図書館と恋と物語

「うわぁ、さすが王都だね! 素晴らしい蔵書だ」


「ああ、俺も初めて来たがここまでとは」


 王立図書館に足を踏み入れると、広い空間を埋め尽くさんばかりの書棚にぎっしりとつまった書物の数々に目を輝かせた。

 俺も初めて見る光景に胸が躍る。


「どこから回ろうかな……やっぱり医学書は絶対に見たいし、いつも後回しにしちゃう国際法とか物流とかも見て回りたいし……」


「法や経済にも興味があるのか?」


 指折り数えている彼が意外なものを挙げるので驚いた。てっきり兵法と医学書を迷わず選ぶと思ったのに。


「経済って言うか、輜重しちょうは軍事でも一番大事なものだからね。その大元になるお金や物資の流れは興味深いよ。捕虜の扱いとか戦後処理とか、国際法が関わってくるもの多いし」


「そういう細々とした金品の管理や法的な処理は文官や外交官が行うものだろう?現場の騎士が学んでおく必要があるのか?」


 確かに物資や食料、お金の流れは戦争とは切り離せないものだとは思うが、そういったものは別に管理する立場の役人がいるだろう。

 騎士がすべてを把握しておく必要があるのだろうか。


「軍にまつわる物流の管理は輜重しちょう専門の部隊が行うものだよ。捕虜の扱いにしても、外交官が前線に来ていろいろ手配してくれるわけじゃないしね。どちらも現場で指揮執ってる人間が『そんなの知らない』で通用するものじゃない」


「なるほど。むしろ現場の指揮官こそ知らないと困るのか」


「まぁ、一介の兵士だったり、下士官どまりの人は知らなくても良いんだろうけど、僕は叙任も済ませて爵位もいただいてるから。帯剣貴族として授爵するのは指揮系統に支障を出さないためだもの。当然、これから指揮官となることを求められてるんだから、軍を運用するためのこういう知識は大事だと思う」


 どうやらただ武術に優れていれば良いというものではないらしい。

 むしろ大切なのは部隊を運用するための物流や軍事行動に関係のある国際法などの知識のようだ。


「話を聞いていると、騎士の個人的な戦闘能力はさほど重要ではない気すらしてくるな」


「その通りだよ。戦争とは武力をもって行う政治の一形態だからね。剣だけ振ってればそれで良いってものじゃない。むしろ剣を奮ったり大砲をぶっぱなすのは軍事のほんのごく一部の面だけで、そこに至る過程……もしくは至らせない過程こそが一番大事なところじゃないかと思うよ」


「なるほどな。お前と一緒にいると騎士というものに対する見方ががらっと変わるよ」


 何とはなしに口をついた言葉に、わが意を得たりとうなずかれて拍子抜けした。

 どうやら現実の騎士は、幼い頃に乳母に読んでもらった物語に出てくるものとはだいぶ違うものらしい。


「僕らの年ごろだと、軍に縁のない人なら騎士っていうと物語に出てくるイメージが強いのが普通かもしれないね。あれは僕に言わせればおとぎ話の中だからこそ可能なんだと思うけど」


「そういうものか?」


「うん。軍の規模が大きくなったり武器や兵器の開発が進んだりして組織の運営とか戦術とかは大きく変わったけど、軍の本質はきっと変わらないもの。現場に出ているような人があんなに呑気に恋にうつつをぬかしたり、個人的な事情で決闘したりできないと思うな」


 本物の戦場はあんな呑気なものじゃない、と一瞬だけ昏い目をしてつぶやいたのは、聞こえなかったことにした。

 あっけらかんと言い放たれる言葉はかすかに苦い。


「なるほどな。恋や友情や自分の信念だけに従うなんて、物語の中では美しいが実際に身近な人にやられた日にはたまったもんじゃないもんな」


「そうそう。ちゃんと社会の一員としてお仕事してたら、ちょっとできないと思うんだよね。そういうことは」


「たしかに。ちょっと夢が壊れる気もするが」


「ごめんごめん。でもさ、物語って現実にはあり得ないものだからこそ美くて楽しいものだし」


 あえて何も気づかなかったふりをしてできるだけ軽い口調で言葉を返せば、戻ってきた彼の声もいつも通りに戻っていた。


「そりゃそうだ。俺たちの立場じゃ、家を継いで子供ができてからはともかく、誇りや恋のために家も命も捨てるわけにはいかないからな」


「それだけ溺れられるほどの感情ってどんなものか味わってみたい気もするけどね」


「俺も。まぁ、そうそうないものだからこそ物語で疑似的に体験してみるんだろうが……どんなものなのか今ひとつわからない」


 他のことを考えることすらできないほどに溺れてしまうほどの強い感情。いったいどんなものなのだろう。


「僕もずっと修行や任務ばかりでほとんど女性と接したこともないから、ぜんぜん見当もつかないや」


「俺は母上に連れられて行った茶会で同年代の女の子と接したことがあるにはあるが、やはりピンと来ないな。ちょっと親しくなってみようかと思うことはあっても、それまでだから」


「好きになるところまではいかない感じ?」


 恋に対して漠然としたイメージはあっても、まだ具体的にどのようなものかが実感できない。

 いくら背伸びをしたところで、俺はまだ十三になったばかりの子供だ。


「そうだな。ああいう話に出てくるような他の物が何もかもどうでもよくなる感覚というのはさっぱりわからん」


「うん、コニーってそういうのに向いてない気がする」


「どういう意味だよ?」


 くすくすと笑いながら言われて少しだけむっとした。まるで恋を知らない子供か、人の心がわからない冷血漢だと言われているようだ。


「ごめん、変な意味じゃないんだ。君は優しいし周りをよく見てるから、相手や周囲の人が破滅しかねないような真似には及ばないだろうな、と思って。そういう言動に出る前に自分の感情を抑え込んじゃう気がする」


 ごまかしているのかとも思ったが、俺を真っすぐ見つめる目は思いのほか真剣で、これが彼の偽らざる本心なのだと知れる。

 とても思いやりのある理性的な人間だと言われたようで、かなりこそばゆい。


「それは買いかぶりの気もするが……でも、そういう自制のできる大人にはなりたいな」


「でしょ? 君はとても優しい人だから」


「そういうお前はどうなんだ?」


「う~ん……そもそも僕は人から好かれるような人間じゃないし、そんな相手は現れないと思うな。まぁ、色恋沙汰はあきらめるとして、せめて自分にできることだけはきちんとこなせるようにしておきたいけど」


 自嘲気味に話を逸らす彼。いや、逸らしているつもりはないのだろう。

 なぜ彼はこんなに自分自身を否定したがるのだろう。いつも一生懸命で健気で、こんなにも愛すべき人間なのに。


 やはり前線やイスコポルで見てきたものが関係しているのだろうか、と思うとうかつな言葉を口にすることもできなかった。


「だからと言ってあまり無理をするなよ。お前にとっての『できること』はおそらく他の人間のそれよりもはるかに多いんだから、何もかも一人でやろうとすれば必ず後でたたるぞ」


「ありがと、やっぱり君は優しいよね。さて、すっかり話し込んじゃったけど、そろそろ本を選ばなくちゃ。せっかく王立図書館まで来たんだもの、よそでは読めないような本を見つけたいな」


「ああ、俺も読みたい本があったんだ」


 入学前に大まかなこの国の歴史や周辺諸国との関係をざっと学び直しておきたい。我が家の書庫にもそれなりの蔵書はあるが、どうしても法律関係の専門的なものに偏ってしまっているので、俺が読んで充分理解できるような素人向けの歴史や地政学の本がない。

 あと二か月足らずの間に一人でさらうとなると、うかうかもしていられない。


 また後で、と手を振りながら、結局は医学書のコーナーに真っ先に向かう彼に手を振り返して、俺は歴史書のコーナーへと足を向けた。

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