ピンク頭と王弟殿下

 「ふん、今日はこれで勘弁してあげるわ。そのうちその化けの皮はがしてやるんだから覚悟しなさいよっ!」


 勝ち誇ったエステルが調子に乗った勢いで蹴ってきた額が地味にクラクラする。

 大した力では無かったのだが、ガラス玉が大量に貼り付いた靴の尖った先端が刺さったようだ。

 いや、身体的な痛さよりも、向けられた悪意が気持ち悪くて心がよどんでいく。


「娘、王の御前であることを忘れてはおるまいな?お前の辞書には節度や慎みという文字はないのか?」


「……っ」


 すっかり図に乗っていたエステルだが、マリウス殿下の鋭い声に気勢をがれた。

 さしもの彼女も王室の暗部を一手に担っておられる殿下の気迫にはかなわなかったのだろう。悔し気に唇を噛むと押し黙った。


「あまり堅く考えずとも良い、今日はあくまで内輪の集まりだ」


 会場内に一瞬しん、と気まずい沈黙が満ちたが、すぐに朗らかな国王陛下の声でざわめきを取り戻した。


「もっとも、最低限の節度は守ってもらうがな。そこの二人もいつまでそうしているつもりだ?早く立って席につかんか」


 小声で茶目っ気たっぷりにおっしゃった陛下に促され、僕たちも軽く一礼して用意された席につくことにする。


「あれ?悪役令嬢の土下座は?」


「それは奴の悪事を全て晒した後だろう。それより美味そうな菓子があるぞ。まずは楽しもうじゃないか」


 キョロキョロ周囲を見回しながら馬鹿げたことを言い出すエステルに、楽観的な答えを返すクセルクセス殿下。

 二人とも勝ち誇ったような顔で目を輝かせていて、これから起きることに何の不安も抱いていないことがよく分かる。

 当分の間はお菓子や飲み物を楽しむつもりみたいだ。


「お前まで頭を下げることはなかっただろう。額、血が出てるぞ」

 

「大丈夫。僕を庇ってくれたんだもの、一人で頭を下げさせるなんてできないよ」


 席につくとコニーが心配そうに訊いてくれた。友の気遣いに沈みかけた心が軽くなる。


 そうだ、エステルの悪意なんかで落ち込んでいる場合じゃない。アミィ嬢の無実を証明して、エステルの犯罪を明らかにしなければ。


「そういえばアッファーリがとりなしてくれたみたいだけど、どうした風の吹き回しだろう?」


「ああ、昨日父とマッテオ様が色々と話し合っていたから、その間に少し話をしたんだ。彼から見ても、最近のエステルは少々言動がおかしかったようだな。さすがに目に余る暴挙は裁かれても仕方ないと思うが、色々と思いつめている時に力になってもらった恩があるから、あまり酷い醜態を晒さずにすむようにしてやりたいと言っていた」


「そっか、あれはエステルがあれ以上恥をかかないようにしてたのか。優しいな」


 アッファーリは彼女に励まされた事に感謝していて、彼女が必要以上に傷つかずに済むよう守ってやりたいのだろう。


「……毒を盛られた上に騙されていたと知ってもなお彼女を守ろうとするアッファーリも大概だが、お前も相当なお人好しだな」


 コニーに苦笑交じりに言われてしまった。


「そういうつもりじゃないけど……それじゃ、アッファーリも今日何があるかはわかってるんだね」


「ああ、マッテオ様から事情を聞いたそうだ。今まで流されてばかりで、おかしいと思っていたのに止められなかったと反省していた。アルティストも多少は聞いているんじゃないか」


「それじゃ、何も知らないのは殿下とエステルだけか。ちょっと哀れだな」


 そういえばアルティストも今日はやけに静かだ。殿下たちに話しかけられても困ったような笑みを浮かべて軽く頷くだけ。普段の熱に浮かされたようにエステルへの賛辞を並べている姿とはあまりに違う。


 何も知らずに無邪気にはしゃいでいる殿下たちが少しだけ可哀想になった。

 もっとも、彼らがこれからやろうとしていた事を考えたら同情の余地はないんだけどね。


 エステルはエスコートしてきた男性が気になるらしく、ちらちらとそっちを見ているが、彼はエステルには全く興味がないらしくて彼女の方を見向きもしない。

 ずっと楽しげにマリウス殿下やマッテオ様と談笑しているが、いったいどなただろう?

 お三方の様子を見ると本当に気心の知れた友人といった風情なのだけれども、あまりに年齢が違うように見える。マリウス殿下もマッテオ様もお若く見えるけど今年で四十四歳。それに対して赤毛の男性はどう見ても二十代半ばだ。


 お三方ともなぜか僕たちの方に興味を持たれたようで、一斉にこちらをご覧になった。

 やんごとない方々にしげしげと見つめられて居心地が悪いったらありゃしない。


 途方に暮れていると、マリウス殿下とマッテオ様が赤毛の男性を伴ってこちらにいらっしゃった。

 僕とコニーは慌てて起立して皆さまをお迎えする。


「久しぶり、ヴィゴーレ・ポテスタース卿。そちらはスキエンティア家のコノシェンツァ君だね?」


「ご無沙汰しております、殿下。左様でございます」


 マリウス殿下は近衛の中でも「影」と呼ばれる諜報を担当する部隊の指揮を執っておられる。そのため、僕たち警邏けいらの外事担当や組織犯罪担当とも顔を合わせる機会が多い。

 僕も組織犯罪担当者として殿下の指揮下の部隊と任務にあたった事があるのだ。


「緊張しなくて大丈夫、友人を紹介しに来ただけだから。

 知っているかもしれないけれども、こちらは財務大臣のマッテオ・コンタビリタ侯爵。君たちの友人であるアッファーリ君のお父上だ。

 そしてこちらはクラウディオ・ケラヴノス子爵。法務省監査局の副局長だ。

 二人とも、セルセの横領について調査する予定だから、これから世話になるかもしれない。覚えておいてくれ」


 なるほど。クセルクセス殿下が生徒会費を使い込んでいた件を調査するために責任者がいらっしゃったわけか。


「かしこまりました。よろしくお願いします」


「あまり緊張しないで、アッファーリが世話になっているね」


「僕は二人ほどお偉いさんではないから。気軽にクロードと呼んでね」


 思わぬ方をご紹介いただいて二人で緊張していると、お二方とも優しくお声がけ下さった。

 実はケラヴノス子爵にはどこかでお目にかかったか、お名前をうかがったことがあるような気がするのだが、思い出せない。

 何とか思い出そうと記憶を辿っていると頭痛がしてきて、子爵に「大丈夫?無理しないで」とお気遣いいただいてしまった。


「二人とも苦労をかけたね。セルセも遅くに産まれた子だから兄が甘やかしてしまって。あちこちに迷惑をかけた挙句、何も学ばなかったようだ」


 マリウス殿下は少し寂しそうだ。自業自得とは言え、甥が身を持ち崩したことを残念に思っておられるようだ。


「うちのイリルにはこういった事には関わらせたくなかったが……残念ながら、そうもいきそうにない」


 つまり、クセルクセス殿下は廃太子され、マリウス殿下かご子息のイリル殿下が代わりに立太子されるということか。

 マリウス殿下もイリル殿下も極めて優秀だともっぱらの評判だ。

 成績と素行の悪さばかりが目立つクセルクセス殿下よりははるかに国王に向いておられるだろう。


 後はいかに禍根かこんを残さず今回の始末をつけるか、そこが問題だ。

 そのためにも事実を明らかにして各々が相応の責任を取らなければ。


 ……僕自身も含めてね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る