第70話 御曹司、変装がバレる
「ルン、ルルン。ルルル、ルンルン〜〜」
デスクの上にあるパソコンを見ながら、楽しげに意味不明な鼻歌を口ずさんでいるのは、ヨーダ芸能事務所社長の代田新子。
「ただいま、戻りましたあ〜」
どこか気の抜けたような声で事務所に入って来たのは、この会社の唯一の社員、永福繁生だ。
「どうだった、千夏の具合は?」
彼は事務所所属のモデルで入院中の結城千夏のお見舞いに行ってきたのだった。
「千夏ちゃん、もうすっかり元気ですよ。薬も抜けたようですし、すぐにでも退院できそうです」
「そうか、そうか。まあ、多少は後ろ指差されるだろうが千夏は美人だし、人気も直ぐに回復するだろう」
「そうですか?薬のイメージは悪いですから、企業とかは敬遠しますよ」
「まあ、そこは売り出し方次第だ。何たってうちにはあのミッチーがいるんだ。千夏とコラボで売り出せば、人気は回復するに決まってる」
光彦の女装したミッチーとのタレント契約がなされてから代田新子はいつになくご機嫌だった。
「そのミッチーですが、全然事務所に顔出さないのは何でですか?」
「さあ、知らん。だが、ベゼ・ランジュの社長からの直々の契約だぞ。既にミチルとのファッション雑誌の写真撮影も完了している。来週にはベゼ・ランジュの新商品のCM撮影が決まっている。頑張ってたミチルもこれで脚光を浴びるに違いない」
「そんなに上手くいきますかね〜〜」
「永福、お前は何でそんなにネガティブなんだ。今ヨーダ芸能事務所にはビッグウェーブが来てるんだぞ。この波に乗らないでどうする?」
「僕はサーフィンしたことがないのでわかりません」
代田社長は机に積み上がった雑誌の一つを取ろうとしたがやめた。
「永福、貴様には新たなタレントを発掘してもらう。明日からスカウト頑張ってくれ」
「社長、平日に若い子がいるわけないでしょう?みんな学校に行ってますよ」
「バカもの!なら時間をずらせば済む話だろう。少しは頭を働かせろ」
「残業は嫌ですよ。僕にも行きたい場所くらいあるんですから」
「最近ハマってるという熟女バーか?」
「そうですよ。僕の癒しのスポットなんですから。社長も一回行ってみませんか?癒されますよ」
「何が悲しくてそんなとこに行かなきゃいけないんだ。私は、これでも接待で忙しいんだ。今夜だって某テレビ局のプロデューサーと会わなくてはいけないだぞ。イヤらしい目付きで全身を舐め回されるように見つめられながらお酒を飲まなきゃならんのだぞ。私の苦労も少しは理解しろ!」
「なら、行かなきゃいいのに……」
「永福、今何か言ったか?」
「空耳じゃないですか?」
「そうか?とにかく新しいタレントの発掘だ。頼んだぞ、永福」
項垂れて肩を落とす永福は、何も言わずに社長室から出ていくのだった。
◇
「今日は疲れたなあ〜〜」
役員付きの車に乗って自宅に向かっている。
新設課の皆んなとの話し合いは就業時間間際まで続いた。
取り敢えずリーダー的な存在が欲しかったので野方さんにお願いしたのだが、「私は会長の秘書ですので掛け持ちはできません」と断られてしまった。
柳沢さんを見ると首を横に振っていたので、威勢の良かった井荻さんに課長職に就いてもらった。
当面の仕事はアンケートの回収と分析だ。
能力を活かせない部署に配属された人達の移動希望があるかどうかなど、本来は人事部が担当すべき職務なのだが、今の人事部では期待が持てないと嘱託で人事部にいた柳沢さんが言っていた。
まだまだ話し合いしなければならないところもあるが、いっぺんには無理だろう。追々みんなの意見を取り入れながら進んでいくことになった。
「あ、そうだ。シャーペンの芯が無かったんだ」
学校で使うシャーペンの芯が車を駅近くに回してもらう。
その後は電車で帰ろうと思う。
運良く学校最寄りの駅で降りて駅ビルにある書店併設の文房具店に寄る。
周りの視線が痛いのは、貴城院スタイルだからだろう。
「シャーペン、シャーペンは……と?」
お目当ての芯をゲットして、ついでにラノベコーナーに寄る。
そこで、下北沢さんから借りた本の続きが気になってたので続きの本と同じ作者のラノベを数冊買い会計に持って行くと、隣の会計している女子高生が店員と揉めていた。
『だから、私は盗んでないわよ。何度言ったらわかるのかしら』
『じゃあ、その鞄から見える本は何なんだ?』
女子高生の鞄には数冊のラノベが入っているのが見えた。
『これは私のよ。持ち込んで誤解を与えたことに関しては申し訳なく思うけど、いきなり盗んだと言いがかりをつけるのはどうかと思うわ』
確かにその通りだ。
俺は、その女性を見て一瞬身体の動きが止まった。
その女子高生は下北沢先輩だったからである。
俺は自分が買おうと思って手に持ってるラノベを確認して、声をかけた。
「この店の本には万引き防止用のICタグが付いてますよね。万引きを疑うならそのタグの確認をしたらどうですか?自前の本ならICタグは付いてませんし」
突然、声をかけられて下北沢先輩は俺の方を見て動きが止まった。
男性店員も少し動揺している。
「そうね、その方が早いわ。ほら」
下北沢先輩は、鞄から自前のラノベを取り出して店員に見せる。
確かにそのラノベにはビニールに包まれているわけではなく、勿論ICタグも付いていない。
それを見た店員は顔を青くしながら頭を下げて謝り出した。
「疑いが晴れたならもういいわ」
一方、下北沢先輩はあっさりと謝罪を受け入れたようだ。
それを見て一安心した俺は会計を済ませて本屋を出る。
そこに下北沢さんから声がかかった。
「さっきはありがとう。助かったわ」
「俺は何もしてませんよ。気がついた事を言ったまでです」
「それでも助かったわ。あまり、人前で騒ぐのは好きじゃないから」
確かに、俺も好きじゃない。
「それで謝罪をあっさりと受け入れたんですか?」
「それもあるけど、本屋さんでの万引き率は高いのよ。統計では年間200億円もの被害が出ているそうよ。だから、店員さんの気持ちも理解できる。ただ、それだけよ」
相手の立場を理解して謝罪を受け入れたのか、さすが、下北沢先輩だ。
「そうでしたか、では」
そう言って立ち去ろうとしたら、腕を掴まれた。
「どこに行く気なの、水瀬君」
「………………」
えっ、なぜバレた?
変装は完璧だったはず。
今まで誰にもバレた事なかったのに……
「なぜバレたって顔してるわよ。第一にその声。昨日たっぷり間近で聞かせてもらっているもの。第二に、今日水瀬君が買ったラノベ。あれって私が貸した続きでしょう?それに同じ作者の本ばかり買ってたわ。読んでハマちゃったのかな?」
「え〜〜と……」
マズい、どうする、俺……
「第三……」
まだ、あるんかい!
「水瀬君の周りにいる女の子。学校での水瀬君にあれだけの女性が寄ってくるはずないもの。ひとりは桜宮家のお嬢様だよ。そんな彼女と接点があるのは普通じゃない。つまり、水瀬って姓も偽名ね。彼女達、水瀬君をその姓で呼ばないもの」
この人、探偵かなにかかな?鋭すぎる……
「という事で、お茶でも飲みましょう。私が奢るわ」
俺はその後下北沢先輩にドナドナされたのだった。
◇
「へ〜〜そういう事なんだあ〜〜」
目の前で紅茶フラッペを嗜む下北沢先輩に仕方がないので、内情をある程度打ち明けた。
「下北沢先輩、絶対秘密ですよ」
「どうしようかな〜〜。まだ、何か隠してる風だし……」
幼児が最高に面白い玩具を手にした時のように、小悪魔的な笑みを浮かべている。
「秘密を守ってくれたならある程度の要求は聞きますから」
「じゃあ、私とデートしてもらおうかな?」
「デ、デートですか?」
「そう、昨日も言った通り恋愛に関して少しでも情報が欲しいのよ。それには体験するのが一番でしょう?」
「まあ、言ってる意味はわかりますけど……」
「あ、今、無性に誰かに話したくなったわ」
「わかりましたよ。でも、今回だけですからね。俺もいろいろとやる事があるので」
「うん、うん。素直な水瀬君は好きだよ。あ、水瀬君じゃつまらないわね。光彦くんって呼ぶことにするわ。私のことも芹香って呼んでね」
「セリカですか?無理です。セリカ先輩でお願いします」
「まあ、仕方ないわね。じゃあ、今度の日曜日にデートしましょう。その前に連絡先を交換しないとね」
セリカ先輩は楽しそうにスマホを取り出して、俺と連絡先の交換を済ませた。
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