第1話
2020年9月。
昔につるんでいたメンバーの中で一番最後に結婚をするという彼を、かつての仲間たちはゲラゲラと笑いながらも祝福した。
現在ソラは結婚の報告会も兼ねて実家へ帰省していた。友人たちに会って楽しんだ後、残すところ親戚への挨拶のみとなった。
ソラは高校の頃まで暮らしていた都会より少し離れた
「じいちゃん、ただいまー」
田舎特有なのか、いつまで経っても鍵を掛けない祖父の家。古びた木のにおいがとても懐かしく感じる。玄関先で靴を脱ぎながら待っていると奥の部屋から祖父の魚波新太郎が出迎えに来る。
「おうソラ、よく帰ってきたなあ」
「んー。ただいまじいちゃん。久し振り」
「久し振り。ばあさんにも挨拶してやれ」
「分かった」
靴を脱ぎ居間に向かう。居間には3年前に亡くなった祖母、
「ただいま、ばあちゃん」
飾られている写真立てにはキリリとした表情の美舟がまるでこちらを睨み付けているかのようだった。厳しかった彼女にはちゃんと自分の口で直接結婚の報告をしたかった。などとソラが考えていると後ろから名前を呼ばれる。
「ソラよ、奏子さんはどうした」
「今日は仕事休めないらしい」
「そっか。看護師さんだものなあ。お医者さんと言ったらソラ、雅治には会ったのか?」
「会ってない。忙しいみたいだ。こっちに来たことは、連絡したけど」
「そうか」
仲が悪い、と言ってもソラの一方的な反抗と言った方が正しい。特に高校2年の夏の頃は誰が見ても荒れていた。ソラはふと当時を思い出して恥ずかしくなり顔に手を当てた。
「……そういえばソラ」
「ん?」
机の上に置いてあったみかんを頬張りながら見ていたテレビから視線を外し新太郎の方を向く。彼の手には見覚えのないスマートフォンが一つ握られていた。結構前のモデルだろうか。しかも保存状態が良い。使われずにずっと仕舞われていたものだろう。
「なにこれ。10年前くらいのモデルだよね。そんなの持ってたっけ」
「違う違う。これはワシのじゃないよ。もらったんだと、ばあさんが」
誰に……と、言いそうになった。でもその言葉は無意識のうちにソラの心の中へと飲み込まれる。何故だかソラはこのスマートフォンを初めて見たはずなのにとても懐かしく感じた。だからだろうか。このスマートフォンの中を見てしまったら自分の中で何かが起きてしまうのではないだろうか、と鳥肌が立つ。まるで今まで封じ込めてきたものが溢れ出てしまいそうな、そんな感覚がソラの記憶に触れた。
「ばあさんがな、10年くらい前にもらったらしいんだが、誰からもらったのか分からんくてなあ。せめて中身が分かればと思ったんだが、どうもじいちゃんはこういうのが苦手でなあ」
「多分、充電すれば開けると思う……けど。誰にもらったんだよ本当に」
リビングのどこかにずっと前に使っていた充電器があったはず。ソラはテレビの棚の引き出しを開けて探してみる。何を隠そうこの家を出てから10年以上も経っている。記憶が曖昧だが今は探すしかない。
「誰と言っていたかなあ、ばあさんは。確か……星川さん、と言っていたかなあ」
その瞬間、ソラの心臓が大きく鳴った。その名前を聞いたのは実に10年振りだった。
「星川って……、星川夏人のこと?」
「おー、そんな名前だったかなあ」
「なんでばあちゃん、夏人のこと」
「ばあさんが言うにはな?」
このスマートフォンを受け取ったのは美舟だったらしく、聞くところによれば、色の白い青年が10年前この家にやってきて、こう言ったそうだ。
『もしソラくんがここに戻った時、これを渡してほしいんです。“結婚する時に見てほしい”と、伝えてください。僕には、直接言う時間も……権利もないので』と。
その時の彼はとても可哀想な表情をしていたらしい。
ソラには、現在までの27年間生きてきた中で一度、自殺を考えるくらい悩んだ“後悔”がある。大切な仲間とケンカ別れをしてしまったことが理由だった。その後悔を思い出さないように今までその記憶は心の扉の奥に仕舞っていたはずなのに。
このスマートフォンを見てから、彼のことを思い出してから、ソラの中で何もかもが溢れ出てしまった。
夏人――こと、ナツはどんな想いだったのだろう。
どうしてこれを渡したかったのだろう。
ソラはただただこの小さな電子機器を見つめることしか出来なかった。
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