血まみれの追放聖女は断頭台の夢を見るか？

臆病者の僕と血まみれの彼女

婚約破棄

「フェレティング・ポクリクペリ公爵令嬢。『戦場の天使』と呼ばれていい気になっているようだが、ろくに役にも立たないくせに、至るところで兵士たちを咥えこんでふしだらな行いに及んでいたそうじゃないか。

　聖女を名乗るもおこがましい。お前のような汚らわしい奴を王室の一員に加えるわけにはいかん！お前の不貞により婚約は破棄だ！！」

　僕は執務室に呼び出した婚約者にソファも勧めず高らかに言い放った。僕の隣にしなだれかかるように座ったルーレル・カーラミット侯爵令嬢が悲しげな伏し目で僕に続けて嘆いてみせる。

「わたくし残念ですわ。五年もの長きにわたって前線で兵士たちを癒し続け、魔術砲兵一個大隊に相当する、五百人以上もの負傷兵を救助した聖女様に尊敬と憧れの念を抱いておりましたのよ。

　それなのに実態は何のつとめも果たさず、片端から兵士を寝所に引っ張り込んでは男遊びにうつつをぬかしていたなんて。とんだ聖女、いや性女ですこと」

　わざとらしく口元をおさえて涙ぐむその表情は醜く歪み、隠し切れない嘲りと愉悦が浮かんでいる。お世辞にも美しいとは言えない表情だが、実に人間らしい。

　……少なくとも、僕の目の前の彼女に比べれば。

「かしこまりました。婚約破棄は謹んでお受けいたします。

　ただし、不貞については心当たりがございません。わたくしがいつ、どこで、誰と不貞に及んだというのか。当然、証拠はおありですね？」

　平坦な声で答えるフェルの整った容貌（ようぼう）からはおよそ人間らしい表情が抜け落ちていて、まるで人形か機械のようだ。

　かつては宝石のように美しかった碧の瞳は底知れぬ空洞のように虚ろで、視線は合っているのに何も見ていないように感じる。暗緑色の軍礼服をかっちりと着込み、ほとんど丸刈りと言ってよいほど短く刈り込まれた銀髪と相俟って、中性的……を通り越して無生物のような印象だ。左目付近に残った大きな傷痕が、なまじ整った美貌だけに余計に生々しく際立って、正視できずに目をそらしてしまう。

　銀糸のような癖のない髪に透き通った碧玉の瞳。儚げな美貌に柔らかな微笑をたたえ、誰にでも穏やかに礼儀正しく接する彼女は理想の令嬢……いや姫君だった。あの典雅で美しかった彼女は、いったいどこに消えてしまったのだろう？

「黙れ、この淫婦めっ！婚約破棄を告げられても涙の一つも零さず、私がルーと睦まじくしていても嫉妬する素振りすらないっ！これこそ貴様が男遊びに耽っている動かぬ証拠だっ！！」

　彼女の無機質な表情に気おされている事を気取られまいと、ここぞとばかりに声を張り上げ怒鳴りつけるが、フェルは顔色ひとつ変えることはない。

「お話になりませんね。とりあえず本日は父に報告して、手続きを進めねばなりませんのでこれで失礼します。

　陛下への報告は殿下からお願いします」

　以前の彼女なら、こうやって怒鳴りつければ戸惑ったような顔で丁寧に誤解を解こうと柔らかな声で弁明を始めたに違いない。こちらが聞く耳持たなければ、あの美しい碧玉の瞳を潤ませて、じっと僕を見つめて信じて欲しいと訴えかけたはずなのだ。

　彼女は全くの別人になってしまった。おそらく、僕の身代わりとしてあの泥沼の戦場に送り込まれてしまったその時から。

　かつり、と軍靴の踵を鳴らし、肘を張らずに顔の正面で腕を垂直に立て、帽子のつばを持ち上げるような、戦車隊特有の敬礼。狭い戦車内でもぶつかることなく行えるようにと考案された独特の敬礼は、閲兵式などで儀仗兵が披露する華やかなそれとは違ってどこまでも地味で実戦的で……異様な迫力がある。

　凛としたその姿は幽鬼のように影が薄く、美しくはあるがどこか異様な迫力が漂い、何か不吉なものを感じさせた。

　フェルはそのまま踵を返すとこちらには見向きもしないですぐに退出しようとする。まるで相手をするだけ時間の無駄、と言わんばかりに。

　その冷たい拒絶を漂わせた彼女の姿に、僕はなんとも言えぬ胸騒ぎを覚えた。