのに、お礼とは。律儀な人だなと感心する。
「もしもし。お電話代わりました」
『あー! どうもどうも。うちの夏人がお世話になっているようで。いや~家に携帯が置いてあるものだから連絡のしようが無くて! ほんと助かったよ、ありがとう』
携帯を家に? ――ということは、やはりナツは自殺をするためにあの川に入っていたのでは……という考えたくもない嫌な想像がソラの脳内にぽつぽつと浮かんだが、今彼を問い
『それでね、悪いんだけど住所を教えてほしいんだ』
「え。なんならもう遅いし、うちに泊めてってもいいですけど」
『これ以上はご迷惑も掛けられないし、明日彼は忙しいものだから』
「そ、そういうことなら」
ソラは戸惑いつつ、唯一郎に住所を教えた。
もし、叔父の家に帰したことがきっかけでナツが死んでしまったら、と考えてしまう。
だが、現実どうだ?
10年前のナツはこの出会いから約3か月後に亡くなる。“今日”ではないことにひとまず安堵する。ソラは当時のことを思い出していた。
10年も前の話だから、彼の最期をすっかり忘れてしまっていた。しかし……。もしもこの今が本当に10年前の二度目なのだとしたら、ナツの3か月後が自分の選択によっては無くなってしまう可能性だってなくはないのだ。もしかしたら3か月以上生きることだってあるかもしれないし、逆に3か月未満の間に死んでしまうかもしれない。全てはここに掛かっているのだとソラは考えた。慎重にならなければ運命は変わってしまう。
良いようにも、悪いようにも。
『ああ、近いね。教えてくれてありがとう。30分くらいで着くと思うからそれまでよろしくね。あ、最後に夏人に代わってくれるかな?』
「はい。ナツ」
「うん?」
「叔父さんがナツに代わってほしいって」
「わかった。……もしもし?」
代わった瞬間、またナツの表情が曇っていった。いったい、どんな話をしているのだろう。しかし今考えたところで彼の心境など、彼自身にしか分からないのだ。考えるだけ無駄だと判断した。ナツのことに気を取られてしまい、ソラの食べていたアイスは半分まで食べ終わっていたが、残りは案の定、全て溶けきってしまっていた。
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