悪役令嬢の嘆息(悪役令嬢視点)
クセルクセス殿下のサインのある手紙で放課後、どうしても話したいことがあるからと校舎裏に呼び出されました。
行かなければ後で何を言われるかわかったものではない、と諦めて呼び出しに従う事にしました。
いつもの王太子妃教育に加え、今日中にまとめておかねばならない書類が三つもあるのに
もともと殿下は気まぐれで、王太子教育や公務をさぼる悪癖がありましたが、王立学園に進学してからの言動は目に余ります。
特に、半年前に男爵家に迎え入れられたばかりのエステル・クリシュナン嬢が転入してきてからは目も当てられません。
側近もろとも彼女を囲んでもてはやし、毎日のように下町を遊び歩いています。
もちろん、民草の生活を知るためにお忍びで市井に出かける事も大切です。
しかし、毎日のように富裕層に人気のブティックやカフェに入り浸って
そのくらいならば、貧民街の診療所に出向いて医薬品を寄付したり、教会の奉仕活動に参加した方がよほど普通の民草の暮らしに触れられるのではないでしょうか?
何度かやんわりとお諫めしたのですが、後ろ暗いところがおありなのでしょう。
「我々は純粋な善意から貴族社会に不慣れなエステル嬢をサポートしているのだ。その高尚なノブリスオブリージュの精神を醜い嫉妬で邪推するとは貴族令嬢の風上にもおけん。恥を知れ!!」
お諫めするたびに、側近の方々と一緒になって口々にわたくしを罵られます。肝心のクリシュナン嬢も尻馬に乗って見え透いた嘘泣きをする始末。
「あたしが平民だからって蔑んでそんな意地悪ばっかり言うんですね。いっつもこうやって馬鹿にされていじめられてひどいことされて、あたし悲しいですぅ!!」
毎度毎度この調子で、すっかり疲れてしまいました。
今では殿下やその取り巻きの方々とも、もちろんクリシュナン嬢とも関わりたくないのが本音でございます。
何か天変地異でも起きて殿下との婚約が解消にならないかしら……などと夢想しながら、わたくしは重い足取りで校舎裏に向かいました。
指定された時間に校舎裏に着くと、そこで待ち構えていたのは殿下ではなくエステル嬢……
なるほど、殿下は彼女に頼まれて手紙を書いただけなのですね。
そこまでして彼女の気を惹きたいとは、王太子ともあろうものが情けない。
エステル嬢には一方的に訳の分からないことをさんざんまくし立てられました。
どうやらご自分が極めて理不尽で不当な扱いを受けているとお考えのようですが、逆にこの世のどこに「自分が殿方を誑かすために必要だから悪役を演じて処刑されろ」なんて要求に従う人がいると思えるのでしょう?
わたくしが自分の言いなりになって当然と疑いもなく信じ込めるエステル嬢の思考回路が不思議でなりません。
正直に申して、この方自身にも、この方に夢中になる殿方にも一切関わり合いになりたくありませんわ。
嫉妬?するわけございません。
成績は常に最下位で、ダンス、刺繍、絵画、音楽……令嬢としての嗜みは何一つ幼児並みにすらこなせない。
それでもその人なりに努力しているならともかく、複数の殿方に擦り寄って毎日遊び歩いているだけの爛れた生活。
何一つ羨む要素がございませんもの。
そういった気持ちがわたくしの態度に顕れてしまっていたのでしょうか。ついにエステル嬢が逆上してわたくしに掴みかかってこられました。
……反射的につい躱してしまいましたが。
未来の王妃としていざというときに殿下をお護りできるよう、幼いころから厳しい訓練を受けているのです。
逆上した何の心得もない少女の直線的な動きなど、避けようと思う間もなく無意識のうちに躱してしまうのは致し方ありません。
「あの……大丈夫ですか……??」
べちゃりと地べたに突っ伏してピクピクと動いているエステル嬢を(夏のゴミ捨て場などに大量発生する黒い頭文字Gに似ていますわ)などと思いながらも、仕方なくアンタッチャブルな物体、すなわちエステル嬢に声をかけました。
すると、ほぼ同じタイミングで小柄で童顔の若者……ポテスタース伯爵令息ヴィゴーレ卿が駆けつけて、エステル嬢を助け起こしたではありませんか。
彼は武の道に秀でており、入学前に既に正騎士としての叙任を受けていました。可愛らしい容姿とは裏腹に、学生の身分ながら度重なる武功を上げ、既に士爵を賜っている前途有望な若者ですが……残念なことに、彼もクリシュナン嬢に篭絡されているクセルクセス殿下の側近のお一人なのです。
ここは、いつものようにあらぬ疑いをかけてお二人でわたくしを責め立ててこられるのではないかと身構えてしまいました。
クリシュナン嬢もここぞとばかりにポテスタース卿に抱き着いて
「あたしぃ、アマストーレ様にずっと責められて突き飛ばされてぇ……ヴィゴーレ様が来てくれなかったらどうなってたか。本当に怖かったですぅ」
と甘ったるい声で訴えられます。
「……どっちがだよ」
おや?わたくしの空耳でしょうか?一瞬、ポテスタース卿が冷たい視線で彼女を見やって何やらぼそっと呟いたようでございます。
「え?今なんか言いましたかぁ?」
「大変、泥まみれだ…って言ったんだよ。怪我はないかい?」
いえ、エステル嬢が聞き返されると、即座にいつものように明るい笑顔を返して優しく気遣っておられるのですもの、やはりわたくしの聞き間違いですわね。
「このままの格好で帰る訳にも行かないだろう?用務室に予備の制服があるはずだから借りに行こう」
「ヴィゴーレ様やっさしぃ~。やっぱり騎士様って頼りになりますぅ」
いつものように仲睦まじく、腕にしがみついたエステル嬢を連れて立ち去ろうとしたポテスタース卿ですが……すれ違いざま、一瞬ふっと微笑んでわたくしに目配せすると、
「アハシュロス公女、先ほどお家の方が探しておられましたよ。こんなところで油を売る暇がおありですか?」
わざとらしく平坦な声でおっしゃいました。
どうやらクリシュナン嬢を刺激しないよう機嫌を取りつつ、わたくしが彼女から離れられるように気遣って下さっているご様子。思わぬ思いやりに少しだけ驚きましたが、ここで訊き返したりして彼女に不信感を抱かせてしまったら元も子もありません。
「ご親切にどうも、ポテスタース卿。騎士団も意外にお暇なのですね」
わたくしもつとめて冷たい声でお返事して、その場を立ち去りました。
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