僕はまだ料理人ではないけれど、異世界でお食事処を開きます。

佐間瀬 友

第1話 金のクローディア

その日、魚屋で新鮮な鯖を手に入れた僕はかなり浮かれていた。

本当だったら鼻歌でも歌いたい気分だったが、人通りが多い時間だったし、もともと感情があまり顔に出ない自分を、すれ違った人たちは不愛想な中学生男子が買い物袋を下げて歩いているとしか思わなかったかもしれない。


一緒に暮らしている叔父さんは今日は出張で居ない。

本当は一人の食事など楽しくなかったけれど、何を作ろうかと考えている今はまあまあ楽しい時間だった。


家に向かって続く河川敷を歩いていく。


この川沿いの道を通らなくても住宅街を抜けて帰ることもできたけど、少しだけ遠回りでも景色の良い、車の通らない川沿いの遊歩道を歩いて帰るのが最近のお気に入りだった。

犬を散歩している人やジョギングをしている人たちがすれ違っていく。

いつもの学校帰りの光景だ。


その中に小さな黒い影がチラッと見えた気がした。


テケテケテケっと音がしそうな走り方をした黒い塊が左側から走って来るのが目の端に映ったと思った時にはすでに遅く、「あっ!」と声がして、ドーンと突き飛ばされ道に転がっていた。

かろうじて荷物は離さなかったが、思い切り尻餅をついてしまった。


「痛~っ。」


あんな勢いで土手を駆け上がってくるなんて、いったいどんな脚力なんだ!


しかも、自分より小さい子に突き飛ばされて転がるなんて、かっこ悪い。


「イタタタタ...。」


僕の前で膝をついて転んでいる女の子もうめき声をあげる。

転んだ時に落ちたのだろう、彼女の横には黒いつばの広い帽子が転がって落ちていた。ふんわりしたやわらかそうな腰まである長い黒髪で顔は見えないが小学校高学年くらいだろうか。


「大丈夫?」


激突されたのはこちらだが、さすがに自分より小さい女の子を責めるわけにも行かず、尻餅をついたまま声を掛ける。


僕の声に反応して女の子が膝と手を地面についた四つん這いのまま顔だけを上げた。


パッチリした大きな目に赤い唇、かなりはっきりした顔立ちのかわいい女の子。

ただ、目が金色だった!


「!カラコン?」

よくよく見ると服装もハロウィンの仮装で着るような魔女の服のようで、近所の小学生よりは随分大人びた印象だったのでもしかしたら化粧もしているのか?

(えっと、なんかの仮装かコスプレかな?)


「なんでおまえは動けるの?」

コスプレ小学生が不機嫌丸出しの予想外に低い大人びた女の声で呟いた。


「えっと、見た目に反して意外と大人っぽい声...」

思わず思ったことが口に出てしまった。


「なんでおまえ動いてしゃべっているの?」

僕の言ったことはきれいに無視して同じ質問を繰り返す。


「えっと、何を言っているのか良く分からないんだけど。」

どう見ても年下の女の子に偉そうに聞かれたことに動揺して、一瞬何を言われているのか本当に分からなかった。

「周りを見てみろ。」


そういわれて初めて周りを見て、あっけにとられた。


向かいから歩いてくる犬の散歩をしているおじいさんと犬、さっきすれ違ったジョギング中の女の人、さらにその向こうに見える自転車に乗った高校生、すべてが止まっていた。

きっと、触ったらカチンコチンになっていそうな様子で。


良く見ると川面も動いている様子がなく水音もしなくなっていた。

こころなしか周りの色合いも日が陰ってきたような、色あせた感じがする。


「な、何?これ...」


夢?そう思いたかったが、地面についたままの自分の両手が小刻みに震えているのがあまりにも現実的に感じられた。


「分かったか?皆止まっているのになぜおまえだけ動いている?」


コスプレ小学生は立ち上がりワンピースの膝のあたりをパンパンと払うと、横に落ちていた黒い帽子をしっかりと被り直し、まるで僕のせいであるかのように自分の腰に両手をあてて大きな金の目をしかめると睨みつけてきた。


「何でって、こっちが聞きたい。何で動かない?」

みっともなく声が震えるのは仕方がない、失神しなかっただけ自分を褒めてあげたい。こっちはとてもではないが立ち上がれなかった。


「何でって、もちろん私がここを通るために時を止めたからだ。」


「え?時間を止めたって?」


「見ればわかるだろう。本当だったら私が通り抜ける間、他に動いているものなんてないはずなのに、なぜおまえは止まらないのだ?」


「そんなこと言われてもこっちだっていきなり横からぶつかられて転んだだけで。何が何だか。だいたい時間を止めれるって、君は誰?」


「わたしは金のクローディア。魔法使いだ。」


「魔法使い...」やっぱり魔女なんだ、その恰好。コスプレではないみたい...だよね。


「ん?」魔女っ子が眉間にしわを寄せると、腰に手を当てたまま僕の後ろを覗き込むような恰好をした。


「な、何?」


「おまえ、まさか勇者の剣なんて持っていないだろうな?」


「へ?勇者の剣?」


「そう、勇者ベテルギウスの剣が行方不明になっていると聞いた。もし、それを持っているのならひとりだけ動けるのも分かるが。まさかな?」


「まさか。勇者の剣なんてゲームの中以外見たことも聞いたこともないけど。」


「そうか。おまえみたいな子供が持っている訳ないとは思うが。」

子供って、明らかに自分より年下の女の子に言われても...。

人間、常識を超越すると結構普通に話せるようだ。


「だが、ちょっとその鞄の中見せてみろ。」


「これ?」


僕は背中に背負っていた教科書がたっぷり入った通学に使っている黒いリュックを差し出した。


魔女っ子が地面に置かれたずっしりと教科書が詰まった僕のリュックのファスナーを開ける。


「おい!これは何だ?!」


「え?」そんな驚くようなものが...?あ~、そういえば入っていた!




「ああ、忘れていた。包丁だよ。僕の。」


まあ、普通男子中学生の鞄に包丁が入っていたら魔女でなくてもビックリするかもしれないが、それにはきちんと理由があった。

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