第3話

『魔法が暴れています。外出されている方は直ちに指定の場所への避難を ──』

 繰り返し流れる放送は建物が崩れ落ちる音に掻き消されていた。

 視界の端を掠めた光景に速度を落とし路地に逃げ込んだ。

 黒地に金のライン。あの制服は魔法隊のものだ。

 助かったとそう胸を撫で下ろしたところで反芻して違和感に気づいたのは、見覚えのある黒い頭髪が目に止まったからだった。

「……桃花さん?」

 どうして彼が制服を?

 いや、それよりも彼に渡せばクビは免れるのでは?

 そもそも私がこの本を手に持っているのも桃花さんに追い返されたからこうなってるのであって、責任の一端は彼にもあるはずだ。

 彼を追ったのが、そもそもの間違えだったと白川は後悔していた。

 視界の隅で閉まった扉は跡形もなく壁となり逃げ道は消えていた。

「嘘。嘘でしょう。ねえ、ちょっと、待ってよ、ねえ、誰かいるでしょ。ねえってば」

 彼らが消えたであろう壁を叩くも反応はない。

 視界に影が落ち振り返ると巨大な煉瓦の集合体は腕を振り下ろし地面を揺らした。

 鞄に入れていた禁魔法書が弾みで宙に浮き手を伸ばし引き寄せ抱えた禁魔法書を

 地面の煉瓦は膨れ上がり意志を持ったように煉瓦の塊が脚に絡みついて身体が宙に浮いた。

「きゃあっ」

「寄越せ人間」

「いーやーだー」

 死にたくない、死にたくないけれど、桃花さんに殺されたくもない。

 禁魔法書が彼らに渡れば良くて投獄、ほぼほぼ処刑だろう。

 ──こんなところで死にたくなんてないっ。

『汝の願い、聞き届けたり』

 禁魔法書を抱きしめて強く願うと、弾かれたように魔獣が離れ途端に体が地面に落ちた。

 受け身を取って痛みを最小限に抑える。

 体制を整え続く攻撃を迎え打つように身を屈めてみるも魔獣の興味はすでに手を離れ地面を跳ねた禁魔法書へと向けられていた。

 禁魔法書へと手を伸ばすが間に合いそうにはない。

「馬鹿め、これは我が」

 魔獣の体の指先から焼き焦げたように体が崩れ落ち、残骸からは黒い塊が抜け出て地面を転がった。

「なにかしら、あれは」

 黒い鉱石のように見えたそれは転がった拍子に半分に割れて中が青紫色に明滅していた。

 その輝きに呼応するように白川が触れると鉱石は崩れやがて灰と化した。

「え……?」

 現状を反芻する前に横から体を抉られて視界が粉塵で見えなくなっていた。

 粉塵を吸い込んだことで咳き込んでいると壁をいくつもくり抜いた穴が数十メートル先から続いているようだった。

 地響きのような轟音とともになにかが近づいて来ていた。

 その終わりを見ると、瓦礫を退けて舌打ちを吐いた隊員が、制服からみるにおそらく係官の、とびきり綺麗な女の人がゆらりと立ち上がりこちらにやってきて襟首を掴み引き寄せられる。

「なにやってるのよ!」

「……ご、ごめんなさいっ」

 あまりの剣幕に反射的に謝っていた。

 咆哮が地響きとともに大気を揺らし肌に痺れを纏わせていく。

「何故指示に従わないの。あなた魔法がどれだけ危険か知らないわけじゃないでしょ。さっさと逃げなさい」

「でもあなたが……」

 視線の先の華奢そうな二の腕からは血が流れていた。

「あなたに心配される程弱くはないわ。邪魔よ」

 腕に刺さった鉄の棒を引き抜いて取り出した布で手早く患部に巻いていく。

「あ、あのっ」

 憧れの隊員が目の前にいるのだ、白川は胸が跳ねた。

「ちょっとあなたそれはどうやって」

 振り向き様に

 魔法の本を持ってきたままだった。

「こ、これは……」

 あれ? これはもしかしたら封印することができるのでは?

「あのっ、……わ、私は魔法管理官です」

 魔法管理官にはいくつかの役割が与えられている。

 魔法図書館が設立されたのは魔素によって影響を受けた魔獣や魔法を封印するためだ。

 魔素は一定量を超えると本能を呼び起こすことが判明し、今では魔法防衛魔法管理官が戦っているため魔法図書館職員が前線に立つことはない。

 確かに国に仕える立派な仕事のひとつではあったものの白川が希望した職ではなかった。

 でもまさか、希望しなかったことが役に立つとは。

 前線には立てない代わりに、魔法管理官には魔素に紐付けされる封印が許されている。当館では桃花さんが一任していた。

「私が封印します。だから、あれを拘束してください」

 先程の灰になったのも恐らく封印の過程でのことだろうと思えば納得できた。

「あなた、顔に似合わず無理難題を言うわね」

「これでもあなたを信頼しているんです」

 前線に駆り出されるのだから少なくとも隊長格のはず。

 やっつけだ。

 躊躇っている時間はない。

「こっちよ!」

 係官が鱗に覆われた巨体を引きつけ建物を足場に中心地へと戻っていく。

 ページを開き詠唱を唱えると禁魔法書が光を帯びて魔獣の体が金色の粒子に覆われ引き寄せていた。

「やめろおぉぉ……っ!」

 咆哮を上げ抵抗していたもののこちらも引っ張られないように足場を踏み締め抵抗する。

「嫌よ」

 やがて力尽きたのか魔獣もやがて静まり返り本に吸い込まれ頁が閉じた。

「怪我は」

「へ……あ、えっと、大丈夫です」

「あなた、魔獣の言葉がわかるの?」

「だって喋ってるじゃないですか」

「私には呻き声にしか聞こえないわ」

「え……?」

「……基礎訓練は受けているわよね?」

「はい」

「あなた、魔法は使える?」

「え、はい」

「じゃあ付いてきて」

「魔法図書第七項……あなた名前は?」

「白川です」

「隊長の名に於いて白川を臨時係官の任に起用する」

「待ってください、私は」

「あなたならできるはずよ」

 嘘をついた。魔法は使えない。

 でも機会を逃したくはなかった。

「予備の魔法鉱石があるから、あなたにあげるわ」

 読まれていたように放り投げてきたそれに触れた瞬間、光の粒子が体を纏い白川の魔法が解放された。

「あら、あなたの魔法は白なのね」

 体に纏うのは白い制服だった。

 魔法隊の素質があるもののみが着用を許されていると以前どこかで読んだおぼえがある。

 なぜ自身にそれが当てはまるのか。

 鉱石を拾い上げて鞄に詰めて「なにしてるの、こっちよー」「はーいっ」掛かる言葉に身を翻した。

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