第85話 御曹司、家で夢想する


家に帰ると、真っ先に茜ちゃんが寄ってきた。

最高の笑顔を向けて「お兄さん、お帰り」と迎えてくれたのだが、素直に受け取れない。

それは茜ちゃんが持ってる教科書とドリルのせいだ。


「ただいま、もしかして宿題?」

「うん、教えて欲しいなあ〜〜なんて」


この家には涼華や美幸もいる。

もしかしたら、自分でやりなさいと言われたのかもしれない。


「別にいいけど、涼華とかに見てもらえばいいのに?」


「そうなんだけど……涼華さんは、恐れ多くて聞けないし、美幸お姉ちゃんに聞いたけどわからなかったんだ」


美幸のことは何となくわかる。

本来面倒見の良いやつだ。

ひとつ返事で見てあげたのだろうが、「ここはアレっしょ、だからこうなってこうなるって感じ」とか言いそうだ。


それと茜ちゃんは涼華に尊敬の念を抱いている。

宿題を教えてとは言いづらかったのだろう。


「いいけどわからないところのやり方を教えるだけだぞ」

「うん、それでいいよ」


持っていたのは算数のドリル。

リビングで、ドリルを広げて算数の宿題をする。

今やっている単元は文字を含めた数式だった。


「どこがわからないの?」


「ここだよ。」


「なになに、鉛筆一本50円のものを4本と消しゴム一個を買って280円でした。消しゴム一個をX円として、式に表し答えを求めましょうって書いてあるね。この問題のどこがわからない?」


「式にするところかな?それになんでXとか算数に英語が出てくるのか意味不明」


確かにそう思う子もいるよね。


「Xは未知の数字を表しているんだよ。大昔の人が使った未知という言葉をわかりやすく当て字にしたんだ。さっきの問題でわからないのは消しゴム一個の値段でしょ。だから、Xで表すんだよ」


「わかったような、わからないような〜〜」


「じゃあ、意味は違うけど茜ちゃんの身長は何センチ?」


「140センチは無いと思う。測らないとわからないよ」


「その場合、茜ちゃんの身長はわからないからXセンチって言うんだ。この場合、実際に測ってみて138センチだったらX=138になるね」


「そう言う意味か〜〜」


「さっきの問題は消しゴム一個の値段がわからないからXで表すんだよ。だから、頑張って式にしてごらん」


「わかった。鉛筆一本で50円でしょ。それを4本買ったんだから50×4だよね。それに消しゴム一個を足して合計が280円だから……」


茜ちゃんは何とか式を完成させた。

ここまでくればあとは計算をするだけでいい。

しばらく悪戦苦闘してようやく答えを導き出したようだ。


「できた!X=80だ。だから消しゴム一個80円です。合ってる?」


「うん、正解。よく頑張ったね」


「やったーー!」


自分の力で解けた時は嬉しいよなあ〜〜

だが、それはまだ最初の一問だ。


「ほら、まだだよ。あと4問残ってる。やり方はさっきと同じだから」


「げっ!そうだった……」


それから、暫くして茜ちゃんは宿題をやり終えた。とても、満足そうな顔をしてる。


「終わってホッとしてるとこ悪いんだけど、九九の暗記が7の段から9の段にかけてあやふやだね。九九の暗記をしっかり覚えれば、ミスが少なくなるよ。もう一度覚え直してね」


『ガーーン』と言いながら、茜ちゃんは一気に落ち込む。だが、甘やかすわけにはいかない。


「光彦様、お食事用意できてますよ」


楓さんに言われて食卓の方に目を向けると、みんなが揃ってこちらを暖かい目で見ていた。


「茜ちゃん、ご飯食べようか?」


「うん」


今夜はおでんのようだ。

温かいおでんを囲んで、カラシをたっぷりつけておでんを頬張った。


「うん、うまい!」





夕食後、自室に戻ってパソコンを開く。

会社から送られてきたメールをチェックして、アンケートの結果とルナの調査報告書とを連動させる。


人数が多いので、さすがに一日じゃ終わりそうも無い。

疲れると、スマホを見てフランスのドール職人からの返事がきてないかを確かめる。


「きてないか〜〜、でも、もう少し待ってみるか……」


相手が忙しくてメッセージを見てないのかもしれない。

ここは気長に待つことにする。


「あれ、『小豆ぽっち』さん、新作出すんだあ〜〜」


セリカ先輩から借りて、結構面白かった悪徳令嬢もののラノベの作者だ。


「え〜〜と、今度は恋愛ものなんだ」


俺にとっては未知なジャンルのラノベだ。

『小豆ぽっち』さんが書くなら面白いのだろう。


「へ〜〜表紙のイラストが愛莉姉さんの会社のパッケージを描いた人が担当するんだ」


情報サイトによると、『今、人気のベゼ・ランジュの商品パッケージを描いたあの『カレンジャー』さんが表紙を担当する『小豆ぽっち』さんの新作を乞うご期待!』と書かれていた。


「6月発売か……予約特典が特別イラストファイルがもらえるみたいだ」


思わず予約してしまった。


「楽しみだな〜〜」


それと、運営本気のロカシーのフィギュアを買わなくては……


俺は、Amazoneseでロカシーのフィギュアを購入する。

明日には宅配で届くみたいだ。


「フィギュアが届いたらどこに飾ろう?」


部屋を見渡すと、本棚に数冊のラノベと窓際に溢れんばかりの大小の苔の鉢があるだけだ。


「ガラス棚を買った方が良いかな?」


ホコリ対策もしておかないと、せっかく買ったフィギュアが汚れてしまう。


「できれば、ドール職人のあの人形が欲しいけど……」


部屋に置かれた『ニート転生』の人形達が置かれた場合を想像して顔がニヤける。


いかん!まだ、仕事は終わっていない。

さて、仕事の続きをしますか。


カタカタとキーボードを打ち込んで先程の仕事の続きをするのだった。





少し時間は遡り……


とあるオフィスで机に置かれたパソコンと睨めこしてる新入社員がいた。

すると、奥のデスクに座る課長から声をかけられた。


「神崎君、ちょっといいかな?」


返事をして課長の席に向かう神崎美冬。


「神崎君はヨーロッパは何度も行ったことあるんだよね?」


「ええ、大学で西洋文化研究会に入ってましたので、年に数回は訪れています」


「そうか、そうか、実は埼玉のある高校から研修旅行の仕事を受けてね、それを神崎君に担当してもらいたいんだ」


「私が担当しても良いんですか?それに埼玉ですか?研修旅行ということは教職員でしょうか?」


「神崎君、少し落ちついくれ」


「あ、すみません、つい……」


「初仕事だから気合が入るのはわかるけど、常に冷静にね。それと、今回の依頼なんだが、新たに新設された『特進クラス』の生徒達だ。年齢の近い神崎君なら適任かと思ってね」


「そういうことですか」


「それで、少し急ぎなんだよ。ゴールデンウィーク期間なんだけど大丈夫かな?」


「特に予定は入ってませんので、行けますよ」


そう言うと課長は嬉しそうに微笑んだ。


「急な依頼だったので調整がつかなくてね。他の社員は予定が入っているし、ちょっと困ってたんだ。それで行き先はスイスのジュネーブらしい。高校に連絡を入れて確認して欲しい。担当は鹿内真奈美さんと言う新人教師のようだ」


「わかりました。直ぐに連絡を入れて予定を組んでおきます」


「助かるよ。では、頼むぞ」


課長にそう言われて、自分のデスクに戻り渡されたファイルを見る。

主に国連機関の視察旅行のようだ。


「へ〜〜高校生で議員さんみたいな視察旅行をするのね〜〜」


スイスのジュネーブには、何度か行ったことがある。

当時の記憶を思い出して、観光名所をチェックし始めた。


そして、学校に連絡を入れて明日その学校を訪問することになった。


「初仕事が高校生相手なのは、ラッキーだったかな?」


先輩の話を聞くと、大人の人の旅行ではお酒を飲みことが多いので、いろいろなトラブルに巻き込まれるらしい。

挙句の果てに、ナンパしてくる人もいるようでそういう人の扱いで苦労すると言っていた。


そういったトラブルが起きると本来の計画通りの行程が難しくなる。


「高校生はお酒飲まないものね」


先日、友人とおでんを食べて深酔いしてしまった自分のことは棚に上げた。


神崎美冬は、入社して初めての付き添い旅行に情熱を燃やすのだった。

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